選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない、ということで、やることが決まっている場合は脇目も振らず突き進むことができるので、事がうまい具合に運んだりします。

もちろんその方向が誰かに恣意的に設定されたものであるならば、ロクでもないことになるのは明白ですが、複数の選択肢や可能性があるゆえに迷ってしまうと、足踏みしてしまうことになりかねないということにもなります。

何かしらうまい具合に事が運んだということは良いですが、その一方で一度何かしらの成功を味わってしまうと、自分の中の可能性が広がってしまい逆に選択のストレスを味わってしまうことにもなるという面も潜んでいます。現象は良い面と悪い面を含んでいるということの良い例です。

「他の可能性の想像」による迷い

浅い話になりますが、恋愛結婚と見合い結婚の差異としてたまに語られるのが「他の可能性の想像」による迷いの有無です。恋愛結婚の場合は、一応自力で相手を見つけているので、逆に「もしかしたらもっといい人が」ということになりやすいためふらつくということも起こりうるというような感じです。

もう一方の見合い結婚の方は、ある意味で自力で相手を見つけたとか、それほどの恋愛的情熱を持てたとか、恋愛から婚姻に至るまでの道筋を作れたというような経験はないですが、ある意味で「また他の人を探せばいい」という発想は生まれにくいという感じになりますし、恋愛的なワクワクを求めてということも起こりにくいという感じになるでしょう。

同じような構造として、自力で仕事を見つけた人と、いきなり家業を継いだような人との差異として、同様の心の動きの違いが生まれるという感じなるでしょう。

男兄弟の弟

そのような感じで、「選ぶ道がなければ、迷うこともない」ということで、個人的に印象にあるのが、男兄弟の弟くんです。

もちろん家庭によって状況や関係性は異なるでしょうが、だいたい「兄の成功と失敗」を見ながら道を決めることができるという感じになるので、兄と弟では選択や決断、そして実行に大きく差が出てくる感じに見受けられます。

「冒険はしないものの、道が決まれば驀地」というのが弟くんの悪いところであり、また良いところだと思っています。

友人知人を見渡しても、男兄弟の弟くんたちは、兄を模倣してとか、友人等々誰かに誘われて、といった形で、あまり自分で冒険して見つけるということはしないという感じですが、その分、道が決まれば脇目も振らず突き進み大成するというふうな印象を受けています。

飛び込んだり道を選んだりすることで消費するエネルギー

初めてのことや情報が無いことに飛び込むということと道を選ぶという事自体がかなりの労力を要すため、そちらでエネルギー切れを起こすことがあります。

狭い枠組みに居残るという必要はありませんが、大半の疲弊は「可能性」ゆえに妄想がもたらした迷いの疲弊です。

自分の意識の中を含め、情報を集め、整理し、鳥瞰し、取捨選択を思い切ればそうした疲弊もあまり起こりません。意識の中の何かが制限をもたらしているのと同時に、可能性による迷いによって意図のエネルギーを分散させてしまっているという部分も潜んでいたりします。

そうした性向は、兄弟のポジションによってある程度癖づいていたりします。ということで、いつもと同じパターンで「疲れ」が出るなら、「いつもと違う方」に挑戦してみるというのもいいのかもしれません。

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