顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい

何かしらの犯罪に関しては、「顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい」というのが常であり、赤の他人に対するものであれば、実利だけが目的とされるものの、顔見知りに対するものであれば怨恨というものが含まれるからということになるでしょう。

実利の部分が金品なのか、愉快犯における愉快さなどの無形のものなのかはわかりませんが、赤の他人を標的にしたものであれば、そうしたものを獲得することが目的であり、なるべく無駄なことをせずにリスクを低減したいということは当然という感じです。

というのが基本でしたが、僕たちが中学生くらいのときから「変な事件」がよくクローズアップされたりしました。

赤の他人に対するものが「動機不明な感じ」で残虐性を増したということになるのでしょう。

まあ動機が不可解というふうに思われたりはしていますが、情報との接触の仕方とか情報の浴び方が、それ以前とは異なるので別に不可解でもなんでもないと当時から思っていました。

しかしこうした物の構造は、本当に客観視して考えねばそうした面は見えてきません。

そういえば少し前、大規模な放火事件がありました。

そうした時、もちろん被害者側は被害を受けているだけということになりますが、動機発生に関して言えば、被害者が直接形成したものでなくても、そうした業界や社会全体が営利と引き換えに野放しにしていた膿が原因となっていることは否めません。

個対個で考えれば、加害者と被害者という明らかな構造になりますが、被害者が直接の原因を作ったのでないにしても、何かしらそうした業界や業界の文化、その周辺にある社会環境や社会制度が狂気を生み出す要因を作っていて、それを営利と引き換えに野放しにしていたという面を居直ることはできません。

現代においては、仮想空間を含め「情報」という空間の方にリアリティを感じる傾向が強くなっています。

ということで、「顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい」ということから考えてみれば、犯人に対しての被害者は、直接の顔見知りということではなくとも、「何かしらの象徴」という意味で顔見知り的な扱いになっているということになるのかもしれません。

情報という空間の中で生じた「操作できない」という苛立ちが、現実的な物理空間での狂気を生み出したということにもなるでしょう。

Category:笑う月

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