例外で虚栄心が強い

あの人にはひとつの高尚な性質があり、それが自分の慰めになっている。彼はその本性の残余を― ほとんどすべてが残余である!― 軽蔑的にちらっと一瞥する。しかし彼はいわば自分の聖殿に行くなら、自分自身から回復する。 曙光 521 前半

いわゆる宗教やスピリチュアリズムは、ルサンチマンの典型例であり、何か別の基準を採用して自らの自尊心を高めようとする構造を持っています。

特にヒエラルキー(階層)を持つような構造の場合それが顕著です。そう考えるとまさにヒエラルキーの象徴であるテクノクラシーの世界(官僚制ね)、も自分の位置によって自尊心を決めるので構造的には変わりありません。

もっというと、「学歴社会」という言葉そのものや「大企業に入ってこそ」というような考えも、社会的ではあるもののスピリチュアリズムに似たようなルサンチマンを含んでいます。

「モテなかった…でもオレはエリートだ」というような感じです。

一種の虚栄心でありルサンチマン的

社会的にどんなポジションにいようが、本人が不服を持っており、自尊心が欠落し、「うまくいかない場合は後輩を殴る」というような体育会系みたいなことをしている場合、それは一種の虚栄心でありルサンチマン的であるということになります。

他人からの評価がどうあろうが自分が幸せを感じているのならそれで完結です。

しかしどうも「人から評価されて確認したい」というような構造になっています。そこで、虚栄心をもって自らを高めようとするのです。

「自慢をするのはカッコ悪い」というのを思うところまではいいですが、「私は自慢をしていないからカッコイイはずだ」と思うのは行き過ぎです。

結局アイツの内側、生存本能を発端とした恐怖心の内側にいます。

そんな感じで、「例外」で「虚栄心が強い」ということなので、スピリチュアリズムについてでも書いていきましょう。

スピリチュアリズム

スピリチュアリズムって結局は、自分より上位の存在がいたりだとか、自分には前世からの魂の「引き継ぎデータ」があるだとか、魂にもランクがあるとかそういうことを言うやつですよね。

で、結局こういうのはランク付けが好きなんです。

ランクを付けて、その占い師みたいなのが「最上位ランク」とでも言いたいような感じです。

で、生まれてきた環境も前世でいいことをしたからだとか、そういう魂のランクだからとかそういうことをいいます。

逆に不運というか不幸なのは、過去世からの因果のせいであって、ある種自分が悪いわけではないというような論調も多くあります。

そして魂のランクに応じて偉い存在がいて、その人の言うことを聞いていれば、自分も魂のランクが上がるというような構造になっており、自称「魂のランクの高い人」が生み出す意味不明なカルト空間に誘われてくという格好になっています。

発想が体育会系

まあ発想が体育会系なんですよね。自分は選手で先輩もいて、コーチもいて大会もある、みたいな構造ですから。

で、よくよく考えると、単に「自分が安心したい」ということです。これはつまり、感情の問題を変な知識と体育会系の発想で埋めているという感じになります。

上位存在のお眼鏡にかなっていますよ、とか、魂のランクがこれくらいだからいいことがいっぱい起こりますよとか、そういうのですね。

結局恐怖心です。

「世話してもらうのが好き♥」

というタイプの人は概してこういうのに陶酔します。

様々な教義が混在

いつどこからこうしたスピリチュアリズムが登場したのかは知りませんが、バラバラに分解すると、ヒンドゥーだったり、道教だったり儒教だったり、神道だったり、鎌倉新仏教だったりが混在しているだけで、まさに「頭のなかで考えた」というような構造になっています。

で、こうしたスピリチュアリズムって結局いつまでも安心できないはずです。

「本当に最高ランクになっただろうか?」

というようなものがいつまでもつきまとうからです。

「確認したい」

というような不安感がいつまでもやってくるはずです。

それで通称、「あなたより霊性が高い人」などを頼りにしようとしますが、そうした人を「信じる」のはその人です。

自分の判断の正しさをどうやって証明しますか?

時間って屁理屈なんです。今しかありませんから。

前世がどうのこうの言ったところで、今この瞬間に「前世が影響している」と思い込んでいるのが因果の因になっているだけだとしたらどうでしょうか?

例外で虚栄心が強い 曙光 521

虚栄心の原因と心理の裏側

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Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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