先日、桜の季節ということで桂川の方に行きました。
いつもの菜の花スポットですが、そこには桜並木があり、ほぼ毎年のように行ったりしています。しかし、桜の季節は比較的人が多いので、桜が散った後に菜の花を見に行くことが多いという感じです。
ただ今年はちょうど桜が満開の時期に暖かい晴れの日が訪れてタイミングも良かったので、多少の人の多さを覚悟しながら桂川の方に行きました。
桂川と天神川が合わさる手前の場所で、厳密に言うと天神川の方なのですが、やたらと人が多く、「うーん…まあ仕方ないだろう」と思っていました。
桜並木の方に行くと、桜がバタバタ倒れていました。
倒木した桜たち
「おーい…」
となりましたが、やはり予想通り昨年の台風の影響でしょう。
毎年のように桜の季節を微妙に避け、菜の花の季節に行って桜並木に陣取り、菜の花を鑑賞しに行ったりしつつ読書に勤しむという感じなのですが、見るも無残な姿でした。
まあひとまずは仕方がないので、桜の隣に座り本を読むことにしました。
その時持っていっていたのが社会学系の本だったので、「台風は去年のことだし、それまでの間に時間はあったはずだが、行政も何も動かずに放置されているということになるんだなぁ」などと思いつつ、たまに桜の方を見たりしていました。
ちょうど選挙前だったので、遠くから怒号のように「よろしくおねがいします」声を聞かされたりもしました。
「『よろしくおねがいします』なんてなんて言っているくらいなら、多少黒めに『利用する』という形でもいいからこうしたことに働きかけたらいいのに。まあ現職の人の場合は、といったくらいか」
とか思いながら、社会学の本を読んでいました。
「でも行政が動かないのであれば、地域集団なんかが動くしかないなぁ。管理が行政なら行政に働きかける必要があるのかもしれないが、費用もかかるし言うだけじゃ動かないだろう。現に動いていないからな。でも完全に依存していては、来年まで桜たちの命が持たないかもしれない。コストの試算をして、地域連合会みたいなのと商工会系の地域ブロックと…資金を集めて…クラウドファンディングでもいいかもしれない。でも、自己顕示欲的な部分のメリットや売名的な実利を求める人の層をも対象としないと資金は集まらないかもしれない。予算の一部を記念碑にして釣ってもいいかもしれない」
なんてなことも考えていました。
まあ目的が「桜を助けること」であれば、完全な善意のみとか完全な内発性に支えられたクリーンなものでなくても良いという感じですね。
それに期待して結果的に実現しないよりは、多少人の欲を刺激する形の手法をとったとしても実現性を高めたほうがいいという程度です。
社会なんてそんなもんですから。
なんてなことを考えているとき、ふとレジャーシートの横を見ると電線コードのようなものが見えました。
「何かの整備のための機械かな」
などと思っていると、マスコミでした。
「おい…」
もちろん写らないように避けていましたが、まあマスコミが好きそうなネタであり、第四の権力のマスコミが動いてくれると、行政も重い腰を上げたりするのでどうか頑張ってくれなんてなことを思っていました。
「奇跡の桜」と呼ばれた桜
うーん見事に満開。
しかし見事に倒れたなぁ。
いかにも植物の生命力に関する感動モノ系で利用されそうな感じです。
でも、桜が元に戻るならどうぞ盛り上がって利用してください、という感じです。
この場所は昨年、夏目漱石全集を読んでいたところでした。
そういうわけでいつものごとくです。
「…ごめん」
といって根を触ってみました。
「まあ倒れるまでにある程度蓄えてましたから」
という感じでした。
で、そんなことをしているとおじさんに話しかけられ、
「すごいねぇ。倒れても満開で、感動するねぇ。奇跡の桜やねぇ」
などと完全にメディア洗脳的なフレーズを言われたので、桜を代弁し
「倒れるまでにある程度蓄えていたので、今年は花を咲かせられたんでしょう」
と桜の方を見ながら言うと気配が消え、
おじさんは返事もせずにスネて去っていきました。
僕はテレビも新聞も触れないので、この場に来て初めて知りましたが、おじさんのフレーズから既に「奇跡の桜」的な感じで報道されていたのでしょう、という推測が立ちました。
まあ、盛り上がってくれてそれで予算がついて現在は放置されている桜たちが元に戻れるのならそれでいいと思っています。
「メディアが取り上げずとも動けよ」と言いたくもなりますが、行政に期待はしてはいけません。
ダダをこねても動かせないというのはこんなところでも表れてきます。きっと誰かは行政に進言したりはしたと思いますが、一人二人の通報では大きな予算が要るようなことで利権が生まれないこと、特に継続した利権が生まれないようなことは原則はスルーします。
もちろん職員の中にはそうしたことに取り組みたいと思っている人もいるでしょうが、それも一人や二人では何ともなりません。そんなときの彼らの動かし方の一つは「メディアを使って大事にする」です。
もちろんそれでも動かない場合もあります。
本来の「べき論」で言えば、おかしいと言えるような点ですが、実質的に期待することはできませんし、依存していても現実は変わらないのですから、そうしたものへの依存度を下げていくしかありません。
これくらいの規模の被害なら、地域集団でなんとかなる程度です。地域コミュニティや地元企業が結束すれば何とでもなる規模です。
費用は必要になりますし、実際の復旧作業は外部委託が必要になるかもしれませんが、それに合わせて企業を誘致して出店料を集めるイベントやチャリティバザー、復旧完了イベントなんかを企画すれば地元企業と地域住民の結束が強くなったりして中央集権型の大企業に対抗できるチャンスでもありました。
まあ今回は既にメディアが動いてそちらの方向で動いたようなので良かったですが、これくらいのことは小規模集団でも何とでもなるなんてなことを考えていました(ちょうど社会学の本を読んでいたから思った程度です)。
哲学の道の黄昏(昨年は哲学の道の方に行きました)
植物の生命力
なお、本日ですが、我が家にて白菜が開花しました。
毎度のごとく冷蔵庫で瀕死になっていた感じですが、ぐにゃぐにゃの白菜に、「いける?」と聞くと「頑張る」というので、外に出すことにしました。
もう既に切り目は腐ってきていたので、侵食されている部分は洗ったりして、水につけて外に出しました。
ご覧の通り、元の本体はほとんど枯れています。
でもその脇から茎が伸びて花をつけました。
ど根性桜ならぬど根性白菜であり、奇跡の桜ならぬ奇跡の白菜です。
さらに言うと、この白菜を外に出す時に、「友達ね」と声をかけた芥藍菜の方は実を結びました。
12月上旬から外に出していたので、外に出したタイミングから考えても既に4ヶ月半近く生きています。まだまだ現役です。
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