状況によって変わる意識の身勝手さ
状況によって変わる意識の身勝手さについてでも書いていこうと思います。 意識の中に信念や考え方の傾向を持ってはいますが、そうした意識の向き方やモノの見方、いざというときの考え方や環境への対応というものは状況によって変わっていきます。 そう言えば先日、ナニワ金融道、新・ナニワ金融道、新・ナニワ金融道Rと、ナニワ金融道シリーズを読破しました
自由意志と洗脳
自由意志と洗脳ついて書いていこうと思います。 自由意志を尊重したいのは山々ですが、まず基本的に自由意志というものはありません。もし、自由意志があるとすれば、それはアイツこと自我の領域を脱しています。 自由意志とは何かを捉えるとすれば、「意志が自由である」ということになりますが、哲学的に見るとそうした意志自体がオリジナルであるのかどうか

美しくたくましく福井県 2018 越前町&若狭町
年の始に福井県の越前町、そして若狭町に行きました。 特に何の目的もないのですが、久しぶりに海沿いに行き、一年分の磯の匂いを嗅いでおこうと思った感じです。先月は山なので今月は海という感じです。 「磯をかぐ」で触れていましたが、越前町は遠い親戚がいて、毎年大量の越前ガニを送ってもらっていたという関係性があり、若狭町は小学校の時に学校から「

ほんの少しの旅に出よう
一人旅は非常に良いものです。 で、家に引きこもっていて寝たきり状態になっていても、もう十分に身体は現時点の限界まで休まっているので、それならばいっそほんの少しの旅に出てみましょう。 予算は1000円か2000円位でどうでしょうか? 僕はそんな低予算の旅によく出掛けました。 21歳か22歳位の頃です。 それでは、それくらいの時に出かけた

新年 2018
みなさま、あけましておめでとうございます。 2018年になりました。 早速白味噌の雑煮で杵つき餅を5つ食べました。 新年ということでひとまずは抱負のようなものを書いていきます。こうしたものを普段あまり意識することはありませんが、あえて意識してみましょう。 新年の抱負 2018年新年の抱負ですが、まずはもう少し間口を広げるためにというこ

さよなら2017
さあもうすぐ2017年が終わります。 一応2017年を少し振り返っておきましょう。 急に仕事のやる気が無くなったり、養子が死んだりということもありましたが、急に大掛かりな仕事が舞い込んできたり、急に沖縄に行っていたりと、急な展開がよくありました。 最も大きな変化は養子のうさぎが亡くなったことですが、それは彼の死と同時に彼と出会う前の僕
哲学と解釈
哲学することと哲学を学ぶことは大きく異なり、また哲学することと解釈することは大きく異なっています。 ではそれらは何か違うのでしょうか? その根本的な違いは、ある具体性を持ったものの内側を見ようとすることと、具体性を突き抜けて、より抽象化していくことにあります。つまり、具体性を包括しつつより全体的で統合された地点から自己解釈を再構成する
隣人を愛する前に愛を思い出しなさい
「隣人を愛する前に愛を思い出しなさい」という謎の命令形タイトルになっています。一応新約聖書にちなんでいますが、特にそうしたものの解釈について触れてるわけではありません。 うつを治そうというようなテーマで語られる時、自分の殻に閉じこもらずに他人と接し、他人を愛しなさい的なことが言われることがあります。「自分を愛するように隣人を愛しなさい
見渡せば秋冬生まれの文化系
12月です。僕は12月生まれです。 見渡せば秋冬生まれの文化系ということで、昔からずっと秋冬生まれの友人が多く、文化系の人ばかりが友だちです。 ほとんど11月以降に誕生日を迎える人ばかりが友だちで、そしてなぜか10月生まれに特に仲のいい人はいなくて、飛んで9月生まれに友人が多いというのも不思議です。 まあその理由に関しては小学生の時か
モテる秘訣とモテない理屈
さて、モテる秘訣とモテない理屈について書いていきます。 世間では様々なモテテクやモテるための条件、モテる秘訣、そしてモテない理由としての理屈が並べられています。 しかしながら、そういうものを鵜呑みにしてしまうと、婚活業界、結婚相談業界のお客になってしまうだけです。 どのような分野でも同じですが、具体的な事例自体を知ること自体はいいです

曙光(ニーチェ)
ちくま学芸文庫より出版されているニーチェ全集7「曙光」の各節題目表よりタイトルを拝借し進めてきました特別企画「曙光(ニーチェ)」がついに全て完了しました。 本シリーズは575項目ありますので、投稿数はすごい量になっています。ということで一覧ページを設けておきます。 曙光 第一書 曙光 第二書 曙光 第三書 曙光 第四書 曙光 第五書
われわれ精神の飛行する者!
しかしそこから、それらの前には巨大な自由がもはや全くないとか、それらはわれわれが飛ぶことの出来る限り飛んだとか、推論することがだれに許されようか!われわれの偉大な師や先駆者たちもすべて最後には立ち止まった。そして疲労で立ち止まるのは、極めて高貴な身振りでも優美な身振りでもない。私も君もそういう成り行きになるだろう!しかしそれは私にとっ
他人を喜ばせる
人を喜ばせることはなぜすべての喜びにまさるのか?― われわれはそれによって自分自身の五十もの衝動を一度に喜ばせるからである。ひとつひとつのものは極めて小さな喜びであるかもしれない。しかし、もしわれわれがそれらすべてをひとつの手の中に入れるなら、これまでかつてなかったほどわれわれの手は一杯になる。― そして心も同様である!― 曙光 42
道徳に対するドイツ人の態度
ほかならぬこの民族に満足を与えるのは、いかなる道徳であろうか?たしかにこの民族は、その心から服従癖が道徳の中で理想化されてあらわれることをまず望むであろう。「人間は、無条件的に服従することの出来る何ものかを持たなければならない。」― これがドイツ的な感覚であり、ドイツ的な首尾一貫性である。人はすべてのドイツの道徳学的の根底においてこれ
「この印において汝は勝つであろう。」
その他の点でヨーロッパがどれほど進んでいようとも、宗教的な事物については、ヨーロッパは古代のバラモンの素朴な囚われない心にまだ到達していない。 ― さしあたりわれわれは、インドで、思索者の民族の間で、すでに数千年以上前に思索の命令として実行されたものを、ヨーロッパが取り戻すように気をつけよう! 曙光 96 一部抜粋 ニーチェによる「曙
忘れるな!
われわれが高く上昇すればするだけ、飛ぶことの出来ない人々にとっては、一層われわれが小さく見える。 曙光 574 世間の人は客観的データによって人や物を相対的に判断しています。だからこそ広告物などにおいて、データや権威が役立つのです。 何の肩書も持たない人が、何かを話し出すよりも、大学教授という肩書を持った人が話すほうが耳を傾けられ、信
遠くへの展望
よく定義されているように、他人のために、しかも他人のためにのみなされる行為だけが道徳的であるとすれば、道徳的な行為というものは存在しない! 曙光 148 序 人生設計やキャリアビジョンというような概念がありますが、そうしたものが語られていると知った時、なぜそうした狭い枠組みの中で夢を見させるのだろうというようなことを思いました。 以前
他人を通して
他人を通してちらちら光る以外には、見られることを全く望まない人間がいる。そしてこれには深い思慮がある。 曙光 421 他人を通して自らを高めようとすること、それほど醜いものはありません。 例えば、学校か何かで一番の成績を取った人が「僕が、僕が、僕が、一番なんだ!僕が一番なんだ!僕ってすごいよね?みんな僕をもっと褒めてよ!」と連呼してい
最終的な反駁としての歴史的反駁
昔、人々は、神が存在しないことを証明することを求めた。 曙光 95 序 西洋的な方法論は、論理的な証明をやたらとしたがりますが、最終的に行き着いたポイントをよくよく見渡してみると、世界各国の土着の伝承、民話に隠されたメタファーと同じだった、というようなことがよくあります。 アメリカなどの最新研究の成果としてよく騒がれているような、哲学
不可能な階級
貧しく、楽しく、そして独立的!― これは一緒に可能である。貧しく、楽しく、そして奴隷!― これも可能である。― そして私は、工場奴隷制度の労働者たちにとってこれ以上よいことは言えない。 曙光 206 序 階級として有名なものはカーストです。そのカーストを紐解いてみれば、単にインド・ネパール地域に侵略してきたアーリア人が自分たちをバラモ

4歳児に教えてもらった素敵な言葉
先日、お客さんのところに行ったときに、その人の息子である4歳児に教えてもらった素敵な言葉があります。 いつもいつも「大学教授が言おうと幼稚園児が言おうと本質は変わりなく、言葉が指し示す意味のみを検討するべきだ」というようなことを言っていますが、まさに幼稚園児から教わることになりました。 意味は状況の中にある、ということにはなりますが、

大峯山(大峰山・山上ヶ岳)2017
ひとことで触れていましたが、先日奈良県吉野郡天川村にある大峯山(大峰山・山上ヶ岳)に行きました。日本で唯一の女人禁制の山です。 基本的に登山のシーズンは5月から9月であり、山頂の大峯山寺も閉まっているような季節です。なお大峯山寺は世界遺産に登録されています。 約十年前の夏にこの山に登り、西の覗きと言われる崖に吊るされる修行などをしまし
不機嫌な人々の治療法
すでにパウロは、罪に対する神の深い不機嫌が取り消されるためには犠牲が必要である、という考えであった。それ以来キリスト教徒たちは、自分自身に対するその不快を、ある犠牲にむけて洩らすことをやめなかった。― それが「世界」であろうと「歴史」であろうと、「理性」であろうと、喜びであろうと、他の人々の安穏な平和であろうと― 何らかのよいものが彼

第1100回投稿記念
これで1100記事目になります。1100回目の投稿ということで「第1100回投稿記念」です。 ZERO STAGEで少し嵩増しされた感はありますが、前回の第1000回投稿記念は、2017年9月20日で、前回からの100記事は、その前と同じくまあまあの速度で投稿したという感じです。 そういえばもう少しするとロングラン特別企画「曙光」が終
脱皮する
脱皮することの出来ない蛇は破滅する。その意見を変えることが妨げられた精神の持ち主たちも同様である。彼らは精神であることを止める。 曙光 573 「脱皮する」ということで、人の成長について書いていきます。 十代の頃は、小学生から中学生、その先は人によりますが、高校生や大学生などになったり、働きだしたりと、その度に何となく違った世界が広が
生贄の狡猾
身を捧げたある人から欺かれようと思い、そうであってほしいとわれわれが望む通りの姿をわれわれに見せざるを得ないような機会を彼に与えるのは、悲しい狡猾というものである。 曙光 420 犯罪者や自殺者などは、現代における生贄のようなフシがあります。 ある人が見栄のため欲のためにしたことが誰かを傷つけ、その傷ついた誰かは怒りのためにまた誰かを
「利他主義」の原因
人間は一般に、愛を少ししか手に入れたことがなく、この食物を飽きるほど食べることができなかったので、愛を極めて強調し、偶像化して語ってきた。 曙光 147 序 「利他主義」の原因ということですが、利他主義はもちろん利己主義の対義語としての概念を持っています。利他主義とは、自分のことよりも他者の利益のことを考えるというような主義になります
イスラエルの民族について
ヨーロッパのユダヤ人の運命の決定は、次の世紀がわれわれを招待してくれる演劇のひとつである。 曙光 205 序 一応イスラエルはユダヤ人の国です。で、エルサレムはユダヤ教徒区画とキリスト教徒とイスラム教徒区画があったりします。 日本国内ではキリスト教以外のアブラハム系の宗派について、ほとんど認識がありません。だからその共通点も相違点もあ
十七歳の地図
僕は1983年12月生まれです。 で、面白いのが、尾崎豊氏のデビューアルバム「十七歳の地図」が出たのが、1983年12月です。日までは同じじゃないですけどね。 僕が17歳の時、十七歳の地図も17歳です。 そして、それから17年経ったのが今日です。 で、2017年だったりします。 と、たったそれだけのことですが、数奇なものだなぁと。 ―

閃光少女
一眼を持つ手があどけない。 一目見た瞬間に「これだ」と思った。 閃光少女だ。 ― 肩で息をしたい。 だから、 一枚でいいから彼女を撮りたい。 が、 仕事柄、毎日人とたくさん話しているせいか、「休みの時くらい話したくない」という病がなかなか治らないので、思わず帰って閃光少女を弾いてしまう。 ついでに透明人間も弾いてしまう。 再び坊主にし