才気を隠す

だれかがその才気をわれわれに隠す現場を取り押えると、われわれは彼は人が悪いという。しかもお愛想と博愛のために彼はそうせざるをえなかったのだ、とわれわれが邪推すると、なおさら一層そういう。 曙光 390

能ある鷹は爪を隠す」と、散々言ってくる仕事のできないおじさんがいました。

そんな言葉を説きながら、同期の社員がえらく出世したおかげで口利きで多少出世させてもらったという実績を持つ人です。

「一体あなたのどの面が『能』なのかね?」と言いたくなるほどです。

京都人的な発想ですが、「能のある鷹は自分からそんなことを言わない」とでも言いたくなります。

まあ一種のルサンチマン的な発想で、仕事の業績だけではない部分で自分には能力がある、とでも言いたかったのでしょう。

「人の価値はそんなところじゃなくて他にあるんだ」

という解釈変更です。

営業部なら営業成績が悪い割に自分には経験があるとか、仕事が遅いだけなのに「誰よりも丁寧にやっている」というような感じで自分基準の能力を人に主張しています。

「自分には能力がある」と人に言いふらしていく場合、実はいくつかのパターンに分類されていきます。

ひとつはこのおじさんのようにルサンチマン的であり、自尊心の回復のために吹聴する人、そしてもう一つは、本当に自己洗脳されている人です。そしてさらに言えば、自然に自分でそう思っている人が人から聞かれた時に言うというケースですが、今回は、「言いふらしていく人」ですので、2つに絞ります。

「調子に乗るな」を丁寧に言う時

先ほどのおじさんの例で言えば、「能ある鷹は爪を隠す」ということを言う場合、ルサンチマンの典型例として解釈変更、フィールド変更を行って、自尊心を回復しようという動機と同時に、相手に対して「調子に乗るな」という「潰し」的要素が含まれています。

というのもそのおじさんが、「能ある鷹は爪を隠す」というときはパターンが決まっていたからです。

「能ある鷹は爪を隠す」に秘められた意図

だいたいその人より若手の人が良い成績を残して、飲み会なんかで成功事例を語っている時によく出てきました。

おそらく「調子に乗るな」を丁寧に言っているのでしょう。

「調子に乗るな」と言っても、自分は成績が悪いのだから説得力がありません。

だからことわざなんかを使って、相手を攻撃し、相手を下げることで相対的に自分の自尊心を高めようとしたのでしょう。

そして推測の域で「自分には能力があるんだ」ということにしています。でもフィールドは他のフィールドに変更されています。

「長年の経験」

という風に。

見晴しのきく場所は、同時に見られやすい場所でもある

自己洗脳されている人

あともう一つのパターンは、本当に自分自身で洗脳されている人です。

「自分には能力があるんだ」

と人に言っていくことで、そのとおりになるという自己啓発などにハマってしまった人です。

まあ確かに、消極的になるよりはその方がまだマシです。

本当に自己洗脳が完成していたら、普通の人がたじろくようなことも「私ならできる!」と手を挙げていきますから。

ただ、そこに自己欺瞞が1パーセントでもあれば、あとで崩れ去る可能性があります。

その時、周りに「自分には能力があるんだ」と吹聴していた分、苦しくなってしまう可能性があります。

「能ある鷹は爪を隠す」という言葉

相手を油断させるという兵法的な感じで使う分にはいいですが、変に「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を聞いて、「調子に乗るな」と自己評価を下げられるくらいなら、「自分には能力があるんだ」と自己洗脳状態にある方がマシです。

ただ、そんなことを周りに言わなくても「そんなことは当然だ」というレベルにまで達するに越したことはありません。

走馬灯の如く思い返す太公望

能ある鷹は爪を隠す

才気を隠す 曙光 390

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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