第1400回投稿記念

これで1400記事目になります。ブログ創設から1400回目の投稿ということで「第1400回投稿記念」です。

前回の第1300回投稿記念は、2018年10月19日で、前回からの100記事は、40日ちょっとくらいかけて投稿したという感じです。なんだかんだで長文のものも結構ありますが、比較的短期間で100記事を迎えた感じになります。これは、書庫の心理学を増設したということ大きく影響しています。

さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。

また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。

それではおなじみのアクセス解析から見るアクセス状況から投稿記念の回を進めていきましょう。

アクセス状況

前回からあまり期間が経っていないので、この半年のアクセスの伸びをその前の半年と比較して見てみましょう。

2018/06/01-2018/12/01

比較: 2017/11/29-2018/05/31

ユーザーさんの数

今期間 94,348

前期間 42,330

単純に二倍以上になっています。

ある時期から急にアクセスが倍増したという感じです。最近また釣りページを増やしたのでそれが評価されだすとまた増えていくのかもしれません。

ではついでにこの一年間のユーザーさんのエリアについてでも触れてみましょう。

アクセスが多いエリアは順に東京、大阪、神奈川、愛知、埼玉、千葉、京都、北海道、福岡、兵庫という並びでした。

参考までにユーザ数と全体に対する割合をトップ3だけ掲載しておきましょう。

  1. 東京 37,769(27.31%)
  2. 大阪 22,171(16.03%)
  3. 神奈川 15,843(11.46%)

こうして見てみるとトップ3のエリアの合計だけで全体の半分以上を占めているんだなぁということがわかります。

あまりあてになりませんが、年齢層としての分類による割合は次のような感じでした。

  • 25-34 (30.23%)
  • 35-44 (24.25%)
  • 18-24 (22.73%)
  • 45-54 (12.42%)
  • 55-64 (5.76%)
  • 65+ (4.61%)

男女比は、女性 50.83%、男性 49.17%と約半々です。

閲覧環境は、年間ではmobile(71.69%)、desktop(21.85%)、tablet(6.46%)といった様子ですが、直近ではモバイルの割合が80%を超えていました。やはり年々モバイル端末の割合が増加しています。

ということなので、モバイル用に使い勝手を良くしていこうかなぁなんてなことも考えています。

ただ平均的なPV数でいうとデスクトップ端末の場合のほうが圧倒的に多いという傾向になっています。

サイト内検索

さて毎度おなじみサイト内検索です。

今回はこの一年間で数が多かったものから触れていきます。

  • 復縁
  • 時間
  • 未来
  • 営業
  • 自信
  • 集中
  • うさぎ
  • 恐怖
  • Z会
  • 面接
  • 錯覚

こんな感じのものが多かったという結果になりました。

カタカナパターンを含めると最も多かったのは「うさぎ」でした。うさぎに関するまとめページを作ったほうがいいのかもしれません。

なお、年間で3722回サイト内検索をご利用いただき、ワードパターンとしては1338ワードという感じでした。

さて、では前回から今回までの間のサイト内検索やその中で面白かったものについてでも触れていきます。

期間が短かったので数が少なかったのですが、仏教系を増やしたせいか、「ブッダ」や「龍樹(ナーガールジュナ)」「仮観」「因縁」あたりが最も多い感じでした。

そんな中、笑わせていただいたものとしては

  • ケアル
  • 私じゃない

くらいでしょうか。

もちろん心理学系のワードも多く、またスピリチュアル関連も多い感じでした。

まあサイト内検索は一種のリクエストだという感じで捉えておいて、また適当に組み合わせて何かを書き出すかもしれません。

さて、それでは投稿記念の回としていつもと違った感じで進めていきましょう。まさに雑記、散文的な感じでお送りします。

インターネットへの疲弊

まあコンテンツが量産されるようになってから、全体的な品質がどんどん落ちてきているインターネット空間ですが、その中でも何より嫌気がさすのがイメージ写真としてよく使われている無料の「外国人の写真」です。

画像で評価をごまかしている程度の理由しかなく、画像の用意すらも無料のもので、しかも「外国人の写真」を使っているという感じになります。

「なんでこんなタイミングでパラシュートを楽しんでいる外国人を見せられねばならないのだ?」

という気分になってきます。

ということで、本サイトを運営したりはしていますが、ユーザーとしてインターネットを利用することはあまりありません。

今の時代に良質な情報に辿り着こうとすると、口語で繰り広げられている「スレ」の中から砂金を見つけるように探さねばなりません。しかしそれすらも面倒なので、インターネットから離れて人と話したり本を読んだりしています。

初めてインターネットに触れたのが中学生の時だったので、もう既にインターネットを利用して20年以上が経っていますが、この段階でインターネットに終わりを感じてきています。

まあ買い物を含めたビジネス利用などはまだまだいけると思いますが、「楽しみ」としてはもう終わりに近づいているような気がしてなりません。必然とも取れますが、広告収入や売名行為にとらわれた人たちが空間を汚していった末路という感じになるでしょう。

何事も「便利になるアイデア」というものが評価されたりして、時代はその流れの方に向いていきます。それは止めることができません。

しかし確かに「急いでいる場合」にはありがたいような製品やサービスは、時にリアルなコミュニケーションを削ぎ落としたり、思考鍛錬の機会を奪っていくことにもなります。

その分だけ何かで補っていかねばならなくなるのならそんなに焦らなくてもいいのではないか、とも思いますが、「急いでいる人たち」にとってはその速さがありがたく、その速さに合わせるように環境は変化をしていくのでどうしようもありません。

そのスピード感はいいですが、やはり無意識に保持したような不安感がどこかしらにあることを忘れてはなりません。

それは、例えばスマートフォンに全てを詰め込むということをしたほうが便利といえば便利ですが、やれ故障したとか充電がなくなったという時に代替手段まで無いとなると本当に困ってしまうという点がわかりやすいのではないでしょうか。

現金を一切持たない感じでスマートフォンを利用した電子マネーに依存していた場合、機器が故障したりすれば外出先で困ってしまったりします。

そういうわけで「突然故障した場合はどうするんだ?」ということが絶対頭によぎるはずです。

僕のインターネットへの疲弊の要因の一つはそのような点も含まれています。

何でもかんでも便利にということはいいですが、あくまで「本来は人と人とがやり取りするのだ」ということを忘れて全てを機械に依存していくと、トラブルのリスクへの予防や対応を含め、「サービスの本質がどこかにいってしまう」という感じのことを思っています。

特に近年はマニュアル通りの対応しかできないスタッフの方が増えてきたような感があるので、義務教育的に、共◯党的に「ネット上からお願いします」なんてな返答ばかりされていきそうな気がしています。

そして、例えば停電なんかが起こった場合でも「復旧してからインターネットを通じて申請してください」なんてなことを言われてしまうような世の中になりそうで嫌気がさしています。

電話申込などは受け付けてくれず、その上で申込期限があって間に合わなかったという場合であっても「規則ですから」と返されるような世の中です。

奥にある理由が読めない人たち

そう言えば、先日、製品を購入してそれに不具合があって、代替品と交換したりもしたものの、結局また不具合が生じたりしたので返品することになりました。

返品しにお店まで出向いたのですが、購入時の担当者の人は席を外していて、別の若い担当者の人が対応してくれました。

すると淡々と事務処理をするような感じで「返品の処理をすればいい」というだけの対応でした。

そんな中、僕と同い年くらいの「元々の担当者の人」が戻ってきて、強烈に平謝りという感じの対応をしてくれました。

別にその人に非があるわけでもないですし、怒ってもいないのですが、僕としてはそれくらいの対応が普通だと思っています。

しかし、若い担当者の人は「なんで上司はこんなに謝っているのだろう、その理由がわからない」という感じで怪訝な顔をしていました。

「え?返品の手続きしたらいいだけでしょ?お金も返すんだから別にいいんじゃないの?」

という感じです。

製品を購入するまでの間に形成された親和性や信頼を結果的に裏切る形になってしまったということ、欠陥品を返品するためにわざわざ時間を使い足を運んだということ、そしてこの件でせっかく築けた関係が壊れてしまうこと、そうしたことが申し訳なくてという感じで元の担当者の人は謝っていたのでしょう。

それは一種の悲しみでもあります。僕も残念でした。

もちろん担当者の人が悪いわけではないのですが、もうその会社の製品のことは信頼できないようになってしまったということで、その人との縁もそこで終わりのような気がしました。

そんな感じで二人の担当者の人の間にあったコントラストがすごかったので、もし「若い方の担当者の人」がインターネットだけで全てを完結するような仕事を担当した場合、もうどうしようもないような世の中になりそうな気がしました。

まあそうはいっても必要最低限しか社会とは関わる気がないので、特に期待も怒りもないという感じになっています。

もちろん会社ではそんな「若い方の担当者の人」のような人は雇いませんし、取引相手なら取引中止を伝えて終わりにしますから問題にはならないという感じです。

発想が公務員

まあ特に若い人たちに限ったことではなく、どの世代にも一定数そんな人はいるのでしょう。

以前に置き引きに遭った時にキャッシュカードを止めるため、発覚後すぐに電話したら「キャッシュカードの番号をお伝え下さい」と言われたりしました。

「いま盗られたばっかりなんですけど」

という感じです。

せめて「通帳など、番号がわかるものをお持ちでしょうか?」なんてな感じで先に聞いてみたらいいのに、と思います。

結局その時は「お前では話にならんから上司を出せ」といって、生年月日と氏名、そして住所から検索で見つけてもらいました。

「結局それでわかるんやないか。ほな最初のアイツの第一声は何やねん。お前んとこだけやぞ、そんな公務員みたいなこと言ってんの」

と言ってやりました。

また、これもかなり前になりますが、以前会社のインターネットバンキングの口座が、なぜか複数回の暗証番号エラーで停止していたことがあります。

3回位連続でログインに失敗すると停止するというやつですが、考えてみれば、誰かが適当に番号を入力して、ログインを試みることもできるのです。

利用しようと思ったら止まっていたので、コールセンターに連絡してみると、書類に届出印を押して、仮パスワードの再発行をしなくてはならないというのです。

「誰かが勝手に試みたんじゃないの?」

「しかし、既にロックされていますので」

「わざわざ窓口に紙を取りに行って記入しなきゃならないってさ、まるでうちの責任みたいじゃないか」

「しかし、既に3回ログインエラーが起こっていますので」

「じゃあ、うちがログインミスをしたっていうログ出せよ。

ログインエラー時のIPを出してみろよ」

「…」

「誰がやったのかわかんないわけでしょ?

でも窓口に出向くのはうちなんでしょ?

その手間ひとつでも従業員の人件費がかかんのわかってんのか?」

「…」

「ほんま発想が公務員やなぁ。公務員思考のお前らに何言っても仕方ないんやろ。いずれ解約するとして、とりあえずは窓口行くわ」

「はい」

「根本的な考え方のミスやで。設計する時のな。

IDは数値の法則が見えるから適当に入力できるやろが、それでダメ元でログイン試行もできるやろが。

そうされる中、何で何も悪ない正規の利用者が責任負わされなあかんねん。そんな手間かけさせるんやったらせめてそのIPからのログイン試行をだけを止めるとか、一定時間はロックするだけでいいんとちゃうの?

何が『窓口に行ってください』や。気軽に言うな。

企画したやつ開発したやつに『アホ』言うといて」

という感じで終わりました。もう既に過ぎたこと、過ぎた感情はどうでもいいのですが、また同じことが起こるのは嫌ですからね。

で、書類でのやり取りとなると郵送期間等を含めて復旧には数日かかるわけです。

すると、例えばその間に送金する予定などがあり、営業時間外に送金手続きをする予定だった場合、謎のログインのロックのせいで日中にまた店舗まで行かねばならなくなるということで予定が狂います。

そういうわけでインターネットは信用しきれないという感じになります。

たくさんのうさぎと触れ合って

さて、散文の傾向にある投稿記念の回ですが、夏から秋にかけて群馬や神戸でたくさんのうさぎに会いました。

そこで気付いたことはやはり「養子のうさぎのことが大好きなんだなぁ」ということです。どのうさぎに会っても養子のうさぎほどの気持ちにはなりませんでした。

もちろん可愛いのですが、やはり個性を知っている分だけ彼への思いがあり、彼と接する時のような感覚はもう味わえないのだなぁという感じがしました。

また、面白かったのが羊たちもたくさんいるとみんな顔が違い、個性にあふれているというような点です。うさぎについては顔の見分けがついていましたが、羊たちもみんな顔が違うんだなぁという感じのことを実感しました。

そしていろいろなうさぎと触れ合ってみて面白かったのが、「ファミリーと認めているかどうか」で対応がぜんぜん違うということです。

たくさんの人がやってくる場所にいるうさぎたちは、かなり心を閉ざしているという感じがしました。

意図せずカルト宗教との順位争いに

最近気づきましたが、ニーチェの曙光のタイトルが胡散臭いカルト宗教などが好きそうなタイトルだったりしたことと、哲学テーマのページを結構追加したりしたことで、意図せずカルト宗教との検索エンジンでの順位争いになったりしていました。

特に対抗する気はないのですが、考えてみればそうすることでカルト宗教と信者予備軍を結ぶ接点を和らげることになるんだなぁということに気付いたりしました。

そういうわけで、気が向けばまたそれらしいようなページを遊びで書いたりするかもしれません。

それに「考えてみれば口語の場合はパクれないのだなぁ」ということにも気づきました。事実当然のことは転載できても、口語はパクりにくいんだなぁということで、会話文などを追記していくかもしれません。

超能力主義の人たち

「ケアル」といったサイト内検索もあったので思い出しました。

そういえば稀に超能力かのようなことについて触れることがありますが、僕は超能力への憧れを持ったのは小学生の時にプレイしたLIVE A LIVE以降ありませんし、そんなものは必要ないと思っています。なおそれらは欲したのではなく、「勝手にできるようになった」という方が正しいという感じです。

だいたいカルト宗教に多いような「超能力」は、その裏側に「超能力があれば恐怖心が無くなるのではないか?」という期待が潜んでいます。

ということで超能力主義のような人たちは単に恐怖心の克服のためにそれらを欲しているということになります。しかしそれは根本解決に何ら貢献はしません。

さて、それはそれで置いておいて「遠隔歯ぎしり」と呼んでいる「ケアルのようなもの」くらいなら誰でもできると思っています。が、他人になったことがないので、他の人ができるのかどうかはわかりません。

また、ペルソナ発動については、牧羊犬であるボーダコリーの「だいち」でもやってることなので、本来は誰でもできるのではないでしょうか。

「あえて迷いを利用する」という程度のものであり、「実体はない」というところには注意が必要です。自分が迷いの中にいたらその迷いが暴走すると思うので、求めず期待すらしないほうが無難でしょう。

で、結局ヨガにハマってから迷いが生じた人を筆頭に、そうした超能力に憧れる人たちは、何か特別な存在だという実感がほしいとか、人の心を読めたら人生一人勝ちだとかそんなことを思っている程度であり「それが無ければどこかしらにある不安感が拭い去れない」という程度だと思っています。

そんな中、スピリチュアルにハマった人やカルト宗教にハマった人にありがちですが、癌になっても気功治療しかしないとか、輸血はしないとかそういうことにしがみつく人たちがいます。そうした感じのことは一種の「執著」でしかなく、その意識の歪みの方が問題だと思っています。

それはたくさんの交通手段がある中、マイカーしか認めないという感じに似ています。

別に医師を信頼して手術するということでいいと思いますが、それの何がいけないのでしょうか?

それは、ケアルすらできないのに「ケアルガですら効くかどうかわからないもの」に対して、ポーションすら使わないということになります。

そんなことだからケアルすらできないのです。

なお、自分用には「それっぽいことを思うだけで勝手に体が震えたりするやつ」で対応しています。特に意識すらしていないという感じであり体感領域なので「どう意識するのか」を言葉では説明できないので説明のしようがありません。

さらにいうとわざわざヨガにハマった人のようにきちんとした姿勢でなくてもできますし、タイピングをしながらでも可能です。まあ「リジェネ」といったような感じでしょうか。

それでは引き続きご愛読くださいませ。

Category:miscellaneous notes 雑記

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