こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか

「こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか」という風習はたくさんありますが、「いつまでも黙認されている理由」としては、「どちらでもいい」という要素の中、取り留めて被害も少なく、反証材料もないという感じのもの、そして、「採用するにしろしないにしろ、その前提となる全体の構造が不明瞭」というような部分があるような気がします。

「誕生日を祝う」ということすら、祝うということが何なのかよくわからない部分があります。しかしながら、基本的には喜びに即したものであり、費用などの面でも大したことはないのでとくに問題になりません。

誕生日を祝うという行為

厳密に考えると、誕生日を祝うという行為は一応、その祝い方などで誰かを差別的に扱うことになってしまったり、「祝えなかった」ということで、悲しみや怒りを生み出すものにすらなります。

また「誕生日だから祝いの品か金をよこせ」とか、「相手は誕生日なので手ぶらは何だか悪い」というようなことも起こります。

しかし、それらの全てが、それほど大したものではないので、それほど問題視されることはありません。でも少なからず問題になる要因は含んでいるので、諸手を挙げて良いものとすることはできません。

しかしながら、僅かばかりの問題のタネを孕んでいるからといって「全面的に禁止すべきもの」というわけでもありません。

黙認され続けるクリスマス

そのような感じで、大して問題にならないものとして、黙認されているものがクリスマスです。

かなり前に投稿したクリスマス被害者の会で触れていましたが、宗教絡みの割にさほど問題にならないということで、意図せずしてか12月生まれの人たちを蔑ろにする「クリスマス」というものがもう少しするとやってきます。

何かしらプレゼント的な物を買おうとしようものなら、雑な人々が口を揃えて「クリスマス用ですね」とか「クリスマスプレゼント用の包装にしておきますね」などと言ってきます。

聞いてきたりしている分にはまだいい方ですが、強制的にクリスマス仕様にされたりもします。どれだけ雑なんだという気がしますが、雑なので仕方がありません。

僕はおもちゃなり何なりを買ってもらえる口実として有効的なクリスマスを、小学生の頃から拒絶し続けてきました。

その理由は、以前の投稿で触れたとおりです。

そういうわけなので、今までお付き合いした方々を含め、一度もクリスマス祝いみたいなことをしたことがありません。

もちろん今後もすることはありません。

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