タグ別アーカイブ: 学習・教育

学習・教育に関すること

教育

教育とは生殖の継続である。またしばしば、一種のあとになってからの生殖の体裁つくろいである。 曙光 397 以前どこかで書いたと思うのですが、子孫を残そうとする生殖行動自体がDNAレベルで自分の情報を残そうとするということの表れなのであれば、書籍などはもちろん「自分の名前のついた橋」なんかを作ろうとすることも、後世に情報を残すという意味で生殖行動と変わらないという感じです。 ということで教育も生殖行動と変わりありません。もちろんブログの投稿配信も一種の生殖行動です。 何某か情報を後世に残そうという感じの部分があります

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道徳的な流行

道徳的な全体判断は何と変化したことだろう! 曙光 131 序 毎度おなじみ道徳の時間です。 世の中には宗教という形を取らなくても、変化感じの思想とか道徳的教義をもって群れる集団があります。あまり言い返せそうにない道徳によって人を洗脳するという感じです。 まあこうしたものの大半は、来世主義だったり、「もうすぐ宇宙人がやってきて地球を支配するから、今のうちに宇宙人側につくんだ」というようなものであり、結局、自分よりすごい存在がいて、その存在に駄目な自分の人生をなんとかしてもらおうというような教義で溢れています。 以前、

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同情のお芝居

たとえわれわれがどのように不幸な人に関心を寄せようとも、われわれは彼の面前でいつも何かお芝居を演じている。われわれは重病人の寝台のそばにいるいしゃのあの慎重さを抱いて、われわれが考える多くのことや考えたとおりの多くのことを語らない。 曙光 383 世の中には本音を語る人は少なく、特に京都では本音を語る人は極端に少ない傾向にあります。 本当のことを言ったところで仕方ないというのが「本音」ですが、一応僕は、社会の中でもほとんど本音で生きています。 一方、「ほとんど」というのはいかなるものか、ということで、例外ケースがあ

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毎日謎が解けます

先日、「思いっきり本を読んでください」という記事を書きましたが、僕も少しだけ読書週間を設けていました。パソコンの光より本を読んでいる方がまだ目はマシです。 何かをやろうとすると、なんだかんだで目と指先を使わなければならないため、休みの日にも休まりません。 特にもう調べるような、知識を得ようとするような読書の仕方はしないのですが、素早くぱぱぱっと沢山の本を読んでいます。 やはり、ある程度の情報が頭に入っていないと、どのような現象を目の前にしたところで、やはり何もわからないという結果が待っているのかもしれません。 情報

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思いっきり本を読んでください

3月です。前回の更新は、8月でした。その前は昨年の3月でした。ということで、3月恒例のこのカテゴリの更新です。 「思いっきり本を読んでください」ということで読書や情報を得ることについて触れていきますが、今回も何の情報も見ずに、頭の中にある印象だけで書いていきます。 読書の習慣がないという人も結構いると思いますが、大量の情報を一気に得ると、想像の範疇である「知識を得る」といったもの以上のことが起こることがあります。 「ミナミの帝王 ヤング編」に隠されたヒント 今回は、タイトルや見出しがテーマに関係なさそうですが、思い

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確定申告会場で思ったこと

もう3月も中旬になりました。 3月はまだ2件しか投稿していないことに先ほど気づきました。 このシーズンは確定申告のシーズンです。といっても先日終わりましたね。 20歳で株を触りだしてから、損益通算のために確定申告をしています。が、一時期個人的な株取引ができなかったため、しばらく行っていなかったのですが、やはり起業してからはなんだかんだで毎年行っています。 起業して確定申告、といっても、個人事業主ではありません。法人を経営しています。ついでに言うと現在は株式市場にはノータッチです。 昨年は、自分の会社を含めて4ヶ所か

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まだ十分ではない!

ある事柄を証明するのは、まだ十分なことではない。人はまたさらに人間を誘惑してそれをさせたり、人間をそこに高めたりしなければならない。それゆえ知識のある者は、その知恵を語ることを― しかもしばしばそれが愚かなもののように聞こえるほど― 学ぶべきである! 曙光 330 学んでも学んでも、まだまだいくらでも学べるものはあります。 しかしながら、大抵のことは学んでも仕方ないようなことです。いつか何かの役に立つことはありますが、遠く離れた妄想の先にあるような事柄よりも、主要な事柄に集中したほうがいいのは当然です。 「学ぶこと

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忘れっぽい人々

情熱が爆発するとき、夢や狂気で空想するとき、人間は自らと人類との前史を、すなわち、野蛮な歪んだ顔をもった動物性を再発見する。 曙光 312 序文 先日、自分より少し若い方とお話した時に、「メモをとることを忘れて商談がご破綻になった」というようなことを聞きました。それは体育会系同士のやりとりなので些か厳しすぎるだろう、ということも思いますが、「忘れるわりに対処もしない」という点をつかれたのかもしれません。 忘れること自体は良いことでも悪いことでもありませんが、意識の中で優先度が下がってくる、ということは実際にあること

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認識の誘惑

学問の門戸をのぞきこむことは、情熱的な精神の持ち主たちにとって、魅力中の魅力のような働きを及ぼす。そしておそらく彼らはそのとき空想家に、うまくいったときには詩人になるであろう。認識する者たちの幸福に対して、彼らはそのように激しい熱望を抱く。 曙光 450 前半 ニーチェはここで、 「妄想を消失させよ!そのとき《ああ悲しい!》もまた消失してしまう、そして《ああ悲しい》とともに、悲しみもまた消失する」(マルクス・アウレリウス)と、マルクス・アウレリウス(ストア派の哲学者で、2世紀後半のローマ皇帝)を引用しています。 空

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体験と創作

「1日体験」といったタイプのことをやってみると、その体験作業などをあまりに集中してやってしてしまうので、「ご興味が有るようですね」と言われて、その後に勧誘されてしまいます。 相手の言っていることを努めて理解しようということなのですが、不明点は質問し、理解したであろう内容を復唱して確認をとったりなんかすると、「よほど関心があるようだ」と思われるのでしょうか、その後はたいてい「支持者」として参加してくれと勧誘されてしまいます。 それが、政治主義思想や宗教の類なら、「普通は出だしから嫌な顔をするのに」と珍しがられるのか、

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ワンテーマ 本と読書

ワンテーマとするほどではないですが、本(書物)と読書に関してちらほら書いているページを集めました。プロフィールや第一回の時、また、たまに記載していますが、以前は活字中毒の類に入るようなタイプでした。今でも本はたまには読みますが、本よりも専ら図鑑のようなものが多いような気がします。 19歳までは一般的な本や学術書はほとんど読みませんでしたが、相当の数の図鑑と百科事典のようなものを読みあさっていました。小難しい本もいいですが、「サッカー上達法」のような本やゲームの攻略本もおもしろいですね。 堅苦しい本にアレルギーを起こ

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いかなる道徳が退屈させないか

道徳の時間というのは他の授業とは異なり、変な空気感が出ます。それはやはり道徳というものは人生にストレートに関わることであり、ギムキョの偽善をひしひしと感じる時間であるからです。基本的に何かの教材を使って、自分たちの思想を教え込もうとしますが、やはり多感なティーンにはそれが偽善に映ってしまい、本来の目的からは逆行した結果が生じることがあります。 道徳の時間において懐疑や反駁はつきものです。それをそつなく返し、さらに道徳を語れるほどの哲学的思考を持っているのか、ということも問題ですが、「いかなる道徳が退屈させないか」と

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多分早すぎる

一昔前までは知りたくても知れない、調べようにもなかなか調べられない、よって自分塾を開き、自問自答するしかないという感じでしたが、最近では小学生でもiPadを持っています。自分が思春期の頃にはそういったものがありませんでした。 知りたくてもなかなか調べることが出来ない、調べようとしても調べ方すらわからない、という状態は自問自答力を鍛え、妄想力も空想力も、そして論理力すら養うものでありました。 しかしながら近年では容易に調べることができます。あまり調べて欲しくないようなことまで調べることが可能という感じになっています。

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「汝自身を知れ」は学問の全体である

あらゆる物の認識の終わりになってはじめて、人間は自己自身を認識したことになるであろう。なぜなら、物は人間の限界であるにすぎないからである。 曙光 48 「汝自身を知れ」とぱっと見ると、「まずは自分を知ろう」というよく就職カウンセリングでありがちな自己分析のようなことをしか思い浮かばないと思いますが、一応これは古代ギリシャの神殿に掲げられたものです。 格言は短文であれば短文であるほど、たくさんの解釈ができます。理屈上は、文は長いほどひとつずつの単語の定義を解釈していけるので、長文のほうが解釈の幅は広がりそうですが、簡

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学問の美化

「学問は醜悪で、乾燥し、味気なく、困難で、長たらしい―さあ!われわれにこれを美化させてくれ!」という感情から、哲学と呼ばれるものが再三再四発生する。 曙光 427 抜粋 学問を修得していけばその分野での行動は良い結果になる、というのは揺るぎなさそうに見えて、あまり関係がありません。 たくさん勉強することによって、目の前にあるものが見えにくくなっていくからです。ジャンル問わず勉強していけば、ほとんどすべての学問に共通する何かの学力だけはついていきます。しかしながら、専門性という偏りによって、目の前のことが見えにくくな

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習慣の穿鑿

穿鑿は「せんさく」と読むそうです。穿(うが)ち、穴を掘ること、から根掘り葉掘りというような意味合いで使われるようですが、「刷新」という言葉を使って普通に生きていてはあまり使わない単語を見せて「なんだかすごい」というような関心を引き寄せようとするようなことで、「読めへんよ」と一瞬感情を沸き起こさせることが目的ですから、あまり気にしてはいけません。 字は違いますが、「詮索する」も「根掘り葉掘り詮索する」という風に使われるように、穿鑿も「根掘り葉掘り穿鑿する」という感じになるのでしょう。 詮索と穿鑿 ただ、印象として詮索

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ピグマリオン効果

ピグマリオン効果(ローゼンタール効果、教師期待効果)とは、周りの期待に応じて、その人の能力が向上するような効果。人間は期待された通りに成果を出す傾向があるというようなことで、教師の期待によって学習者の成績が向上する、というようなこと。 端的にピグマリオン効果とは、周りの人間から期待された「人格、人間像」に合わせるように人格が変化したり、能力が向上したりするというような効果である。 「本当の君はできる子だ」という事を言ってみたりすることや「うちの学校はエリート校だから」というような評価をふんわり伝えることで、「自分は

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定率強化

定率強化

オペラント反応(オペラント条件づけされている反応)に対して、どのように強化してやるかを強化スケジュールと言い、その反応比率に関するものの一つが定率強化であり、通常FRと略される。一定の決まった数だけ反応が自発されると強化されるスケジュールである。 例としてハトが10回窓をつついたら10回目に数秒餌を提示し、提示終了後また10回目に提示するという手続きである。この場合FR10という。時間経過に対して比較的一定な反応率が得られる。また、負の強化の場合も同様である。 オペラント条件づけ オペラント条件づけは、人間を含めた

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新近効果(終末効果)

新近効果(終末効果/新近性効果)は、最後に提示されたものが記憶に残るという心理効果。物事の最後に起こったことの記憶の再生率が高いことを意味する。 初頭効果は、第一印象であるが、こちら新近効果は最後の印象にまつわるものである。新近効果は終末効果とも呼ばれることから、「親近感がある」という意味ではなく、一番最後に会った時の記憶、物事の一番最後の場面の記憶がよく残るというような効果である。 つまり初頭効果と新近効果という心理的な動きを考えると、最初でも最後でもない「間・中間」はあまり覚えていないというようなことになりそう

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人類の新しい教育のために

たまに掲示板みたいなところに標語が貼ってあったりします。 標語を集めて意識を高めようというのは義務教育と公務員の発想ですが、実際に選考に関わる審査員はやっぱりギムキョなので、何が問題かということに気づいていないことがよくあります。 たとえばこのような標語ですが、まず「君なんだ」ということで、どうして他力本願なのか、という疑問が残ります。 つまり、「あなたはしないんですね」というようなツッコミが入ることを想定していません。 逆に「僕なんだ」とか「私なんだ」、とか言うのも、他力本願ではないものの、少し傲慢なような気がし

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空間感情の学び直し

たしかなことは、最高の幸福と最低の不幸の間の空間の広さは、想像された物の助けを借りてはじめて作り出されたということである。 曙光 7 一部抜粋 最高の幸福を自己啓発ウェーイは「最幸」と書きます。それだけで新興宗教のような胡散臭さが拭えません。たしかなことは、最高の幸福は、群れてウェーイすることではありません。 幸福と不幸の間に空間があって、その間には多様な感情があるというように定義されそうですが、不幸な状態というのは、引用のとおり「想像された物の助け」によって生み出されています。 教養 「教養」という言葉があります

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読書の秋

読書の秋と言われますが、読書は季節を気にしてはいけません。と、言いつつもやはり涼しくて読みやすい季節ですね。 「読書とは思考の戦場である」、といった旨のことを言った人がいますが、戦ってはいけません。戦いたくなる気持ちはよくわかりますが、戦わずにサラッと流しましょう。 本を読む人は頭がいい、ということがよく言われるそうですが、頭がいいということは「いい」ということには直結しません。それに知識ばかりで苦しんでばかりの人がたまにいます。それは本当に馬鹿げたことです。 愛読書 昔は愛読書というものが数十冊あったのですが、今

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正しい「思春期」 改

思春期には、正しくトンチンカン期を過ごさなければなりません。 つまり、何事も悶々と「一人で考えて答えを出す」、ということをこの時期に満喫するということですが、これを怠ると、義務教育上は問題ありませんが、後に「からのー、からのー、からのー」などと、安易な笑いに走ろうとして、大顰蹙を買うような大人になってしまいます。 ただ、最近気付いたことがあります。思春期にはみんな悶々とするのが当たり前だと思っていたのですが、実はそうではなく、いかに駆り立てられていたか、つまり○玉が強力だったかによって悶々度合いは異なるのだというこ

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無意味こそすべて 改

「俺たちのやっていることには意味がある!」 そう思うのは勝手で、勝手に盛り上がっていただく分には問題ありません。 ところで、そもそも「意味」とはなんなのでしょうか。 いみ【意味】 大辞林 第三版より ( 名 ) スル 言葉・記号などで表現され,また理解される一定の内容。 「単語の-」 「この文は-が通らない」 ある表現・作品・行為にこめられた内容・意図・理由・目的・気持ちなど。 「 -もなく笑う」 「彼が怒った-がわからない」 「感謝の-で贈る」 物事がある脈絡の中でもつ価値。重要性。意義。 「ここであきらめては努

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あきらめることから始めよう 改

あきらめると捨てるは違うという人がいますが、違いがよくわかりません。 ネガティブかポジティブか、その違いのようですが、あまり言葉の定義にはこだわらずに考えてみましょう。 何かを望んでいる場合、たいてい力んでいるものです。 結果である目の前の現実をなんとか変えようと、物理的な努力をしますが、あまり効果はありません。 時に力んだだけ結果が出ることがありますが、それはいつもいつも同じように期待通りにはいかないものです。 「努力」 これを惜しまないように長い間いろいろな人から説かれ、たまにそれを評価され、また、努力を評価し

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