見ることを意図してから絵を描くということで、「絵を描く」という表現をしていますが、本当に絵画を絵の具で描くわけではありません。頭のなかで計画を設計することというくらいの意味合いです。
最近ナニワ金融道を読んでからと言うもの、実は自分の周りでも「絵を描く」という言葉を使っている人が結構いることに気づきました。たいていは社長仲間ですけどね。ということで、見ることを意図してから絵を描くと言う感じで、認知的な話について触れていきましょう。
先日の投稿で、世の中では、一発逆転的なことが好きな人が結構いるということについて書きましたが、人から提案されるような話に乗っかって一発逆転することはありえないと思っておいたほうがいいでしょう。そんなものはたいていマルチか詐欺です。
で、たいてい何かをやり始めようとする時、現状から妥当な線で安心を確定させて行動を起こすのがせいぜいですが、本当に現状を変えたい場合は、まず見ることを意図することをしてから絵を描いていくほうが理に適っています。
なぜなら、現状では現状の延長でしか物事が見えないからです。ということは、今まで経験してきたようなことの中から「選択」することくらいしかできないということになります。
優れた人と会う
といっても、現状の情報の状態からどうやって現状以外の世界観を想像すればいいのかすらわかりません。
そんな時は、何となく自分よりすごそうな人に会ってみるのが良いでしょう。
きっかけはどのような形でもいいですが、自分とは違った世界に住むような人と話をしてみることです。
でないと、そうした世界を見ることを意図しようにもリアリティがわきません。
取引のような形を取ろうとするような人は避ける
ただ、一つ注意点があるとすれば、取引のような形を取ろうとするような人は避けることです。
経験上、優れた人は、相手がどのような人であっても無償で話をしてくれ、それどころかたいていは食事などをおごってくれたりすらするものです。
仮にニートであっても、その人が本気であれば、諸手を挙げて無償で応援してくれるのが普通です。まあそれに甘えるのもおかしいですが、できる人ほど結構優しいものです。
そう言えば、最近人をサポートするにあたって、知人の知人あたりに関連業種の人がいたので、すごく遠回りですが、紹介のセッティングをしようとしてみました。
すると知人は「でも相手さんにメリットが…」ということをいい始めました。
ということでその話は却下です。
そうした事が想起される時点で、僕の知人も、知人の知人も大したことはありません。
下手に世話になると、体育会系的に上手く使われるだけになってしまいます。だからそうしたレベルの低い人の場合は関わってはいけません。
見えるものが選択されている
さて、意識には遮蔽効果があります。
カクテルパーティー効果などがわかりやすいですが、自分にとって重要な対象だけが意識の中に入ってきて、後は遮断されるのです。
それはそれで意味があってなされていることです。
迷惑メールフィルターのようなものだと思っておきましょう。
で、これは、あるものが見えている時、あるものが見えなくなるという特性を持っています。
前者は自分にとって重要な事柄であり、後者は自分にとって関係のないような事柄です。
で、「自分にとって重要な事」が変化すると、それまで見えていたものも、目には入っても意識には上がってこなくなります。
とことん新しい世界観、新しい「自分にとって重要な事」に関係するものがたくさん見えて、変化前の世界観のものは見えなくなってきます。
最近気づきましたが、感覚的には女性の方がその傾向が強いように感じます。
例としてわかりやすいと思うので、あえて女性的に例を挙げてみましょう。
ビジュアルの追っかけが相撲取りと結婚
世の女性に「好きなタイプの男性はどんな人ですか?」と聞いて、それに合わせても良い結果は出ません。
なぜならその時のブームであるだけだからです。
みうらじゅん氏の正しい保健体育からの引用で言えば、「ビジュアルバンドの追っかけが相撲取りと結婚」という一見不可解な現象も世の女性の「タイプ」で言えばよく聞くような話です。
ある時は確かに、先の質問に対する答えは嘘ではなく本当です。しかし、ブームが変化すれば、その真実も変化するということになります。
だからある種信用することはできないのです。
そして、惚れた男のすべてを好きになる、とよく言われるように、「重要な事」であると判断した暁には、過去の男性など一切関係なくなったりするのです。
そして結婚後に子供が生まれたりすると、世界観が「この子を立派に育てる」と言うものに変化します。実際に子供が目の前にいますから、強烈なリアリティです。
するとその世界観に沿った物事しか見なくなり、それ以外の世界観は見えなくなります。
夫の人生などお構いなしになり、タコ部屋労働者が労働効率を上げるための最低水準の福祉しか受けられないのと同様に、粗末に扱うようになります。
もうその頃には、数年前に血眼になって読み耽っていた、雑誌の「合コン必勝法」については存在すら思い返していないでしょう。
これはまさに世界観に応じて見えるものが変化し、今まで見えていたものが見えなくなるというわかりやすい例です。
見たいようにしか見ていない
阿羅漢にでもならない限り、人は世界を見たいようにしか見ていません。
何事も自己都合にはなりますが、その都合の基準自体が歪んでいるのです。
現状で見えている範囲で、絵を描いても現状に毛が生えた程度か現状を維持する程度です。
であるのならば、まずは見える世界が変化してから、絵を描けばいいのです。
その第一歩は見ることを意図することです。
そうだ賢者になろう
僕の場合は、中学一年生の時に将来の夢を聞かれて「賢者」と答えました。
担任の先生には怒られましたが、僕は意志を曲げませんでした。
今思うとそれが良かったのかもしれません。
傍から見れば、「賢者になる」という事を言うといわゆる中二病のように感じますが、意図の方向性が社会的ではなかったという感じで捉えていただければいいでしょう。
だいたいその当時としても賢者のイメージとしては、ファイナルファンタジーにしてもドラゴンクエストにしても、白魔法と黒魔法、回復呪文と攻撃呪文を両方使えるような存在というイメージです。
これについても、実際に物理を動かすのとは少し違う形で、遠隔歯軋りやペルソナアタックが使えますから意図は叶ってしまったということになります。
といっても、使えない人からすればあまり意味がよくわからないはずです。
これらは結局情報状態に変化をもたらすということです。
その方法論が物理に依存しないというだけで。
心が体を治す
まあ例えばですが、健康になりたいとか、スリムになりたいという人がいるとします。
見ることを意図してから絵を描くということに沿って考えてみると、現状の電○汚染された自我の状態では、サプリメントがどうのこうのとか、テレビの健康情報でやっていたことを試すとか、そういうことからスタートして、健康になるための計画やスリム化計画を立ててしまうはずです。
そうではなくてもう一度、大前提を思い出してみましょう。
なぜ、人は寝るだけで体が回復するのでしょうか?
それを物理的に説明できるでしょうか?
物理的に説明したところで、それは現象の客観的なデータの推移を計測したに過ぎません。
その方向性、体をより良い状態に変化させていこう、という意図の方向性が無いと、そうした物理的な変化も起きません。
つまり、恒常性維持機能としての意図が、恒常性維持の方向性へと物理を変化させる方向性を持っているということです。
だからこそ、なりたい状態の意識の状態にリアリティを感じていれば自ずと無意識が働いてくれます。
寝ている間には、普段の意識は働いていません。「回復するぞ!」と力んでいるわけではないのです。
そういうわけで、心配すると心配が形になります。
ということで、心配や焦燥、執着や力みは、逆方向に力を使っていることになるという感じです。
意図の方向性に応じて展開する
逆に言えば、どのような世界観を持つかということが変化すれば、そうした世界観に合わせるように現実は展開していきます。
そうした意図の方向性を方向付けるだけで、あとは勝手に見るべきものが見え、不要なものは見えなくなり、何かの行動を起こしてしまうはずです。
そうなると友人が友人でなくなることもあります。
言い方は残酷になるかもしれませんが、不要になるからです。
場合によっては、友人も自分と同調して変化することもあります。
新しい世界に飛び込めば、新しい世界が広がります。新しい人脈が広がります。新しい稼ぎ方も、新しい日常の生き方も見えてきます。
人脈のルーツ
当たり前のことにはなりますが、ふと思い返してみると、新しいコミュニティに入ったときは新しい人脈ができていきますが、今ある人脈も元をたどれば、10年前とか、15年前とかそうした時の出会いがきっかけで、今なお続いているだけだったりします。
学校で言えば友達の友達とか、職場関連で言えば、上司の前職の同僚とかそういった感じです。
そうなると、人脈のルーツ、つまりスタートの出会いは結構昔に遡ることがよくあります。
例えば、僕の弟子(仮)で言えば、弟子との出会いは僕の社長仲間が主催の会合がきっかけであり、その社長仲間は、僕の前職の先輩(転職組)が元々いた会社の後輩であり、であるのならば、僕と弟子をつなぐものは、最低でも前職の職場に入社したことが起源になります。
結局新しい場所、だれも知り合いがいない所に飛び込まないと、ドラスティックに変化するような新しい道は開いてこないのかなぁということをたまに思うことがあります。
と言っても、今の仕事に関連して、全くゼロから作った人脈もあります。それはそれで一つのルーツです。
新しい世界に飛び込む
で、新しい世界に飛び込むことはいいですが、そうした時に一発逆転的な事を考えたり、変な人について行ってしまうとロクな人脈もできず、意図も変な方向に行ってしまいます。
その先にどのような世界が広がっているか見えないくらいがちょうどいいはずです。その方が、今までの現状とは違った世界が意識に入ってくるからです。
しかしながら、夜の世界に行くと夜の世界の人間になります。ギャンブラーの世界に行くとギャンブラーになります。それはそれで新しい世界ですが、良いものだとは思えません。もしその世界を覗くとしても、意識は持っていかれないようにしておくべきでしょう。
と言ってもアイツこと自我は、リスクを冒すことを嫌います。
今のままでもある程度安全安心なのだから、別にそんなことをする必要はないだろう、と。
周りもだいたい抵抗します。
自分との関連性が変化するのが嫌だからです。体育会系なら自分よりも偉くなられては自尊心が傷つくからです。
でも、そんなことはただのイメージの世界です。
じゃあイメージで変化させればいいのです。
たまに起業関連の話の中では、周りに反対されないような行動はやめておいたほうがいいということが言われることがあります。
いわば、反対されるのは、成功確率が高いからということが言いたいようです。
しかし僕は職場の人には厄介味を言われましたが、両親には反対されませんでした。
なぜなら事後報告だったからです。
イスラエルやパレスチナを始めとした世界旅行も事後報告なら、養子のうさぎが我が家にやってきた時も事後報告です。
現状の生活の中にいる自分の周りの人に意見を聞かない、ということがポイントです。
自分の周りの人に意見を聞くと、現状の内に引き戻されてしまいます。
引き戻せないほどの所になってから報告するくらいでちょうどいいのです。
でないと、新しい世界は展開する前に潰されてしまいます。
ということで、何事も絵を描くなら、自分の周りの人の意見など聞かずに、新しい世界に飛び込んで、新しい世界が見えるようになってから絵を描けばいいのです。
例えば海外旅行なんて、先に航空券を買えば、あとは出発のその日に合わせて行動を取るようになります。
航空券を買ってしまうということすら最初は思いつきません。
そういう時は、優れた人と会ってみたり、顔を出したことのない所に顔を出してみるということで、そんなきっかけが生まれることがあります。
「航空券を買ってしまった」
たとえネットで予約して、予約完了の返信メールが届いただけであっても、そのリアリティが、その先の旅のリアリティのビジュアルを鮮明にするはずです。
気づけばパスポートの取り方を調べていることでしょう。
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