おじいさんの遠吠えと女のオチなし報告
今年に入ってから、おじいさんが遠吠えをする光景をよく見かけます。 見かけるというよりも僕がされることが多いのですが、 遠くで駄々っ子のように握りこぶし作りながら、 「ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!ん゙!」 と体を上下に揺らしながら何かを主張してきます。 無視しています。 後で振り返ると大したことはないのですが、 たいていは、僕がいる場所に自転車を止めたかったとか、そういう感じです。 僕は僕で店から出てまだかごに荷物を入れたりしてい

ベースと出会う前の僕
ベースを手に取ってから人生は大きく変わったと思います。基本的には良い方に変わったような気もしますが、それ以前の「プレーンな状態」の時、僕はどのように過ごしていたのかということを思い出そうとしてみました。 楽器を演奏する視点ではなく「リスナー」としての感覚等々も含めてという感じですが、その頃は空き時間に何をしていたかということ、そしてどのような趣向があったかということをもう少し具体的に思い出そうとした、という感じです。 先日、水野敬也氏の

朝の慌ただしさ
勤め人時代は朝早くに家を出て職場に向かうという毎日でしたが、現在はそんな朝の慌ただしさを感じることはありません。 特にコロナ以降、世の通勤通学時間にはほとんど外に出ることがないので「朝の慌ただしい感じ」の中にいくことはなくなりました。 といっても、稀に娘を幼稚園に送っていったりするのでその時がチャンスという感じになります。 それもここ最近はほとんどありませんでしたが、先日から再開しています。 (街のいろいろな人のいろいろな様子が見れるの

眠る前に浮かんだこと
昨夜眠る前に浮かんだことがあります。 今すぐにでも投稿のメモ書きでもしておくかと思いながら、それをやると目が覚めてしまうのでやめておこう、と思いました。 何となく大切なことのような気がしたので、寝て起きても覚えているだろうと思ったのですが、やはり忘れてしまいました。 眠る前は、体を動かさずに、かつ、ほとんどの刺激がなくなるので、思考が巡りやすくなります。 それが厄介なときもあれば、内容として創造性に富んだものであるときもあります。 厄介

文学的幸福
幸福論が語られる時、気が落ち着いているのならば文学的幸福にも目が行くものの、たいてい世間的には楽しみや興奮、もしくは快楽的なものの方ばかりが着目されます。 確かに昔、「生命維持だけをして、ずっと何かしらの快感的刺激を与え続けるだけでよいのではないか?」と考えたこともあります。しかしながら、どうもそれは幸福とは異なるような、そんな気がしていました。 やはり興奮や快感というものは、それが度を過ぎると、逆にリミッターがかかるようで、それ以上の

なんてことのない20代のある日のこと
ゴールデンウィーク中、友だちが家に来たり、娘と自転車で桂川を走ったりした時に、20代前半の「なんてことのない日」を思い出したりしました。 休みの日でも、特に何もすることはなし。 様々な同級生友だちも「新生活」で、違う世界に行ったようなそんな時期。 音楽業界の人たちに嫌気が差してステージを降りて、特に活動としては何もやることが無くなった日々。 世間的には、自分から音楽を取り除いたらそこそこ社会的には低評価であろう現状。 そんな「世間的には

徹底したやる気のなさ
現在、「4週間かけて治した副鼻腔炎が再び」なので、何となくマスク生活をしています(本格的に副鼻腔炎と向き合う)。 4月に入ってから、特に「徹底的排出」の爆下痢以降、全くやる気がないのですが、物事は淡々と進んでいます。 やる気がないくらいの方がうまく進みます。大野智氏のようなものです。 全くやる気自体はないのですが、力が入っていない分、投稿にしてもサクサク進みます。 そして徹底的にやる気がないのですが、異常なほどにお客がやってきます。 普

徹底的排出
本日、痛みはほとんどないですが、「春の爆下痢」のため、体力的には衰弱しています。 清々しさも、希望もなく、爽快感もありません。そしてやる気はもっとありません。 やる気はないのですが、やる気など無いくらいの方がちょうどよいと思っています。 やる気はありませんが、徹底的に「素」です。 何かをやろうという気もなければ、治そう、回復しようという気もありません。 ただ、このコンディションの方がやりやすいこともたくさんあります。 そのひとつが投稿で

いくつかの物語の終焉
物語はいつかは終わるものです。 いくつかの時期、時代、そして物語が一気に終わっていくような、そんな感じがしています。 それは消極的なものではありません。 かといって希望に満ち溢れているというわけでもありません。 もう切り離せば良いものを、何とか支えていたようなもの、それをどんどん切り離していこうというような気持ちがよく起こります。 それは、バージョンアップのようなこともあれば、下積みの終わりのようなものもります。 まあほとんどは業務関係

祝十二周年
本ブログもついに十二周年を迎えることになりました。ちなみにこれで2352記事目になります。今回は、単純に十二周年というタイトルです。 祝十周年の時は2259記事だったので、この一年で100弱くらいの投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。 アクセス状況 この一年でこの

潰えた夢
思い描いていた夢はどうなりましたか? 今回の夢とは理想的に追い求めてるような方の夢です。 実際、夢を描いて想像通りということになったことはほとんどなく、全く違う角度から物事が展開していったような、そんな気がしています。 雑記500投稿目を記念して、潰えた夢というテーマで進めていきます。毎度のごとく、わかるような、わからないような内容かもしれません。 重要になった瞬間に変化する やはり重要度を高めると、歪んでいくのでしょうか。 そのような

あの日、すごく痛かった日のこと
先日、銀行に向かうために商店街を歩いていました。 「あの日は助かったなぁ」 そんなことを思い出しました。 ひとことで少しだけ触れていましたが、一年ちょっと前、奥歯を一本抜きました。 普段行っている歯医者さんが休みで、行くことができないものの一日すら待てないほどの奥歯の歯茎の腫れと痛みがありました。 まあ理由としては、「歯周病で歯茎が腐っていた」というような感じでした。歯石取りなども定期的に行っていましたが、日常的に顎~歯茎への圧力がひど

思い出の上書き
娘とどこかに行くと、誰かとの思い出を上書きするような感覚になります。 それが一番の嬉しさかもしれません。 ― 先日、滋賀県大津市の浜大津に行って、アーカスという施設に行ったり、遊覧船のミシガンという船に乗りました。 前にその船に乗ったのは、確か19歳か20歳くらいの時、当時の彼女とでした。 変な感じですが、今回娘とミシガンに乗ることによって、ミシガンと紐づいているものが、その子から娘に変わったりします。 別にそのことを意図したわけではあ

あの夜道をもう一度
先ほど、独り歩く夜道で出会った陰と陽で触れていた道を二周してみました。 あまり通らない道ではありますが、夜に歩くと「ぞっ」とするような感じがする道です。 昨年4月の時は「陰陽」の面で触れていましたが、伝統的には道教においては「あえて墓場で修行する」というように、「陰が強すぎる場所にあえて行って、それに対抗する陽を活性化する」というような考え方もあるようです。 まあそのような感じなのかもしれませんね。 とにかくその道は、住宅街ですが危機的

結局は気持ちひとつ
何をしている時よりもニーチェ等々を再読している時の方が「頭がスッキリする」という一種の異常性を持った僕は、とどのつまり、世に溢れている情報のレベルなど全く刺激にすらならない、というような程度にある意味で高耐性なのだろう言うことを思ったりします。 色々な人が色々なことを言いますが、何となく前提が違うというようなことをいつも思ったりします。 そういう時にニーチェくらいの方が感覚的にスッキリしたりします。 それは例えば、何かしらの理屈を説かれ

鏡としての現象
「自分に起こる現象も、目の前の人も自分の鏡である」 自分自身の思考というよりも、自分が自分をどのように取り扱っているのか、ということの反映としての現象である。 そんな事が言われることがあります。 まあ確かにそれはその通りです。 今回はそんなことについて、少しだけ触れていきます。 直近に起こった不思議な出来事について、思い出を書いていこうと思います。 ― 数週間前、妻がママ友さんと某ファミレスに行った時のことです。 妻がトイレに行ったとこ

人間味や感情という尺度
AI利用がどんどん盛んになり「人間味」の価値が高まっています。スマートフォン普及の時よりさらに高まっています。 しかしねぇ… それは昔から変わらないはずなのですが、どうも「偏り」が生じているような気もします。 ― 近年出てくる言葉でかなり違和感のある言葉があります。 それは「可処分時間」です。 カスの1分1秒がそんなに大事とは思わんがねぇ… というようなことを思っているのか、思っていないのかは内緒です。 さて、人間味と感情です。 結局は
インフルエンザ中の夢
インフルエンザに罹った娘の看病によって僕もインフルエンザに罹り、一昨日の夜は38.7℃くらいの熱を出していました。 一応昨日午前中に内科に行って、抗ウイルス薬のゾフルーザを飲みました。夜には熱が下がり、何とか眠れたような気もしますがあまり眠れず、本日も多少の体温変動がありながら、多少ゆらゆらしながら過ごしていたという感じです。 38.7℃出ていた夜は、全身がタイタニック並みに震え、生まれたての子鹿のような動きになっていました。また、太も

空飛ぶブランコにて
ある日、僕はブランコを押していました。 「すごくいい天気」というわけではないですが、 きれいな空でした。 娘の遊ぶブランコを押しているだけですが、 何かの映画の主人公になったような、 そんな気分になりました。 ― そういえば、娘が幼稚園に通い出す少し前に二人でこの場所に来て 「もうすぐ何かが変わる」ということを何となく感じていた娘。 「こんな日々とも、もうお別れか。いや、休みの日もあるし、そんなことはないか」と、当たり前のことを何度も思
マイ聖地巡り
カオス空間から本格的に秩序ある空間に移動するため、先日少しだけマイ聖地巡りをしてみました。 京都に育ち、京都にいるのだから、いつでもありふれているといえばありふれていますが、ターニングポイント的象徴となる場所がいろいろと密集しているエリアを少しぐるぐるしてみました。 そのすぐ近くくらいまでは2年位前に行きましたが、その場所自体には前に行ったのはいつだったかを思い出せないくらい前にしか行っていませんでした。 十代の病中の頃に通っていた精神

月のきれいな夜

ただいま。おかえり。
「ただいま」 「おかえり」 これは僕から僕への言葉であり、それ以上でも以下でもありません。 (「どうせ日常の家族話だろう。スルーしよう」と思った方には残念です) ― 先日、いろいろと思い出そうとしたのですが、 思い出せないことがたくさんありました。 あの人といっしょにあの場所に行ったことは覚えているが、現地集合だっただろうか?それとも駅から一緒に行っただろうか? というような部分で、どう頑張っても思い出せないようなことがたくさんありまし
秋に訪れる空白と「守りたい」気持ち
なんだかんだで、SUPER BEAVERの曲で一番好きな曲はこの曲かもしれません。 ということだけを書き記そうかと思って数日が経ちました。 頭が真っ白になるんですね。 特にタイトル付けに意味はないですが、タイトルが思い浮かばず、入力すらできずに先日は数十分が経ちました。 秋にはそんなことがよく起こります。 男性特有かもしれませんが、「守りたい」というような気持ちが時折起こることがあります。 ただ、それをストレートに表現するとロクなことに
ロック&コメディ
あまり不足の方に目を向けるのもどうかと思いますが、現代に最も不足しているものはロックとコメディだと思っています。 最近、久々にビジュアルバムを少しだけ観ました。あとごっつの「サニーさん」などを観たりしています。僕達世代は小学校時代から「ごっつ漬け」であり、笑いの基礎部分の大半はごっつでできています。 やはり小中学生の頃に日曜日の夜八時になると必ず何か鬱屈したものがリセットされるような安心感がありました。 そういう安心感は、ここ数年どころ

物事の極端さや中途半端さ
何となくですが、近年は物事が極端です。 いや、別に近年に限ったことではないのですが、特に最近はそんなことを思います。 ある意味で中途半端な感じもします。 様々な業界で人手不足ですが、それほど豊かであるというわけでもありません。使える人材が偏っているというような感じでしょうか。 働いたら働いたで長時間労働になり、そうでなければかなり薄給になるということも極端です。 独り身なら独り身で時間とお金を持て余し、家族がいたらいたでカツカツになる、

残暑の音色
音楽テーマかなと思いつつも乱文的雑記にしようと思います。 最近盆が過ぎたからか、ラジオからフジファブリックがよく流れてきます。 若者のすべてと茜色の夕日。 若者のすべてに関しては、少し前までは「志村氏の声じゃないバージョン」だったので嫌気がさしていましたが、最近流れてくるのは志村氏の声。 それだけで少し嬉しくなります。 ― 様々なものの原点回帰を感じます。 意味不明な偏りを経て、結局元通りに戻っていくような、そんな気がしています。 ―

炎天下の全力疾走
「毎日をどのように過ごそう」と思った時に、特に「せっかくの休日なら何をして遊ぼう」と思った時、結局選んだのは、娘との「炎天下の全力疾走」でした。 別になんてことはないんですが、現代において逆に希少価値があるような気もしたりします。 炎天下なので、周りには誰もいません。 そういうのがいいんです。 いつも行動の選択においては、「走馬灯の材料」を選ぶようにしています。 変な感じですが、「死ぬ間際の走馬灯に描く思い出の材料としてふさわしいかどう

あの日のぼくらの秘密基地
よう、何年ぶりだろう。 覚えてるぜ。 26年ぶりだ。 確か夏だから、本当にちょうど26年ぶりくらいだ。 君はあの時はいなかっただろう。 二代目、ってことになるのかな。 娘を連れてきたぜ、あの子の娘ってわけじゃないけど。 「確かこの辺だったなぁ」と思いつつ、 何度も近くを通っては見逃しまくり。 やっぱり秘密基地だ。 ― 別に何を咎められるわけでもないけど、 大人の目を盗むためにひっそりと。 そんな夏だったな。 関連しているかもしれない記事

プラネタリウムを観るという夢
先日、妻と娘と三人で青少年科学センターに行ってプラネタリウムを観るという夢を実現してきました。これは昔からの夢です。 娘と青少年科学センターに行くのは二回目ですが三人でとなると初めてです。 ただ、行く前に少し、 「家族みんなでプラネタリウムというのも、冷たい熱帯魚の社本みたいで嫌だな」 となりましたが、関係なく向かうことにしました。 青少年科学センターのプラネタリウムに最後に行ったのは20代の時、プラネタリウムそのものは10年ほど前に滋

白詰草の花冠
お金がなくて、売るものもなくて、近くに生えていた野草を摘んでちょっとした花束にして「誰かが買ってくれないだろうか」と思うようなイメージが浮かんでくることもあります。 それはそれでいいんです。 それをちょっとした飾りにしたら、お店に人が入ってくるだろうか、なんてな期待をするというのもいいんです。 「ああ、お金にはならないか」と諦めるというのもいいんです。 「人を喜ばせた分だけお金が入ってくる。とは言うけどさ」 なんてな気分もいいものだと思
