祝十周年

本ブログもついに十周年を迎えることになりました。ちなみにこれで2181記事目になります。今回は、単純に十周年というタイトルです。

祝九周年の時は2119記事だったので、この一年で60くらいの投稿をしたことになります。

さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。

アクセス状況

十周年ということで、十年分のアクセスデータでも掲載しようと思いましたが、途中でアナリティクスの仕様が変更になったため、正確な数値がどうなのかは、はっきりとはわかりません。

旧データ(昨年2023年の1月ごろまで)の概要としては、新規ユーザー 949,272名、セッション 1,251,117という感じでした。新仕様と合算すると100万名に達するか達していないかといった程度になると思います。

以下は、旧アクセス解析(2023年の1月ごろまで設置)の数値を元にしたデータです。構成比率としては、こちらのデータでさほど問題はないと思います。

都道府県別トップ10は、東京都(26.03%)、大阪府(14.52%)、神奈川県(11.68%)、愛知県(5.90%)、埼玉県(3.87%)、千葉県(3.75%)、北海道(2.94%)、福岡県(2.78%)、京都府(3.41%)、兵庫県(2.68%)となりました。

23区を市扱いにした上での市区町村別トップ30は、大阪市、横浜市、新宿区、港区、名古屋市、京都市、札幌市、福岡市、千代田区、さいたま市、渋谷区、世田谷区、神戸市、千葉市、仙台市、川崎市、広島市、中央区、新潟市、岡山市、浜松市、大田区、船橋市、練馬区、堺市、熊本市、八王子市、岐阜市、宇都宮市、杉並区となりました。

国別としては日本国内が98.00%、アメリカが0.60%といったような感じになりました。

男女比は、男性54.15%、女性45.85%と、やや男性が多い傾向にあります。アクセス経路としては、自然検索が、88.4%、ダイレクトが9.7%でした。

なお、十年間で頂いたコメント数(contact含む)、コメント返信数は、残っているもので1004でした(スパムや意味のわからないものは削除しています)。

サイト全体の総文字数(投稿の本文)は、本投稿含め5,219,058字となりました。1投稿あたりの文字数は2,392となりました(奇遇なことに祝九周年の時の文字数と同じでした)。

この一年間のアクセス

市区町村別トップ20は、大阪市、札幌市、横浜市、さいたま市、福岡市、名古屋市、神戸市、京都市、小山市、新居浜市、松江市、三沢市、室蘭市、山形市、新宿区、広島市、村上市、四日市市、館山市、宇和島市となりました。

この一年でこのブログにやってきた人の数は、34,253名ということのようでした。その前の期間は52,166名だったのでさらにユーザーさんは減りました。ただ、平均セッション継続時間は以前の倍以上になっています。より一層常連さん向けになりました。

その他の属性はGA4になってから見にくくなったので、別に記載しなくてもいいかなと思っています。

私と妻

十周年ということで、さらに私的な部分についてそれぞれ軽くだけ触れていきましょう。あまり公開するのもどうかと思いますが、多少オープンにした方が今後の投稿の幅も広がるような気もするので、軽くだけ触れていきます。

ありがたいことに稀に「結婚してください」「お引き取りください」というようなやり取りをさせていただくこともありますが、僕は既婚です。

妻と初めて二人きりで遊んだのは26年前。13~14歳の時です。「最初から出ていた答え」で触れていた通り、最初から答えは出ていました。

世の中では、夫婦喧嘩というものもあるようですが、特に喧嘩をしたことはありません。

たまに僕たちの日常生活をラジオ局に投稿して、放送されるたびにradikoで聞かせてくる妻を、時折お姫様抱っこすることが一つの趣味となっています。

娘が生まれた日

娘が生まれた日、喜びもつかの間深夜に病院から電話がありました。

急いで病院に駆けつけると、医師たちの怒号が飛んでいます。

妻は出血が止まらず意識を失いかけていました。

意識を失う前に「呼び出しボタン」を押せたからこそ命がつながったようなものです。もし意識を失っていたら、出血多量で命はありませんでした。

「もし出血が止まらないようであれば子宮摘出」という説明を受け、暗い廊下で待つしかできませんでした。

なんとか出血はおさまり、HCU(High Care Unit)に向かうときにようやく声をかけることができました。

「大丈夫?」

と聞くと

白い顔で微笑みながら

「ちゃんとおっぱいのんでたよ」

と、かすれる声で返してくれました。

この人は「母」になったのだ。

僕の知っている「女性」でもかつての「少女」でも「妻」でもなく、「母」になったんだ、ということを悟った瞬間、

僕は時間の概念を超えて火の鳥と一緒に情報宇宙空間に行くことになりました。目の前は見えていますが、同時に膨大な情報を同時に観察するような状態になりました。

同じ学校で初めて話したときから、今病院で声をかけたその瞬間までの妻との思い出が情報として重なり、固まってしまいました。

「それでは」と医師に言われるまでのおそらく十数秒くらいの間に膨大な彼女との全ての思い出を感じることになりました。

おそらくこれがリミッターを外した脳の本気モード、巨大な情報空間を捉えるということなのかなぁと思いました。

それはさておき、そんな妻を大切にするのは当たり前。出血が起こっていなくても気持ちは変わりません。

夜泣きに起こされて寝ぼけた頭で見た「子を抱っこして子守唄を歌う妻」の姿はこの上なく素敵だと思いました。

そして、その妻は今も妻なのです。

私と娘

ちなみに産後の妻の体調のこと+コロナの社会情勢の中ということもあって、在宅ワークで面倒を見ながらということもあってか、娘はスーファザことスーパーファザコンです。現役でトイレにまでついてきます。

世のお母様方の奮闘は、理解しているどころか経験しています。世のお父様方の一部が白い目で見られるのは、おそらく成長の乖離ですね。お母様方の成長スピードと比較して、緩やかすぎるので呆れられているという感じなのでしょう。

なかなか寝ないため小さい時はよく夜におんぶで散歩に行きました。また、仕事の合間に散歩に行ったりと、そんなことをしていたら1年足らずで体重が16kg落ちました(おんぶ散歩の効用)。

娘は幼児になってからも睡眠が不安定で、就寝時間は0時、途中で3時に覚醒、眠りについたと思って気づけば朝5時、6時ということもよくありました。最高記録は午前10時です。

睡眠的な厳しさの他「おむつ交換後に商談」「おやつ要求をなだめて見積書発行」等、なかなか仕事との切り替えが難しい面がありましたが、自分の会社なので何とか面倒を見ることができました。切り替えの難しさがあったものの、おかげで時間あたりの生産性はかなり高まりました。

やはりイメージ(社会人としての職業観)が投影されているのか、日に日にブラックジャックとピノコのようになってきています。

妻と娘と母と亡き妹

さて、いきなり話が飛びますが、今現在、僕の母は脳の出血により意識不明となっています(その後、目は開きました)。意識が完全に戻るのかは現段階ではわかりません(その後のお話:母の日に母と二人きり)。

そして実は僕には生まれてくることのなかった妹がいます。名前も決まっていたようです。

そのことを知らされたのは僕が18歳くらいの時でした。

娘が生まれた後、母は僕の娘(つまり孫)を呼ぶ時に、間違えて何度かその「亡き妹」の名前を呼んでしまったことがありました。そのことで母は父に叱られていました。

でもそれくらいまでに、母の気持ちの中で亡き妹への思いが強かったのだろうと思いました。何十年も表には出しませんでしたが、ひっそりと思いを秘めていたのでしょう。

そして「娘(亡き妹)がいたらこんなことがしたかった」という思いを、僕の娘が、そして妻が叶えてくれています。

女の子用の服を買ったりということはもちろん、普段化粧をしない母が、妻と一緒に化粧品を選んだり、色違いのワンピースを買ってみたりと、そんなことが楽しみでしかたないようです。

娘に会いに来る前の日からソワソワして着ていく服を選んだりしていたようです。少しおしゃれをして、僕の娘や妻と一緒に買い物に行くというだけで嬉しかったようです。

今後どのような状態になろうとも、穏やかな孫ライフを満喫してもらおうと思います。

それでは引き続きご愛読くださいませ。

Category:miscellaneous notes 雑記

「祝十周年」への2件のフィードバック

  1. 10周年おめでとうございます。10年前というと僕は学生ですから結構な時が経っていますね。これからも投稿頑張ってください。
    僕にも生まれる予定だった兄と姉がいました。それを知ったのは中学生の時でしたが、驚きました。名前は知りませんが、上の子がいるとどんな感覚なのかという考えを巡らせる一方どことなく悲しい気持ちになったのを思い出しました。生まれられなかった生命に対する何とも言えない気持ちです。
    そう言えば彼女に振られました。恋愛感情が分からなくなり、僕とは友人といるように思えてきたからということでした。いまいち分からないしそもそも方便かもしれません。それでも1ヶ月楽しい時間を過ごせたのも事実なのでこれからも前を向いていきたいです。

    1. コメントどうもありがとうございます。
      僕も妹が生きていたらどんな感じだっただろうということによく思いを馳せました。その存在を聞かされるだいぶ前ですが、小学生くらいの時には何度か「階段に妹がいるような気がする」という謎の感覚を感じたことがありました。やはりよくわかっていないながらも部分的に記憶していたのだということを思ったりしました。

      さて、僕も「恋愛感情が分からなくなり、僕とは友人といるように思えてきたから」というようなことは、高校一年生くらいの時に言われました(当時、振られる前に振ってやるという負け犬のようなことをしました)。
      当時はそれが意味不明でヤケになったりしましたが、本来愛情とは穏やかなものなので、当時変にショックを受けていたことが後に馬鹿らしくなりました。
      「例えばこの感覚が50年続くのはおかしいね」と思いを巡らせてみると、興奮のようなものが落ち着いていくのもなんとなく受け入れていけるようになると思います。
      (その落ち着きのスピードのギャップが苦しみをもたらすのでしょう)
      今後の素敵な出会いをお祈り申し上げます。

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