空間の争奪戦

まるで囲碁のように、その空間を占めているものの面積や体積がその人の力を示すような代理構造になっていたりするので、至るところで空間の争奪戦が起こっていたりします。

部屋の中の物はその人の意識の中を示しているフシがあります。少なければ少ないほど重要なものが少なく、重要なものが少ないほど何かの変化に反応することも減るため、結果的に煩いも減っていきます。

意識の中においてもその空間に占めるものがたくさんあり、重要性の高いものがたくさんあるとそれだけ気になることが多いということになるので煩いが起こる可能性が高まってしまいます。

そしてその象徴が部屋の中の物であり、捨てられないということはそれだけ「意識の中にある重要性の高いもの」ということになっているフシがあります。

占有による威厳の誇示

しかしながら、複数人で居住している場合、単に意識の中の「重要なものの抱え込み具合」のみならず、占有具合による威厳の誇示という要素が含まれていたりします。

個人的に専有している個人部屋ならば自分の意識の反映という感じですが、共有部分においてはその家に居住する者の間で、空間の争奪戦がなされていたりします。

空間の占有割合が、家族を例とした「複数人の社会」における力の強さの表れになっている部分があり、空間の占有によって威厳を誇示したいという部分が少なからずあるゆえに共有部分に物を置いたり、自分以外の人の部屋に自分の物を置くというようなことが起こっていったりするのでしょう。

家族内の立ち位置を変えようとする試み

そういえば最近父がやたらとアンプを買い、置きどころが無くなってきたからと実家の僕の部屋にそれを配置し、挙げ句絨毯まで新調して敷き始めたという感じのことがありました。

少し異なりますが、「鬼の居ぬ間に」という感じになるのでしょうか、養子のうさぎとの思い出がつまっている絨毯を勝手に変えようとしたので、それを非難したりしたのですが、逆に抵抗してくるということが起こりました。結果的に捨てられずに洗濯されて押入れ行きとなり、新絨毯が配置されていました。

これはつまり、単なる劣化した古いものから新しいものへと変えるというような「物の劣化への対処」からくる部屋の模様替えのようなものではなく、家族関係内の立ち位置を変えようというような父の再チャレンジ的な意図が含まれているという感じになるのでしょう。

物理的な面積や体積と力の誇示

そのような感じで、物理的な面積や体積というものは、態度を含めた意識的な大きさに関係したりしてきます。

自然界においても体の大きさや縄張りの広さは、力の誇示となりますし、最近知りましたが、シュモクバエという蠅においては「目が離れていれば離れているほど優秀とメスに評価される」という感じになっているようです。

扇子のように折りたたみ可能な印象

縄張り争いにより叶わぬ断捨離

ということで、断捨離のようなことが勧められたとしても、いまいちそれが進まないのは、個人的な意識のシンプル化という意味では、物を減らしたいと思っていても、占有面積の変化から誰かとの関係のバランスが崩れるという別の側面が影響しているような気がします。

そういうわけなので、廊下などにモノを置くということは、そうした縄張り争い的な意味合いがあるのだと思います。

単にだらしがないということではなく、家族等々の小さな社会における社会関係上の立ち位置の確保、威厳の誇示を意図した空間の争奪戦として共有部分や他人の部屋に物を置くというようなことが起こるのではないかという感じです。

なので、部屋にしろ廊下にしろ「片付けなさい」と言っても聞かないという場合は、そうした威厳の主張という要素があると思っておくほうが無難です。家族構成にもよりますが、見方によればエディプス・コンプレックスの表れという感じで捉えることもできるかもしれません。

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