相手の意識の乱れに少し振り回される疲弊

融通が利かないか、もしくは「さっき言っていたことと違いますが」とか「何度言ったらわかるのでしょうか」と思ってしまうような感じかのいずれかに出くわすことが多くなりました。 混乱といういうよりも意識の乱れ、精神の乱れの中、決まりきった方法論に固執するか、もしくはそのまま混乱を続けるかというような感じになっているような気がします。 狂人ばかりの中にいるとまともな精神を持つ者の側が狂人であるとみなされるように、狂っているのは自分の方なのかと思い、いろいろと流れを再確認してみたりしましたが、やはり狂っているのは相手であったと

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欠品への取り扱い

先日インターネットで友人への祝いの品を買おうと思った時、ひとまず注文をして配送完了を待つような感じだったのですが、「メーカー欠品」ということで、注文がキャンセルになったりしました。 ということなので、その店舗以外の店舗で再度同じメーカーの別の品を買おうとすると、再び「メーカー欠品」で注文がキャンセルとなりました。 「いいかげんにしろ」 ということで、もうそのメーカーは外すことにしました。もちろんそれら店舗での購入もなしとなりました。 両店舗の方もおとり広告みたいに商品を掲載せずに、品切れ中にしておけばよいのではない

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微かでも大きな果報

因果応報という言葉は、どうしても胡散臭いカルト宗教などに利用されがちです。なので、あまり使いたくない感じがしますが、比較的最近、父から聞いた話で気づいた、しんみりした微かでも大きな果報について触れていきます。 うちの寡黙な方のおばあちゃんが存命の頃、二人でよく食事に行きました。おばあちゃんは、特にグルメであるとかはしゃいで騒ぐという感じではなく、静かに黙って食べるような感じでした。 十代の頃、おばあちゃんも含め家族数人で行った時に、ほとんど黙ってふんふん言いながら、食事をする他の家族の姿を見るおばあちゃんを指して、

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偶然への気付きと必要なき裏付け

生きている中で起こる全ての出来事には偶然の要素が含まれています。この偶然とは思考の範囲外、自我による想定や判断の範囲外という意味くらいに考えていただければ良いでしょう。 自分が努力したからとか、努力しなかったからとか、才能があるとかないとかいった印象はアイツこと自我の判断であり、すべての要素を分解すると偶然要素がふんだんに含まれていることに気付きます。 また、願いのようなものが叶っているかいないかという点について、「特定の何か」に限定して「考えて」みると、叶っていないような気にもなりますが、抽象的な幸せに関しては、

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今すぐにはどうにもできないことへの評価

世の中には、外見や身分のようなものを判断材料にしている人がそこそこいます。その方が手っ取り早いということなのか、一種の恐怖心から「あちら側、こちら側」という壁を作るような感じで、時に拒絶し、時に許容します。 しかしながら、とりわけ身分的なものとして「今すぐにはどうにもできないこと」がたくさんありますし、直近の状況だけでその人の一生、全人格を評価することはできません。 そして「だったらどうなんだ?」としか思えないようなことを評価対象にしていたりします。その奥には「そうならば自分は経験済みでその全体像がわかるが、そうで

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「大人になったらわかる」というような言葉

世の中では、事あるごとに「大人になったらわかる」というような言葉を使う人がいたりします。たいてい脳筋体育会系に多いですが、世のほとんど全てのことは「ならなくてもわかる」というのが本当のところです。 この「大人になったらわかる」といったタイプのセリフは「一人暮らしをしたらわかる」とか「社会人になったらわかる」「部下を持てばわかる」とか「親になったらわかる」「子を持てばわかる」といったようなものになります。まあ一種の先輩ヅラというか先人ヅラというか、といった感じですが、「先輩を敬え」的な脳筋体育会系の儒教的な感覚がふん

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新しいPC環境

最近、新しいデスクトップPCを買ったりして、PC環境を大きく変えてみました。元々、物は長く使うどころか基本的に潰れるまで使うため、既にサポート終了済みのWindows7を長らく使っていましたが、今さらながらWindows10が入っているデスクトップPCを買いました。ということで覚え書き程度に記しておきます。 CPUは少し前の世代のCore i7で、メモリは中途半端に24Gです。そして今回初めてSSD搭載のPCにしてみました。 「クソ速い」 のひとことです。 以前のHDDのPCは起動に時間がかかっていましたが、今回の

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「雑」の極みとしての発想

世の中には驚くほど雑な人がいます。近年では「失言」として取り扱われたりして後で撤回ということもよく起こっていますが、根本的にそうした失言は「うっかりしてたなぁ」といったものでもなんでもなく、本心から出た言葉であるというのが本当のところとなっています。 相手や社会のことはお構いなしで、自分の感情に正直、そして、偏見に満ちており、思ったことをすぐに口にするといったような感じで「雑」を極めていたりします。そして自分に都合の悪いことには耳を貸さない、というより聞こえていないふりをしたりします。 まあ一種の「種としての生存戦

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社会人としての職業観

社会人としての職業観ということで、社会における職業についての「自分の原型」について軽く触れてみましょう。 なんだかんだで公私ともに職業選択のご相談を受けることがよくあります。そんな中、いつもほとんど参考にならないと思うような答えを返しています。 なぜならその人にはその人の個性があり、違う経歴を歩んだ僕ひとりの思いなどほとんど役に立たないはずだからです。 しかしながらよくそうしたことを聞かれるので参考程度に書き記しておきましょう。 モデルはブラックジャックと萬田銀次郎 僕の社会における社会人としての職業観の根底にある

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雉鳩 キジバト 山鳩 ヤマバト 鳴き声

雉鳩(キジバト)・山鳩(ヤマバト)の鳴き声

家の裏によく山鳩くんがやってきます。片足を悪くしているのですが、どうやら元気そうです。最近若いメスを連れてやってきたりしています。 さて、この山鳩(ヤマバト)こと雉鳩(キジバト)の鳴き声についてですが、様々なところで見かける音の表記やリズムについて少し違和感を感じていますので、個人的に観察した結果を記しておきます。 雉鳩(キジバト)・山鳩の鳴き声は、ホーホーホホー、ホーホー ホッホー系なのですが、本来は数種類あります。そしてこの鳴き声の「音声・音韻表記的な点」についてもちらっと触れておきます。 なお、鳩は鳩ですが、

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祝七周年

本ブログも七周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1942記事目になります。今回も祝六周年の時と同様に、単純に祝七周年というタイトルです。 祝六周年の時は1775記事だったのでこの一年で170弱の投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。 アクセス状況 この一年でこのブログにやってきた人の数は、170,737名ということのようでした。その前の

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「無知の知」による迷宮からの脱出

一度哲学的領域に入ってしまうと、ソクラテス的な迷宮に入り込んでしまうことがあります。それは「無知の知」のような一種の納得せざるを得ないようなものを通過すると、社会生活等々がままならなくなってしまうというような現象です。無知の知そのものは、それはそれで概念としての空性であり、ある種の理として「それそのもの」という感じになりますが、そうした正しさがあると、混乱から迷宮に突入してしまうことがあります。 これは端的には、「定義できないのだから何も示し得ず、示し得ないのであれば、それらをもって何かを示すということは成り立たな

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動物と暮らすための感性の発達

言語習得の臨界期(Critical period)のように、動物と暮らすための感性の発達にも臨界期(感受性期)があるような気がします。 まあ言語習得の臨界年齢のように、その時期が向いているというだけで、その後も一応無理ではないという感じはなりそうなものですが、「よほどのショックが起こるか、よほど工夫をしないと難しい」という感じになりそうなものです。 そんなことをふと思ったりする要因のひとつは、幼少期に動物と暮らして世話をしたことがない人が、大人になって動物を迎え入れた時に、結局動物を世話しきれずに引き取ってもらおう

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知足と空性と「充足への移動」

知足、「足るを知る」について触れていきます。その意味について至るところで様々な解釈がなされていますが、まあそれだけ抽象性があるということになるのでしょう。ただ一応ここでは、仮観の内にある俗物の解釈を超えて智慧により「足るを知る」を捉えていきます。 つぶやき程度ですが、知足について「吾唯足るを知る」というものは、吾唯足知・吾唯知足と書かれたりします。この表現は国産のものであると考えられるので、レ点の問題だけだと思っています。知足は、大乗の仏遺教経における「知足之者」や「老子」などで出てくるものですが、老子の「知足者富

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ゼロの錯覚

求めても得られない苦しみである求不得苦には様々な要因がありますが、「ゼロの錯覚」こそが求不得苦をもたらす最たるものであり、無駄な苦しみを生む要因の一つとなっています。大切なものとの別れからくる苦しみである愛別離苦についても同様です。 「ゼロ」は、数学的には偉大な発明であるものの、この心にとっては求不得苦や愛別離苦をもたらす要因でもあります。 不足感の正体はゼロを想起するというところにあります。 「ゼロ」という概念は数学的空間の中にだけあり、現実においては、記憶の連続性の中での記憶や想像とのギャップがあった時に想起さ

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オンライン会議を原則拒否

僕は一応、オンライン会議を原則拒否しつづけています。 画面共有など、よほど意味のあることであれば繋ぎますが、いつも「電話くらいでいいだろう」とか「まとめて文章化した方がいいだろう」と思っています。 最近では営業メールですら「某ツールでご説明させていただきます」的な感じのことが書いてあったりします。 しかし、そうしたものを見るたび、「時代に適応してますよ」アピールにしか見えません。それが一種のモテ意識なのか、「時代に適応しています。だから見捨てないで」というようなものなのかはわかりませんが、そうしたものを使うことに本

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うさぎの絵について

うさぎの絵に関して、名実共に最高峰にいるのはピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポター氏であると思っています。 「誰よりもうさぎのことをわかっている」 という感じがします。 うさぎなどの動物とずっと暮らしていた上に、亡くなったうさぎの骨まで確認していたというポター氏。 ということでやはり骨格や筋肉のつき方を捉えているということが、生き物の絵を描くにあたって一番大切なのでしょう。 そういえば、芸大で教鞭を取っている友人が言っていましたが、基礎デッサンを教えているときに、特定の動物を指定すると、教え子さん達の完成物に

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事後処理的な発想により見えなくなるもの

先日、年末調整にかかる業務をしながら、改正された所得税関連について色々と調べていた時のことです。 一応念の為にと、様々な改正内容を概説したような記事を読んでみたのですが、その記事に次のようなコメントが付いていました(別にそうしたものを見たいわけではないのですが…)。 「こんなこといちいち記事にしなくても計算ツールで全部出てくるわ」 それを見た瞬間 「ぷっ」 と吹いてしまいました。 まあ言いたいことは分かりますが、やはり結局「事後処理的なことしか頭にない」という「格差」を感じてしまいました。 事後処理のみであれば確か

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意識を先に置いたり分散させること

車の運転と同じように、視点は遠い方が安定し、またたくさんの方向をちらほら確認している方が安全に歩んでいくことができます。 あまりに手前の方ばかり見すぎると、感情が大きく揺れ動いてしまい、まさに動揺してしまいやすくなります。 既に無意識的動作となっている運転動作と同様に、日常のすべてが「無意識的有能」以上の領域になると、憂いはどんどん減ってきます。ただ、リスクがすべて消えるわけではないということを踏まえての「憂いのない運転」のような感じになります。 日常の9割以上は、遠くに視点を置くだけで基本的な感情の動揺はなくなり

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生き方を全肯定されてきた雑な人がクビになる日

「生き方を全肯定されてきた雑な人がクビになる日」ということで、友人の勤め先でクビになりかけている新入社員の人を中心に社長が従業員をクビにするという決断について少しばかり触れていこうと思います。 端的には、「弱者に優しく」という風潮に保護されすぎて、給与をもらいながら「私が教えてあげますよ」と自信たっぷりな「生き方を全肯定されてきた雑な人」が、様々な責任を負う繊細な人々、そしてそうした人達が試行錯誤の上に築き上げてきた領域に対し、その雑さによって土足で踏み込んでいく様とそうした侵食に対して働く浄化作用であるクビという

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但し書きがつくような新しい分類

学者は、自然を殺し解体して理解しようとし、天才は、自然を新しい生きいきとした自然によって増大しようとする。 (反時代的考察 Ⅲ 6) そんなことをニーチェはよく言っていたような気がします。 また有名なものとしては次のようなものもあります。 私はすべての体系家を信用せず、彼らを避ける。体系への意志は正直の欠如である。 (偶像の黄昏 箴言と矢 26) 共に原佑氏訳 一般的な概念かのように知れ渡ってしまう概念たち 近年、キーワード中心の注目の浴び方が増えてきてからというもの、売れていない学者が新しい概念をすぐに作り(単に

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タイムカードに関する張り紙について

「キャンペーンを一通り確認してからタイムカードを切りなさいという張り紙」について質疑応答コーナーにて軽く触れておきます(全く関係ないこともありませんでしたが、いただいたコメントの対象投稿が一応テーマ違いであるため、こちらに移動しました)。 なお、一般論にしか触れず、個別具体的な法律内容には触れませんのであしからずご了承ください。 キャンペーンを確認してからタイムカードを切りなさいという張り紙 ぼっすーさんこんばんは。 今回は法律に関する相談です。 私は今、某有名チェーン飲食店でアルバイトをしています。 アルバイト先

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心とは何か

「心とは何か?」ということについて様々な議論があります。しかしながら、あまりに定義し難い対象であるため、どのレベルで定義するかによって、いかようにも定義できてしまうのが心です。 「心とは一体何なのか?」 その答えを示すのであれば、端的には次のような定義を示すことができます。 「受け取る働き」 「認識する機能」 「受け取る点」 そしてその上で、なぜそのように心とは何かという問いに対するひとつの捉え方をするのか、そして、そうした場合、何が見えてくるのかという点について、哲学的にかつ一般的に示しつつ、最後は智慧により語る

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新年 2021

みなさまあけましておめでとうございます。 2021年になりました。 元日は日が変わった瞬間から早速白味噌の雑煮を食べました。 今年は年が変わる直前までうたた寝し、年が変わる5分前に半分くらい目覚め、夢うつつに「自賠責保険の更新ついでに電動自転車でも見に行こうか」などど思いながらむにゃむにゃしているうちに2021年を迎えました。 丑年ということで… さて、今年は丑年ということなので、早速25番に登場してもらいましょう。 そしてついでと言ってはなんですが、こちらは昨年出会った仔牛です(授乳中)。 … そういえばこの仔牛

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