bossu のすべての投稿

聴講の学生たちを見まわすと

聴講の学生たちを見まわすと

何故か大学生相手にお話する機会というものが稀にあります。 ほとんどが「産学連携的なものが主催の何か」ですが、ふと振り返ると、そのような場に出てくる学生さんは、いわば相当に積極性のある人達であり、僕の見ている「現代の大学生」は、おそらくトップ数%の人たちなのだろう、ということを思ったりしたことがあります。 高い集中力と質問の切れ味が、「ほう、なかなかやるな」という印象でしたが、考えてみると大学生というもの全体ではなく、その中の少数精鋭なの

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職業的誇りを傷つけられたせいか

職業的誇りを傷つけられたせいか「僕は皮膚の専門医ですよ」とキレてきながら思いっきり誤診していた医師と出会ってからというもの、医師にも相当のレベルの差があるのだろうということを思うようになりました。 当のその医師は、保健室の先生が「帯状疱疹」だと言い当て、別の医師が「帯状疱疹ですね」と診断した症状を、この腫れは「虫に這われたから起こった」と一点張りをしていました。 僕が寝ている間に掻いた部分を毒虫に這われた痕だと主張していました。 まあそ

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食べさせる相手がいなくなった料理人

食べさせる相手がいなくなった料理人、聞き手のいなくなった演奏者、…目的をなくした者、能力に意味を与えられない者… 想像するだけでも虚しくなります。 人々に振り回されたりして心身ともに疲労がたまり、嫌気が差してきた時は、仕事が嫌になったりしますが、全く仕事とが無いこともまた、苦痛をもたらしたりします。 一人もお客が来ない店のように、座っていても一本の問い合わせも来ない事務所のように、閑古鳥が鳴いている状態というものは、暇疲れを超えて自己の

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薄のろではなかった

「うすのろ」というトランプゲームがあるようで、ある日僕はそのゲームへの参加を誘われました。「うすのろのばか」と呼ばれていたりします。このゲームにはたくさんの呼称があるようですが、ひとまず僕が経験した時は、「うすのろのばか」という名称で取り扱われていました。 で、やっているうちに覚えるというような感じで曖昧な説明をされ、はっきりしたルールがわからないまま参加したのですが、ゲーム中の掛け声である「うすのろのばか」という言葉が、妙に「修行する

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いたずらに感傷的になるのはよして

今日、僕は少し感傷的になりました。 それは、間接的に来る仕事の話において、医師たちの拝金主義的な意図を垣間見たからです。もちろん僕はその手の人に手を貸すことはありません。 しかし一方で、その手の拝金主義の医師たちに便乗する金融機関やコンサルタントなどもいることは事実であり、そうした人の様子を見ると少しばかり感傷的になったりもします。まあ広義の怒りにはなりますが悲しみがやってくるという感じです。 「ああ私よ、いたずらに感傷的になるのはよし

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見解は最初から一致していた

数年前のことですが、某業界の国内での第一人者的な方と共同で仕事をやりかけたことがあります。 「やりかけた」ということで実際には実施しておらず、結局は双方に関わる共通の依頼主が「ロクでも無い系」だったので、準備段階で頓挫したという感じになりました。 ただ、その人と語り合う中でも、やはり「見解は最初から一致していた」という感じで、ある種分かり合う者同士は喧嘩にならないということを実感しました。 「敵視」から「共に辞退」へ 最初その方は、様々

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遭難の悲愴感

本格的な遭難を経験したことはありませんが、「まだ実りそうな希望」と「チャンスが失われた中の希望」というものは若干異なり、「広い荒野にぽつんといるような感じ」が、遭難の悲愴感を示すのに最もふさわしいような気がします。 以前、「企画した人の地図のマークのミス」により想定外の山中をうろつくというような軽い遭難について触れたことがありました(すばらしい日々)。その時に後輩が不安から泣きだしたりということもありましたが、「必ずなんとかなる」という

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なにやらいかがわしい憶測

なにやらいかがわしい憶測

新入社員研修の時、ある男性講師の方が「疑わしい」という文言について「うたがわしい、ですよ。いかがわしい、じゃないですよ」と強調されていました。 きっとその方としては、いわゆる鉄板ということだったのでしょうが、さほどウケることはなく、聴衆たちには流されていました。 その後、「パワーで押し切る」ということを意図されたのかはわかりませんが、再度「うたがわしい」を強調されていました。リベンジということなのかはわかりませんが、やはり聴衆との間には

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質問する手順

意見を述べるという時だけでなく、質問をするということに関しても、最終的にどういったことを伝えたいのかがはっきりしていれば、その手順が見えてきます。 初めて会う人に対して「何を話したらいいのかわからない」というようなことがありますが、結局は、何をどう落ち着けたいのかということが決まっていないからこそ混乱が起こるのだと思います。 営業活動など仕事であれば最終的には買ってもらうことというような明確なゴールのようなものがあるので、質問にしても何

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かなりの努力を要する作業

世の中には微妙に高額に思えるサービスがたくさんあります。 その中の一部は「単にぼったくりなだけ」という感じですが、料理における、「完成物の容量は安価なものと同じくらいでも、仕込みの手間が膨大」というような感じで、かかる手間の分だけ高額になっているものもたくさんあります。 そういえば、芸大で教鞭を取っている友人から次のようなことを聞かれたことがあります。 「今後イラストレーション等々で食べていきたい学生から『ロゴ作成』なんかの世間の値段の

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これが人間か

「アウシュビッツは終わらない」を改めて読もうと思った時に、2017年に完全版として「これが人間か」が出ていたため、そちらを読むことにしました。 プリーモ・レーヴィ著「これが人間か」には、彼が体験したアウシュビッツ強制収容所での経験が綴られています。 「私はこの本を書くにあたって、犠牲になりましたというあわれっぽい調子や、復讐を叫ぶたけり狂った調子を捨て、証人が使うような節度ある平静な言葉を慎重に用いた。私の言葉が感情を抑えた、客観的なも

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そんな穿鑿をしてちゃ、味が悪くなるよ

「そんな穿鑿をしてちゃ、味が悪くなるよ」ということで、何事も気にしすぎることは効用を半減させてしまうことにもなりかねません。 しかし一方で、ある程度気にしないと、ロクでもないものが出てきたり、騙されたりもするので厄介です。 特に海外に行くとそれは顕著で、ある程度気をつけておかないとぼったくりバーの被害に遭うということもありますし、ちょっと道を聞いただけでガイド料として結構な金額を請求されたりもします。 ただ、気をつかうということは、それ

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手のこんだ料理

何だかんだで小学校五年生くらいから調理を楽しんでおり、現役で料理を作るということをしています。 「手のこんだ料理」は好きですが、料理人マインドを持たない「儲けるために始めた系」の飲食店が嫌いであり、中途半端な外食も嫌という感じですが、外食を避けている分、調理の腕を上げるために日々修行をしていたりします。 物理的臨場感が高く、事業の全体像をイメージしやすいことから安易に出店されるケースがよくありますが、個人的にはやはり料理人マインドを持っ

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質の悪い臭いをかくすための偽装

詐欺師や洗脳集団ほど、相手の懐に入り込むのに「使えるものは何でも使う」という感じで、高級品で装ったり、「いい人認定がされるようなこと」を演技したりします。 それほど世間は見た目と仕草で判断しているということになりますが、「いい人認定がされるようなこと」が効いてしまう背景には、いかにそれが珍しいかというような要素も少なからず含まれているはずです。 こう言っては何ですが、僕は「女性の涙」を筆頭に感情的な訴えには屈したことがありません。そう考

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先を争うようにして駈けて行く

「争いの先、突っ走った先に何もなかったらどうするのか?」ということが見えないまま、モテをこじらせたように「一生懸命がカッコいい」という感じで奮闘している人たちがいます。 それはそれで個人的志向でやってもらう分にはいいのですが、他人を巻き込んだり、はたまた自分たち以外の人を愚弄したりするということになることがあるので困りものです。 勤め人は企業の奴隷であるというようなことは、ある方面から見れば正しくても、そうした企業のチームの中でないとで

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相手が案内人である以上

以前にも少し触れたことがありましたが、睡眠中を含め、空間からの脱出が難しく、身の安全の確保が意識に上るサービスほど、丁寧な接客となるという感じになっています。 旅館業はもちろん、飛行機などもそうですし、本来は電車や長距離バスでも同様の配慮が望ましいという感じになります。 生理的欲求や安全の欲求を考えれば、事実上密室空間の中にいることや無防備な睡眠中等々、生存の安全性に意識が向く場所でのサービスにおいては、その「逃げられない」という要素の

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確実に見たかどうかを繰返し自分に問い質してみよう

なんだかんだで思い違い、記憶違いということは未だによくあり、自分自身が見たもの、見た記憶を信頼しきらないことにしています。 「確実に見たかどうかを繰返し自分に問い質してみよう」ということで、テストがてらコンビニに貼ってあるライブ案内のポスターに掲載されていた方々の名前を思い出してチェックすることがあります。 失礼な形になりますが、たいてい自分の知らない方々の名前は変な形で記憶しており、ほとんどの場合で間違えます。 名称の記憶 特に名字と

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体験の非日常性

非日常的な体験をすると、意識がカーッとなり、平常時では考えられないような意志決定をしてしまうことがあります。 それが「人から仕掛けれたこと」ならば注意が必要になりますが、そうした一種の狂気、一種の強い変性意識がないと事を成し得ないという場合もありますし、そうして起こった現象がすべてダメなものかといえば、そうでもありません。 合理性から考えれば非合理な男女の仲 合理性から考えれば非合理な男女の仲においても、一種の非日常があるからこそカーッ

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イメージをともなわない言葉だけの網

感動という文字を見ても感動しないように、言葉はうまく紡ぎ合わせて何とかイメージを形成しないと、感情を動かすことはできません。 しかしうまく編まれたからといって「イメージ」が生まれないということもあります。 「笑う月」の中では次のように語られています。 「日頃から言葉の操作に従事しているぼくのような場合、イメージをともなわない言葉だけの網が編まれてしまう可能性だってあるわけだ。夢を見たという表現は、もはや適切でなく、夢のなかで言葉が編まれ

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自己検閲の機構

どうしても自我というものは悪者扱いされるフシがありますが、「それはそれ」というだけのものであり、退治する対象のものというわけではありません。 凝り固まった自我意識というものは、制限を生み、偏見を生み、悪どくなってしまうものとして扱われたりもしますが、こうした自我は時に自己検閲の機構として、逆に洗脳・マインドコントロールをブロックするものとして働いたりもするわけです。 万が一の誤解があるといけないので、改めてこうした「自己検閲の機構として

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地図をしらべてみたほどのリアリティ

地図をしらべてみたほどのリアリティのある夢といえば、やはり西宮の夫婦岩でしょうか(西宮の夫婦岩から六甲山・摩耶山・再度山へ)。 縁もゆかりもないはずではありますが、もしかすると幼き頃に有馬温泉か何かに行くついでに通ったということもあるのかもしれません。もしくは、父が仕事の関係でよく神戸市内中心地方面に行っていたので、温泉レジャーではなく「ついでの付添」みたいな感じで神戸に向かう途中に通ったのかもしれない、とも思います。 しかしながら神戸

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体験する主体としての一人称感覚

好き嫌いの範疇になりますが、幼少期の頃から「浅いもの」が嫌いであり、浅い付き合いも好きではありません。 「人馬一体」という言葉がありますが、人馬が一体になろうと思えば、相手のことはもちろん自分のこともよくわかっているという状態でなければなりません。その上でいかに信頼し、双方が自己開示するかというところが、人馬一体を叶えるものであると思っています。 それは相手が人でも動物でも機械でも同様です。 人馬一体感 自分が相手を操るという感覚、一方

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こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか

こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか

「こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか」という風習はたくさんありますが、「いつまでも黙認されている理由」としては、「どちらでもいい」という要素の中、取り留めて被害も少なく、反証材料もないという感じのもの、そして、「採用するにしろしないにしろ、その前提となる全体の構造が不明瞭」というような部分があるような気がします。 「誕生日を祝う」ということすら、祝うということが何なのかよくわからない部分があります。しかしながら、基本的に

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風習に無知な旅行者

風習に無知な旅行者

みなさんの地域ではどうなのかわかりませんが、ここ京都では数年前から外国人、特にアジア系の外国人旅行客に汚染されてきているフシがあります。観光公害というやつです。 最近ようやく条例によって規制が入りましたが、一時期ゲストハウスというものがやたらと乱立し始め、市街地のど真ん中、そして住宅街において外国人がどんちゃん騒ぎしたりするようなことが起こり始めました。 いわゆる民泊というものですが、旅館業の許可得ていないような業者は単に儲けだけを意識

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休憩時間が過ぎれば、いずれまた幕が上る

絶望の淵に立った時、あえて絶望を楽しんでみてはいかがでしょうか。 やることがなくて虚無感に苛まれた時、虚無感を楽しむ時間としてそれを楽しんでみるというのも一つの手ではあります。 またいずれうつテーマにでも書こうと思いますが、感情は抑えずに味わい切ったほうがうまくいきます。 ただ、絶望感なり虚無感なりに苛まれた時は、具体的行動として人や物に八つ当たりしてパワー的に解放しようとしたり、具体的解決策にいきなり奔走しようとはしないほうが賢明です

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じろりと白眼をむいて

意図的にじろりと白眼をむいている様はまだしも、日常的に白眼をむいている様は、精神に狂いがあるというか洗脳されている人という感じがします。 比較的最近のことになりますが、経営者会合において「持続可能な云々」の絡みで、外国の十代の人が表立ってスピーチしている動画を観たことがありました。 目がイッています。 ああいうタイプの人は、だいたい誰かにマインドコントロールされているという感じがするのでまともに相手にしてはいけませんし、発していた発言も

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こめかみのしこりを揉みほぐし、くじけかける心を、はげましながら

新しい投稿を用意する時、こめかみのしこりを揉みほぐし、くじけかける心を、はげましながらタイピングをすることがあります。 どうもブルーライト的なものなのか何なのか、はたまた指や腕の負担的なものなのか、疲労は、目と合わせて親指、人差し指、中指を中心として溜まり、それが腕、首を経由し、こめかみに来て、結果「顎」に蓄積するという感じになっています。 寒くなってきたこの季節、時折口を開けるだけで「ミシッ」と顎筋肉か何かが引っかかり電気が走ったよう

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秘密の抜け穴

どのような業種でもプロだけが知っている秘密の抜け穴のようなものがあり、それを知っているかいないかで結果に大きな差が生まれたりすることがあります。 その秘密の抜け穴は、現実には隠されているものでも何でもなく、「その領域にいない人としては、目に映っても見えていないもの」という感じのものばかりだったりします。 また、「わかる」と「できる」は全く異なるので、わかっていてもできないという場合もあります。 ということで、そうした秘密の抜け穴について

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口に出して呟いて

思うだけよりも口に出して呟いていた方がより強固であり、何かしらに書き出してつぶやいているとより強力となるというのは、アファメーションの原則のひとつということのようですが、僕の場合は昔から口に出して呟いていると、向こうから勝手にやって来るというのが基本となっています。 因果関係の全てが観えないと、変なふうに感じるはずですし、一般的な解釈としては、認知バイアス的な部分として、「意識の向け方を変えれば見える」的な説明がなされたりもします。それ

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総員玉砕せよ! 水木しげる氏

総員玉砕せよ!

「この『総員玉砕せよ!』という物語は、九十パーセントは事実です」 と、あとがき「あの場所をそうにまでして…」で記されているように、水木しげる氏の実体験に基づく「ほぼノンフィクション戦記物」である「総員玉砕せよ!」。 一年ちょっとくらいになりますが、「水木しげる 魂の漫画展」に行った時に知ってその場で買いました。「総員玉砕せよ!」の単行本の初版は1991年10月のようで、その時購入した講談社文庫も1995年6月に出ていたようですが、その日

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