西に沈む日に、宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも

夕暮れ時ともなると、世間は慌ただしく「さあ帰るぞ」という感じになってきます。

仕事をしている人、旅行に来ている人、買い物帰りの人、いろいろな人が慌ただしく渋滞を作ったりしている中、公園で養子のうさぎと遊んだ後、彼を抱き上げて「さあおうちに帰ろう」という感じになる瞬間は、ゆったりとしていて、また優雅なものでありました。

そういえば人によっては既に長い盆休みということで帰省のシーズンです。両親とも京都であるため帰る場所がないということが昔から続いています。なので、お盆や正月に帰省するという経験がありません。

個人的に行列に並んだり、渋滞覚悟で何処かに向かうということをすることがまったくないので、そうにまでして行くという感覚があまりよくわかりません。

ただ幼少期のことで言えば海辺にある遠い親戚の家に行ったことが強く印象付いているので、そうしたふんわりした感じを求めて渋滞覚悟で向かうという感じになるのでしょう(遠い記憶が蘇る高台)。

真夏の西日

真夏の西日は、自然的な「生きている」という疲労をもたらします。それは力への意志を感じさせるものでありながらどこか物憂げで、走り出したくなるような、でも、走りたくはないような感じをもたらしてきます。

夕暮れの判断には、気の迷いのようなものもありながら、また、一方で疲労による的確な取捨選択の要素があったりもします。

「さあやろう」という意図と「急ぐことはない」という意図が入り混じり、荒くはなくとも濃い鼻息が、灼かれた虚空と入り混じります。

そしてそれが極まると、

「西から昇ったおひさまが東へ沈む」とつぶやきながら、ゆったりと歩みを進めることになったりします。

西に沈む日に、宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも。

ゆったり歩む夏の空。

Category:菊花の約

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