カテゴリー別アーカイブ: 曙光(ニーチェ)

賞賛の効果

ある人たちは、大きな賞賛によってはにかみ、他の人たちは、あつかましくなる。 曙光 525 誉めることは素晴らしいと語られていることがありますが、僕は誉められて喜んでいる人を見ると、冷めた目で見てしまう癖があります。 本気で反応しているのではないという場合ではそんなこともないですが、誉められて喜んでいる人を見ると、「かわいそうだなぁ」と

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孤独な人たちの嫉妬

これはおそらく孤独を愛する文化系特有なのですが、嫉妬でも羨望でもない特殊な感情があります。 嫉妬は、「自分もそのように評価されるべきなのに、まだ評価されていない」という時に起こり、羨望は同一のフィールドにありながらも「すごいなぁ。でもこれは自分では届かないや」というような感情です。 ただ、「こんなものを作れてすごいなぁ」「ここまでこん

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背後の問題

ある人間がいくら明らかにして見せても、人は次のように問うことができる。それは何を隠しているのだろう!それはどこから眼差しを逸らさせるのだろう?それはどんな偏見を刺戟するのだろう?そしてそれからさらに。この偽装の精巧さはどこまで及ぶのか?そしてその際どこで彼は失敗するのか? 曙光 523 とにもかくにも、ほとんどの場合、議論の裏には感情

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耳をもたない賢明さ

われわれについて語られたり、賞賛されたり、非難されたり、期待されたり、希望されたりしても、それに耳を傾けないようにしよう。それについて考えることすらしないようにしよう! 曙光 522 後半 耳をもたない賢明さということで、人を意識したり、人の意見に翻弄されることのない賢明さについてでも書いていきましょう。 人を見返してやろうとか、人の

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「もはや私のことを思わない。」

まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼がまったく好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛び込むのは、なぜか?同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。― と無思慮がいう。 曙光 133 序 「サービス精神で世話をすると、相手の欲を刺激してしまうことになるのだ」

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例外で虚栄心が強い

あの人にはひとつの高尚な性質があり、それが自分の慰めになっている。彼はその本性の残余を― ほとんどすべてが残余である!― 軽蔑的にちらっと一瞥する。しかし彼はいわば自分の聖殿に行くなら、自分自身から回復する。 曙光 521 前半 いわゆる宗教やスピリチュアリズムは、ルサンチマンの典型例であり、何か別の基準を採用して自らの自尊心を高めよ

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永遠の葬式

永遠の葬式

永遠の葬式ということで、葬式の話でもします。 つい昨年の今頃、おばあちゃんが亡くなりました。これで全てのおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったという感じです。 ということで、このシーズンになるとおばあちゃんのことを思い出します。 実家建て替えの間、少し離れたところに住んでいたのですが、その頃毎朝おばあちゃんの自転車の後ろに乗って小学校前

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あらゆる精神は結局肉体的にあきらかになる

ある程度の年齢になると、「自分の顔に責任を持て」なんてなことが言われることがあります。 まあ確かに普段どんな表情をしているかによって、顔の形なんかは変わりますから、それも確かにそう言えることでしょう。 目元や口なんかは顕著に出ますね。そしてあとは脂ぎり方です。 Z会は概して「なぜかいつでも脂ぎっている」という特徴があります。体型は関係

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欺かれる

諸君が行為しようと思うや否や、諸君は懐疑への扉を閉ざさなければならない、― と、行為する者がいった。― しかし君は、このようにして欺かれた者になることを懸念しないのか?― と、瞑想的な者が答えた。 曙光 519 欺かれる(あざむかれる)ということで、「選択肢から選ぶ」ということをもって欺かれてしまうという面についてでも書いていきましょ

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諦め

諦めとは何か?それは病人の最も気楽な状態のことである。彼はそれを見つけようとして長いこと苦悩して輾転反側し、そのために疲れた― そしてそれをはじめて本当に見つけたのである! 曙光 518 輾転反側(てんてんはんそく)=悩んでいたり、心配事があって、何回も寝返りをうつという感じです。 さて、「諦め」です。 人生は諦めが肝心です。この諦め

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誘惑して愛させる

われわれは、自分自身を憎むものを憚らなければならない。なぜならわれわれは、彼の恨みと復讐との犠牲になるであろうからである。それ故にわれわれは、彼を誘惑して自分自身を愛させるように気をつけよう! 曙光 517 誘惑ということで、中学三年生の時にカラオケに行ったときのことを思い出します。同級生女子の前でGLAYの誘惑を歌い「キー下げる?」

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実務家

諸君の実務― それは諸君の最大の偏見である。それは、諸君の現場や、社会や、傾向に、諸君を結びつける。 曙光 186 前半 人にもよりますが、中高生の時は、つまらなさそうな大人を見て、そして、大学に進んだりすると、理論と実務との乖離に頭を悩ませる事があります。 だいたい学校で学んだことや資格取得の際に学んだことだけでは実務レベルで全然通

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道徳におけるキリスト教的なものの終わり

「憫みによるものでなければ、人は善ではない。したがって、すべてのわれわれの感情の中には、何らかの憫みがなければならない」― 現在道徳はこう思われる!そしてこれはどこに由来するのか?― 同情的な、公平で、公益的で、社会的な行為をする人間が、現在道徳的な人間として感じられていること― これはひょっとするとキリスト教がヨーロッパにもたらした

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自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!

すなわち自我[エゴ]を避け、憎み、そして他人の中で生き、他人のために生きるということを― これまでわれわれは、確信を抱いて、また同じように軽率に、「非利己的」したがって「よい」と呼んできた! 曙光 516 文末 「自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!」ということをニーチェが書いています。 一応、彼の言う「エゴ(ego)」は自

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観想

ある思想家にあっては、彼固有の観想的な状態はいつも恐怖の状態に続き、他の思想家にあっては、いつも熱望の状態に続く。 曙光 395 前半 観想、これは今の状態を捉えようとするようなことですが、感情を直視することでその感情の力(?)が弱まってくるということをお知らせしておきます。 恐怖を感じても、恐怖に対抗すること無く恐怖を感じてください

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美の増大

なぜ美は文明とともに増大するのか? 曙光 515 序 感性やセンスなんて言われるものは、本来、今ある具体的な何かの出来などではなく、それよりももっと高いレベルで、抽象的な領域で形を作れるかどうか、というようなことで、素人レベルの「センス」などまったくあてになりません。 なんだか最近やたらと「パクリ曲」の記事にアクセスが多いようですが、

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強い人たちに

諸君、強くて高慢な精神の持ち主たちよ、たったひとつだけ諸君にお願いがある。われわれ他人に新しい重荷を課さずに、われわれの重荷の幾分かを諸君で引き受けてくれ。いうまでもなく諸君は強い人たちなのだから! 曙光 514 前半 わざわいだ!偽善の律法学者パリサイ人よ! ということでしょうか。 「パリサイ人や取税人の類」ということで、案外取られ

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制限と美

君は美しい教養を備えた人間を探すのか?しかしそれなら君はちょうど美しい地方を探すときのように、やはり制限された展望と光景を甘受しなければならない。ー たしかに全景的な人間たちもいる。たしかに彼らは全景的な地方のように教訓的であってすばらしい。しかし美しくはない。 曙光 513 あえておカタイことをいうと、美しいとは、「羊+大」というこ

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虚栄心をもたない

情熱的な人間は、他の人々が考えるものをあまり考えない。彼らの状態は、彼らの心を虚栄心以上に高めるのである。 曙光 394 マルチネットワーク全開の人の勧誘文句が「あなたもランボルギーニに乗りませんか?」だったということを筆頭に、今回は虚栄心です。 「本当にランボルギーニに乗っているなら虚栄じゃなくて本当に金持ちじゃないか」 という人も

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危険な美徳

「彼は何ものも忘れない。しかも彼はすべてを大目に見る。」― そのとき彼は二重に憎まれる。というのは、彼はその記憶と寛容によって二重に人を恥ずかしがらせるからである。 曙光 393 危険な美徳ということで、引用とはあまり関係ありませんが、動物保護団体について、ちょっと考えたことを書いていこうと思います。 まあ少しショックでした。 まずは

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礼儀の条件

慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があるように、丁寧過ぎる対応で逆に相手に対する皮肉を込めているようになってしまうというパターンもあります。 礼儀の条件ということで、礼儀について触れていきますが、これは一種の洗脳であり、意識的な結界でもあります。基本的なマナーというものは「相手を不快にさせない」というものであるはずなのに、礼儀が形式

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悪の瞬間

活潑な性格の人々が嘘をつくのは、ほんの一瞬のことでしかない。そのあと彼らは自分で自分を偽ってしまい、確信をもち、正しい。 曙光 390 嘘をつくのはもちろんですが、嘘をつかれる瞬間というのもなかなか嫌なものです。 その嘘の内容にもよりますが、だいたいは自分都合のスケベ心か身の保身くらいなもので、方便のような気づきのための嘘や「相手を混

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才気を隠す

だれかがその才気をわれわれに隠す現場を取り押えると、われわれは彼は人が悪いという。しかもお愛想と博愛のために彼はそうせざるをえなかったのだ、とわれわれが邪推すると、なおさら一層そういう。 曙光 390 「能ある鷹は爪を隠す」と、散々言ってくる仕事のできないおじさんがいました。 そんな言葉を説きながら、同期の社員がえらく出世したおかげで

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すこし重すぎる

とても正直ではあるが、愛想がよいとか愛すべき人物であるとかいうにはすこし重すぎる人々は、お愛想をいわれるとたちどころに、まじめに世話をやいたり自分の能力を提供したりして、これにこたえようとする。 曙光 389 前半 世の中には「甘え上手」というタイプの人がいます。 相手にしてはいけません。 なぜならその人達は甘えるのが上手いため、世話

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良心の疚しさのない悪事

良心の疚しさ(やましさ)のない悪事ということで、洗脳されてしまった人たちによる「良心の疚しさのない詐欺的営業」についてでも書いていきましょう。 「本当に頭の中はどうなっているんだろう?」 と、僕にはあまり理解できないような人たちがいます。 いい人なのですが、疚しさなく詐欺を行っているような人たちです。 ご本人は良心の疚しさなく仕事とい

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道徳的な流行

道徳的な全体判断は何と変化したことだろう! 曙光 131 序 毎度おなじみ道徳の時間です。 世の中には宗教という形を取らなくても、変化感じの思想とか道徳的教義をもって群れる集団があります。あまり言い返せそうにない道徳によって人を洗脳するという感じです。 まあこうしたものの大半は、来世主義だったり、「もうすぐ宇宙人がやってきて地球を支配

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乞食

乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから。 曙光 185 まあこの物乞いに関するニーチェのアフォリズムは、結構有名だったりしますね。この「乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから」は、事あるごとにニーチェの代表的な格言として出てきます。若干の日本語訳違いがあっ

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結婚前の熟慮の見本

もし彼女が私を愛するとすれば、長く続けば彼女は私にとってどんなに重荷となることであろう!またもし彼女が私を愛さないとすれば、長く続けば彼女はそのときようやく私にとってどんなに重荷となることであろう!二つの違った種類の重荷が問題であるにすぎない。― それゆえわれわれは結婚しよう! 曙光 387 モテないが正しい、ということをいつも言って

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悲壮な人々と素朴な人々

胸をたたいて悔み、自分自身を悲惨で卑小だと感じる観客のことを考えるあの楽しみのために、悲壮さを示しうる機会をひとつも見のがさないことは、極めて高貴でない習慣であるかもしれない。したがって、悲壮な状態を嘲笑したり、その状態のとき自分にふさわしくない振舞をしたりすることは、高貴な心のしるしであるかもしれない。フランスの古い軍人貴族は、この

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目的か?意志か?

たまに「今 集中」なんてなキーワードでサイト内検索が盛り上がっていることがあるようですので、今に集中するということについて書いていきましょう。 もちろん、「今やっていることに集中しろ」というような、義務教育的なお話ではなくて、今この瞬間に意識を集中させるというようなものです。 今に集中する場合、意識の集中のレベルによって、体感にも段階

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