悲惨な話があります。
ストレートには言わないものの、推測による帰結や疑問を引き出すための話法です。
ついには「すごいですね」や「それって何ですか?」を言わせようとします。
それがすぐに読める側は大変困ります。
なんせ惨めなのですから。
2つの視点の競合
「。。。ということは」を連想させて、自慢にもっていこうとするパターンが多いですね。
ただの自尊心の補充なのですが、一昔までは対応に困っていました。
それは、2つの視点が競合していたからです。つまり葛藤です。
視点1
自尊心が欠落しているのだから、補充してあげよう
視点2
そんなことをしていては、いつまでも心が安定しないので戒める
―
ある哲学者は、物乞いを蹴り落とせと言いました。
物をあげるのも実際に損する話だし、あげないにしてもいわゆる良心の呵責をひきおこすので、自分にとっては害でしかない、というものです。
モノに溢れる世の中です。いまはモノを乞うことはしなくても、自尊心のカツアゲはよくある話です。
それをストレートに行うとカッコ悪いので、なんとか遠まわしに奪おうとしてきます、
反撃などしようものなら「それならばあなたはどうなのか?」という絶対的に自分の有利な土俵での勝負を仕掛けてきます。
基本的には無視するのが一番です。
争って勝っても無益なのですから。
葛藤の結果
さて、葛藤です。
無言で傍観することにしました。
そして、違う点で自尊心を補っていきます。
その合間に例え話を使って誘導します。
一発で伝わることもありますが、人によって伝わらない時もあります。
でも気にしません。
でも言います。
子供のように
テストで100点を取った時にストレートに「100点取ったよ!」と言ってくれれば、対応にも困りません。
ストレートに言わず、変になんとなく「バレるところ」に置いてあるから、褒めにくくなります。
そんなことをするくらいなら、いっそ燃やしてしまえばいいのに、「バレるように」してしまいます。
それだけ臆病にも関わらず、「褒め」は欲しい。
繊細といえば繊細で、子供なら可愛く思えますが、大のおっさんがそんなことをしていたら、悲しくなります。
いえ、慈悲の心が湧いてきます。
いっそ褒め方も「バレるように」してみると面白いかもしれません。
コソコソ褒めてみるのもなかなか味があるかもしれませんよ。
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