タグ別アーカイブ: 動植物

動物や植物について

美ヶ原の牛「25番」

心にググっと群馬ツアー 2018 長野・群馬での生き物たちとの思い出

心にググっと群馬ツアー2018の番外編的に長野・群馬の旅先で出会った生き物たちとの思い出について残しておきます。 今回も碓氷峠や赤城道路を走ったり、榛名湖に行ったり伊香保温泉にも入ったりという感じでしたが、重複している場所についての新しい写真などは追々過去記事に反映することにします。 草津熱帯圏のアルパカのマーブルを筆頭に、今回はやたらと行く先々で動物や虫たちとよく接しました。 それではまず「25番」からいきましょう。 美ヶ原の牛「25番」 今回も長野県の美ヶ原に行ったのですが(しあわせ信州 2017 ビーナスライ

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心にググっと群馬県 2018 草津温泉&草津熱帯圏

心にググっと群馬県 2018 草津温泉&草津熱帯圏

ババンババンバンバン!ババンババンバンバン! ということで、上州草津の湯です。 草津温泉は日本一の名湯とよく言われますが、内心は「ほんまかいな」と言う感じでした。 「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」 と言われるからには、想像を超えてもらわねば困ると言った感じです。 … 温泉の概念を変えるほどの泉質、日本一の名湯は伊達ではありませんでした。 ― 近畿圏の方々のイメージとしては「草津=滋賀県草津市」ということで、僕も高校生の時にはバイクで滋賀県草津市に遊びに行くたび「琵琶湖しかない…温泉はどこにあるのか?

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真夏の墓参りと花々

真夏の墓参りと花々

「墓場ビジネスと霊感商法」などで触れていますが、墓自体はただのビジネスであり、墓参りという文化そのものが、文化という名のマインドコントロールであると思っています。 そんな中、母に頼まれて母方の先祖の墓に花を添えに行くということをこの夏経験しました。 その時に最も感じたのは憂いです。花に対しての憐憫です。 生きている花たちが、もう既にいない死者のために、もっと言えば宗教という狂気のために、なぜ劣悪な環境に晒されに行かねばならないのか、という憂いです。 人がその感情のために、―狂人的思考の結果思いついた行動によって、今

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晴れの国おかやま 2018 真鍋島

晴れの国おかやま 2018 真鍋島

いつも夏には高原に向かうのですが、今年は思いっきり日光浴ということで晴れの国岡山です。岡山県には過去に二回ほど行ったことがあるのですが、昔岡山駅からマリンライナーに乗って香川に行った時に観た瀬戸内海の印象、島々の印象が色濃く残っていたので、瀬戸内海の島、真鍋島(まなべしま)と北木島(きたぎしま)に行ってきました。 どちらかと言うと真鍋島がメインになりますが、その島を選んだ理由は、岩井志麻子氏の「ぼっけえ、きょうてえ」の中に含まれる風習を確かめに、という感じでした。 銀の匙を読みながら、凧あげのシーンが出てくれば校庭

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京都御苑の烏

三羽烏の直談判

以前、桜の季節に京都御苑で弁当を食べていたときです。 木の枝に烏が止まり、「あのー…それ、ちょっとだけいいっすか?」と食べ物をねだってきたことがあります。まるで雪雄が首を伸ばすように、「いいっすか?」とねだってきたので、おすそ分けしておいた、というような感じです。 そういえば先日は鴨川で雀が同じような感じでねだってきたことがありました。特に食べ物は何も持っていなかったのですが、やたらと周りをぐるぐるしていました。 「何ぞお持ちではありませんか?」といった表情です。 その時、目の前でいきなり鴨が飛び出しました。 とて

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アシナガバチを保護中

昨日の昼間、家の裏をアシナガバチがフラフラになりながら歩いていました。羽が機能せず、かなり弱っている様子で、足を引き摺るように歩き、その様子を観察しているとバタンと倒れてしまいました。 一昨日に近くで巣の駆除が行われたようで、その時に駆除を間逃れたアシナガバチだと思います。一昨日の夜から近くで羽音と威嚇音を交互に繰り返すようなヘルプコールが続いていたのですが、どこにいるのかもわからない感じでした。何となく助けを求められている感はありましたが、どうしようもないような感じでした。 そんな中、その翌日になりますが、命から

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鹿の王との約束

最近、見る夢の中でも白昼のふとした隙間においても、何故か宝ヶ池の鹿の王が出てきます。 僕が勝手に鹿の王と呼んでいるだけですが、もちろん宝ヶ池に実在する鹿です。その旨は一応「宝ヶ池の鹿」で少し触れていました。 サラブレッド並みとまではいきませんが、かなり大きな体に加え、すごく立派な角を持っています。普段宝ヶ池で見る鹿とは圧倒的に体格が違うという感じです。その風格からおそらく宝ヶ池公園付近一帯の鹿の王だと思っています。 彼との出会いもまた不思議なのですが、「宝ヶ池」で触れていた通報を行った時でした。 僕が宝ヶ池公園から

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植物と仲良くなった日

植物と仲良くなった日ということで、植物を育てることが絶望的に下手だった僕が植物と和解しうまく育てることができるようになった時の思い出について書いていきます。 内容が具体的だからか、そういえば何だかんだで植物カテゴリへのアクセスも結構あるのですが、それで何となく思い返すと僕は20歳位まで植物を育てることが抜群に下手でした。 小学生の頃は、家にインコのピーコちゃんを筆頭にたくさんのインコと接していたため鳥とは仲良しでした。傷ついた雀を保護したことがありますが、その雀ともすぐに友だちになれたため、結構長生きしました。普通

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進化と退化

「テクノロジーを筆頭に、社会は目まぐるしく進化を遂げています」 そんなことがよく言われますが、僕はそうした表現に違和感を覚えています。 いつの時代でも、「進化に甘えて、現実が疎かになっている」というようなことを言いたがる人は出てきます。 「便利さに自由を奪われている」 みたいな感じで世代間のギャップに違和感を覚えている人ですね。 しかし僕の違和感はそうしたものとはまた異なったものです。 そういう人たちが言いたいことも理解することはできますが、根本的に便利さの追求はある種の退化であり、進化とは言いません。 最適化しエ

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寝たきりうさぎとの過ごし方

先日の「うさぎの死 さようならわが息子よ」で予告しましたとおり、「寝たきりうさぎとの過ごし方」について書いておこうと思います。何度か斜頸(しゃけい)症状が出ていましたが、10歳半の高齢うさぎだったため、最終的な死因は老衰だったと思います。 うちのうさぎは、「神経症状を抑えるステロイドの効きめが限界に来たようだ」ということで、片足不随になりつつ、マッサージ等々で回復と再発を繰り返しながらも、ある時点でまっすぐに立とうにも足に力が入らないようになり、その後寝たきりになりました。 以下は、獣医との相談の上で僕自身が「うさ

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うさぎの死 さようならわが息子よ

寝たきりの要介護状態となり、実家の僕の部屋で家族総出で介護を続けていましたが、本日早朝前、養子のうさぎが亡くなりました。 夏頃から片足半身不随となっていましたが、マッサージなどで復活したり、また具合が悪くなったりという感じを繰り返していました(マッサージでうさぎの斜頸&片足不随を治す)。 その後完全に立てなくなったのは今年の8月13日。右側を下に向けるようにして寝たきりになりました。それから80日、家族総出でうさぎの介護が始まりました。 「小動物は寝たきりになるとそれからが早い」 と獣医は言っていましたが、毎度動物

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一層やさしくなること

われわれがだれかを愛し、尊敬し、讃嘆していて、さて、あとになってから、彼が苦しんでいることが分かると、― われわれは彼から湧き出てくるわれわれの幸福は、自分自身の幸福の豊かな泉から出てくるということ以外は考えていないから、いつも大いに驚くのであるが― 、われわれの愛や、尊敬や、讃嘆などの感情は、本質的な点で変化する。それは一層やさしくなる。 曙光 138 序盤 まあ曙光においてニーチェは、この後「彼が望むなら慰めの言葉を与える」ということで「よい復讐である」なんてなことを書いています。 昔「人は面白いなぁ」と思った

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危険な美徳

「彼は何ものも忘れない。しかも彼はすべてを大目に見る。」― そのとき彼は二重に憎まれる。というのは、彼はその記憶と寛容によって二重に人を恥ずかしがらせるからである。 曙光 393 危険な美徳ということで、引用とはあまり関係ありませんが、動物保護団体について、ちょっと考えたことを書いていこうと思います。 まあ少しショックでした。 まずは参照記事のご紹介から行きましょう。 動物保護団体の崩壊 〜ネグレクトになった保護団体〜 動物愛護団体だったりとかは結局、ボランティアとか募金とかで運営してることがほとんどですが、そうい

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園芸家と庭園

日本のわびさびはなんですか?と外国人に聞かれたら、 「庭園の朝顔が満開だということで、それを見たいという人がいた場合、朝顔を全て刈り取り、居間の一輪挿しにだけ朝顔を残しておくこと」とでも説明しましょう。 千利休と秀吉の逸話ですね。 さて、園芸家と庭園です。 そんなに育てることが難しくないとされている植物でもすぐに枯らしてしまう人がいるそうです。 変な占い師なら「邪気の影響だ」とかすぐにそういうことを言うでしょう。 まあそういう意見は放っておいて、案外忘れられがちな大切な要素について書いていきます。 植物にとって土と

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マッサージでうさぎの斜頸&片足不随を治す

うさぎの斜頸の時ほどの首の曲がりは無いのですが、うちの養子も高齢になってきたことから、体力がないときはどうしても斜頸気味になり、片足が不随状態になっている時があります。 そういうわけで「うさぎのツボとマッサージ」のときのようにマッサージで対処しています。 先に結論から言うと、斜頸も片足不随も良くなってきています。もちろん獣医師による薬での治療も続けています。ただ、日によって片足が上がらず、立とうと思ってもコケる日があるので、そうした時はマッサージで対処しています。 どうも僕が出張などで、家を空けた日に具合が悪くなる

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新年 2017

みなさま、あけましておめでとうございます。 2017年になりました。ことしは「さよなら2016」を書く暇がありませんでした。 さて、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。 僕は今年も白味噌の雑煮ばかり食べています。基本的に出歩くつもりはありません。ついでに軽い投稿を連投でもしようかと思います。 ということで、先日であったスズメバチについてでも書いていきましょう。 スズメバチとの思い出 たいてい黒い服か濃紺なんかのスーツを着ているので、蜂にさされやすいはずなのですが、昔からハチに刺されたことがありません。 ブトには咬ま

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うさぎのツボとマッサージ

bossuよりひとことで触れていますが、養子のうさぎが両目とも白内障のため、最近よく段差でコケています。人でも歳を重ねると、洋食より和食を好むようになるような感じでしょうか、食事に関してもペレットよりもチモシーなどを好むようになりました。もうだいぶおじいさんです。 最近、枕代わりにいろいろなところに首を持たれかけているため、「頭が重いのか?」と思い、よくよく観察していました。 「うさぎの斜頸」のときのように、首が歪んでいたら大変です。 しかしながら元気いっぱい走り回ったり、よく食べているので、斜頸ではないようです。

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植物たちが教えてくれたこと

どうも久しぶりです。bossuです。 ひとことで少し触れましたが、友達と話した次の日に、すごいことが起こりました。 まあ単なる夢うつつみたいな感じだったのですが、命の本質みたいなものが朧気ながらわかったような気がしました。 そう言えば以前から少し不思議には思っていたのですが、その謎がひとつ解けたような感覚です。 それは、細胞というか、自分たちが考えている以上に細かな単位で生命の単位があるということです。 まあ仮に、命を「生きる意志」と、「生命維持活動」みたいな感じで捉えてみた場合、それがよくわかります。 基本的にひ

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実見は歴史家に逆らう

人間が子宮から出て来ることは、全く証明済みの事柄である。それにもかかわらず、その母親と並んで立つ成長した子供たちは、この想定を全く不合理なものに思わせる。この想定には、それと逆らうような実見がある。 曙光 340 我が家にはサンセベリアくんが今でも同居しています。このサンセベリアくんは、親子でメキメキと成長しています。母というか父というかわかりませんが、脇からひょいと子供サンセベリアが出てきました。 とは言うものの、根もとはつながっています。しかし根を分離させたとしても、お互いに独立して生きていくでしょう。 この場

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「人間性。」

われわれは動物を道徳的な存在とは考えない。しかし一体諸君は、動物はわれわれを道徳的な存在と考えると思われるか?― 話の出来る動物が言った。「人間性とは、すくなくともわれわれ動物が苦しむことのない偏見である。」  曙光 333 動物が道徳的でないとするならば、その従う指針のようなものがない、という意味ででしょう。以前に触れた我が家のインコの夫婦は、夫婦を解消した後も介護をしていました。インコ同士にも愛情はあります。 どうも動物と人間を対比した時に、人間の傲慢さが出てきますが、動物よりも害のある人間はたくさんいます。露

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「遠隔歯軋り」と「慈しみ」 スッタニパータより

いつもいつも「遠隔歯軋り」とは言いますが、 「なんじゃそりゃ」 ということになりましょう。 その要は、「相手をコントロールしよう」という一種の邪念ではなく、自らの何かの欲に対応する、もしくは怒りに対応するエネルギーではなく、慈しみの念を出すということです。 慈しみとは、「安らぎがあるように」、もっと俗っぽく言えば「幸せであるように」というような感じだと思っていただいて結構でしょう。 ちなみに慈悲の「悲」は「悲しいぞ」というような感じではなく、「苦しみが取り除かれますように」というような感じです。 慈しみと合わせて慈

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恐怖と愛

恐怖は愛よりも一層多く、人間に関する一般的な洞察を促進して来た。なぜならば、恐怖は他人がだれであるか、何をすることができるか、何を望むのかを推測しようとするからである。この点を思い違えると、危険で不利益になるであろう。反対に愛は、他人の中にできる限り多くの美しいものを見る、あるいは他人をできるだけ高く向上させるという密かな衝動を抱いている。その際思い違いすることがあっても、それは愛にとってはひとつの喜びであり、ひとつの利益である。― そこで愛はそうするのである。 曙光 309 人は時に動物よりも人間が尊いとし、特定

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一体隣人とは何だろう!

われわれは一体隣人について、彼の限界― 彼がそれでもってわれわれにいわば印づけ、印象づけるもののことを私は考えているのだが― 以外の何ものを把握するだろうか?われわれは彼について、われわれを変化させること― その原因は彼であるが、以外の何ものをも把握しない。 曙光 118 前半 「一体隣人」という字を見て「いっぽんでもニンジン」を思い出してしましました。「動物園の帰り道」で出てきた「およげたいやきくん」のB面ですね。 うさぎの場合は隣人ではなく隣兎ということになるのでしょうか。 そういえば最近、養子のウサギに人参を

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家畜、愛玩動物、およびその同族

最も兇暴な敵として、はじめから植物や動物の間を荒らし廻り、最後には、衰弱し不具になったその犠牲のために、さらに思いやりさえ要求するような生物の側からの、植物や動物に対する感傷ほど、嫌悪するべきものがあろうか!この種の「自然」に面したとき、人間―もし彼が考える人間であるとすれば―にとっては何よりも真面目がふさわしい。 曙光 286 「家畜」や「愛玩動物」果ては「経済動物」などという呼び方は、人間が人間との間で勝手に使っている言葉であって、当の動物たちからすれば言われる筋合いのない言葉です。家畜とされるネパールの山奥で

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うさぎの斜頸

先日、養子のうさぎが、「もげているのか?」と思えば、ずっと同じ方向に首を傾げていたので、おかしいなぁと思いつつも、朝のうちは様子を見ていました。外出後も同じ方向に傾けていたので、「やはりおかしい」と思いながらも既に夜だったため、動物病院も開いておらず、てんやわんやになりました。 ひとまず動物病院の診察券を見ると、土曜日も午前中だけは開いているようだったので、朝までの間同じ部屋で寝ることにしました。 具合がわるいからか、あまり食事も摂らない様子でした。 ひとまずは獣医に接し方のアドバイスをもらうまでは、変なことはしな

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