ちっぽけな誤解の種子

スーツ姿の時とパーカー姿の時で人の対応が違うということについて触れたことがありましたが、そのような感じで、ちょっとした許容や一時的な役割ですら相手に勘違いを生み出してしまうというようなことについて触れていきます。

ちょっとの「許容」や「一時的な役割」といったものは、ちっぽけな誤解の種子となることがあり、良かれと思って選択したそれらは、時に相手の中に邪念を生み出してしまうことがあります。

「聖人君子ならば、何事も広い心で許すだろう」ということは大きな誤りであり、そうした概念を盾に取り、己の怠慢や邪念を正当化するということをしてくる人がいるので困りものです。

「いい人だと思われたいですよね?」というような脅迫をはじめ、そうした倫理観を盾にただ横暴で横柄な主張を通そうとするものに対しては、鉄拳制裁とまでは行かなくても気持ちの上ではウシジマくんのように対応しなくてはいけません。

人間不信に陥る要素のひとつとして、こうした人の傲りや「許容や役割による意識の変化」があります。

微妙なグレーゾーンの許容

解釈が分かれそうな微妙なグレーゾーンの部分について、あれこれいうのも野暮ったいので許容した場合、「一度目の譲歩は、二度目の譲歩をも許す」といった感じで、じわじわ自己都合を押し付けられてきたりします。

一度目の許容は「よかったぁ」という感じで、何なら感謝的な言葉を返してきたりするものの、時が経てば、許容された状態が普通になり、追加で「さらに都合の良い条件」になるように交渉してきたりします。これは、経済社会でも起こりえますし、もっと身近な友人・知人・家族間や地域社会でも起こりえます。

一度目の許容の際には、胸を撫で下ろすレベルでホッとしてたものが、その時の心境を忘れ、さらに追加で横柄になっていく、という様は確かに人間不信を加速させるような人の意識ではあります。

一時的な役割による勘違い

何度か「遊びのバイト」をした時のことですが、最初は厚遇してくれていた社長さんも、何度かお世話になるうちに僕のことを部下だと思うようになってきそうになり、そんなバイト中以外の時でも若干上下があるかのような雰囲気を出してきたことがありました。

ということだったので、

「何か勘違いしてませんか?」

と言ってみました。

当の社長さんは「飲み込めないおかゆを口に含み続けるような感じ」となりました。

何かにハッと気づいたその方は、その日夕食をごちそうしてくれました。

変な空気をチャラにするという意味で、まあそれくらいはいいでしょう。

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パーカー姿とスーツ姿ではすれ違いざまの通行人の態度すら変わってしまいます。すれ違うときの体の避け方が違うのです。そしてぶつかりかけた時の会釈の仕方も違います。

優美さがない

人を信用することや人間不信について。

人を信用することと人間不信

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