「このままの勢いが続けばいいのに」
そう思って、続かないのは寝るからです。たくさん寝ると、気分が大きく変化します。特に大酒なんかを飲んで、昏睡なんかするとそれまでの勢いはだいたい失速します。
気分にとらわれている間は、絶対に続くことはありません。
大きく気分が変わる出来事があればしなしなヘタっていきます。
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一時期、休みが「月に一度あるかないか」、という時期がありました。
半年から一年くらい続いたのですが、ある時夕食を摂ろうと座った瞬間に上半身が激しく震えだしました。
そのまま蹲り、天井を見上げることしかできませんでした。
「多分過労死する人はこんな感じなんだろう」
軽い動悸と息詰まりと変な脂汗の中、ぼーっと天井を見上げました。
目を閉じて、深呼吸したあと、変な笑いがこみ上げてきました。
お腹の中がぷるぷる震えています。
そうしたまま、気づけば数時間経っていました。
翌朝、休みを取って、ナボリンS.を買いに行きました。
数日で体は回復しました。
もう一生無理はしないでおこうと思いました。
意志の力
「意志を強く持つ」
よく聞く言葉だとは思いますが、意志の力は大したことはありません。
この言葉が出てくるときは、どこかに無理がある時です。
なにかやり遂げたいことがあって、でもくじけそうなときにこの言葉を使います。
しかし、この場合の意志の力は大したことはありません。
その場その場の感情の高ぶりによって、思考が生み出した結果で、あくまで頭の中の「経験則」や「知識」からはじきだされたものだからです。
そして、状況判断をして、最も妥当な判断をしただけのことで、根拠はありません。
もしくは状況判断より高い目標値を掲げて、無理をしながら突き進んでいる状態です。
そこで残念なお知らせがあります。
そうして苦しんで進んだ先に何もなかったらどうしますか?
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「苦しまずに楽しみながらやろう」
言うのは簡単ですが、楽しさというのは感情なので、意図的に発生させることはできません。
楽しさを発見するという様々なアプローチを試してみることは確かにいいことですが、それでも楽しくないなら即座にストップをかけなければなりません。
自己啓発系をかじったコンサルなんかは、そのことを分かった上で言っているのかは疑問です。
やりたくない仕事を人に押し付けるときに、こういう言葉は悪用されます。
あくまで、自分が楽しいと思うことを自分が選択すべきというだけで、「楽しみながらやらなければ意味がない」という言葉を、人に押し付けるのはおかしな話です。
楽しみ方の提案程度にとどめたほうが賢明でしょう。
ランナーズハイ
なんでもそうですが、集中したりするとハイになる傾向があります。
読書然り、暗記然り、もちろん長距離走もです。
一瞬来る「嫌だ!」を乗り越えるとただただ爽快になります。
ただ、これは脳内の物質作用によって感じ方が変わるせいです。
ということは、脳に操られている状態です。
自分の中で作られたもので自分に酔っているのだけなので構わないのですが、実はこの作用は運動などをしなくても操ることができます。
別に運動で出してもいいのですが、そんなことをしなくても出せるようになります。
意志の力で「こんちくしょう!」でもいいですが、そんなに力まなくても物事を続けることはできます。
道具として操る側になるか、成り行きに任せて操られる側になるか、しかありません。
道具として操るとしてもフルオートマも可能です。
この時のオートマは成り行きとは全く別物で、振り回されることはありません。
本能を直視する
過食もギャンブルも、この世の娯楽というものに飛びついていしまうのも、すべて感情に振り回されているからです。
ただ、感情はいいものでも悪いものでもありません。
ただの反応といえば反応。でも、心の状態によってすぐに変動します。
ということは、指針としてかなりわかりやすいものでもあります。
本能に特化して考える
大まかには食う出す寝る、呼吸するくらいです。
これ以外の衝動は感情的なものがほとんどです。
それも本心からの感情ではなく、「自尊心の欠落」や「渇望感」などを思考によって捻じ曲げられたフィルターで処理しようとします。
本当は夜の街でお姉さんにちやほやされたいわけではありません。
自らを尊い存在だと確認したいのかもしれません。
本当は体が悲鳴をあげるほど食べたいわけではありません。
食べることによってもたらされるリラックスが欲しいのかもしれません。
そう考えると、アプローチは変わってきます。
「ストレス発散に○○してこいよ!」
そんな言葉は全くではないですが、無益であることに気づいてきます。
ストレスを処理するために「お金が必要」と思っています。
原因を探ることはせずに、世間の「誰でもストレスはたまる」を信じています。
そして、お金への「渇望感」まで後押ししてきます。
しかし、ストレスの原因の根本を見ることは、一時的にすごい負荷がかかるのでそれを恐れています。
指針としての感情
感情を傍観することもいいですが、慣れないうちはコンパスがわりに感情の声を聞いてみるのも面白いかもしれません。
頭で考えるより、感情を最優先させてください。
「こっち!」と思ったのなら「こっち」を選んでください。
すぐに「違う違うほらほらあっち」と「アイツ」が反論してきますが、無視してください。
左右に分かれた道があります。
「左のほうが近道だ」という考えを無視して、「右に行きたかったから」というのを優先してください。
そんなことをしていると、そのうち「アイツ」による暴走なのか、ただただ、身体が求めているのかわかるようになります。
ただ、暴走に歯向かってはいけません。
「やらないでおこう」と我慢すると、「渇望感」が強くなり、後に俗に言うリバウンドのようなことが起こります。
暴走中も、そのときの感情を見ていけば、次第に自然に関心がなくなります。
気づけば「『あれはなんだったんだ』という感想がせいぜいのところ」になります。
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