世の中では、「これができないと話にならない」とされているものがあります。確かに、「商いをする上では」とか「学校に入る上では」といった様々な点において、必要最低限の「できないと困ること」というものはあります。
しかしながら、様々な広告によって、必要でないものも必要であるかのように感じたりしてしまうことがあります。結果、「無理をして面白くもない上に何の成果も出ない」ということが起こったり、「できない私は人として劣っているのではないか」という劣等感を生み出したりしてしまいます。
できないことはできないことで置いておくと、人に任せることができるという能力が発達します。
また、欠点とされるものは、あえて克服せずにそのまま置いておいて、その中から知恵を絞るということをすると、おまけがたくさんついてくることがあります。
ということで、欠点から導く知恵について触れていきましょう。
成果が出なかったり劣等感を生み出したりする「必要そうなもの」
必要でないものも必要であるかのように感じたりしてしまうことがあります。結果、「無理をして面白くもない上に何の成果も出ない」ということが起こったり、「できない私は人として劣っているのではないか」という劣等感を生み出したりしてしまいます。
ただ、そうしたものは、「社会において本当に必要なのかどうか」というところを、本質的に観察する必要があります。
「できるに越したことはないが、できなくても困らない」というものはたくさんあります。また、広告や周りの雰囲気によって本来の価値以上に価値があると思ってしまうと、実社会においてチグハグなことになってしまうことがあります。
毎度のことになりますが、その代表例は「英語」ではないでしょうか。
こうした点は、ちょっと先を見ればすぐに分かりそうなものです。学校の入試などではその実力を試す機会が出てきますが、実社会においては、なかなか出てきません。業種にもよると思いますが、就職試験に出てくるということすら、あまり聞いたことがありません。
「ある程度の能力」というものは所詮ある程度の能力です。仕事においても、本当に重要な案件になるとプロに依頼することになります。その極みまでいくつもりもなく、結局人に頼むのであれば、やはり「必要」というわけではないという感じになりそうです。
その程度の価値であると思っておかないと、「我慢して努力してこれだけやったのに評価されない」と嘆くことになります。
ただ、それは魚のいない場所で釣りをしていただけです。
やる分には構いませんし能力があるということは良いことですが、その程度だと見切ってあまり期待はしない方が良いと思います。
「まさか英語で会議をすることになるなんて」
というようなことは、滅多に起こりません。
その滅多に起こり得ないことに対して、膨大な時間を費やすのであれば、その会議の間だけ通訳を雇う方が楽です。それが時間、金銭面において経済的合理性があることはすぐに分かりそうなものです。
ということで世の中には通訳のような人も必要になります。だからこそ英語が得意な人であれば、どんどん学習してくださいと思っています。
ただ、それを不得意な人にまで強要するのはどの面から見ても不合理です。
ちょっと得意な人が、自分の劣等感を埋めるため、自尊心の欠落を埋めるため、需要を高めて何とか食べていくために必要そうに説いているというのが本当のところです。
ゲームが得意な人が、「ゲームが上手いこと」を自慢しているところをあまり見たことがありませんし、していたとしてもサラッとしています。
しかしそれが英語となると、本人の優越顔と、周りの顔の暗さが真剣になってしまいます。
真剣になる必要はありません。
特に社会に出てしまっているのであれば、
「得意ではないので、お金を払って人に任せる前提で生きることにします」
と思えば、一瞬で問題は解決します。
「欠点」から知恵を絞り出して導く解決策
まず最初に、私事となりますが、僕には仕事をする上で考えた場合、世間的に見ると絶望的な欠点があります。
それは、「電話に出れない」ということです。
理由は単純なのですが、父が事業破綻した際に、各種金融業者から毎日のように督促の電話がかかってきて、その電話対応(といっても居留守)をさせられていた、ということに起因します。高校生くらいの時です。
「お父さんはご在宅ですか?」
「いません」
「先日も不在でしたよね?どこにいらっしゃるんですか?あなた息子さんでしょ。息子さんが知らないってことはないでしょう?」
とか
「はぁ~~~~先日、私から連絡があったことを、きちんとお父さんに伝えてもらいましたか?」
とか
「私とお父さんの関係はお伝えできませんけどね。お父さんがどんな人間か知りたかったら、今度届く郵便物を見てくださいよ!見るのは勝手ですから!他のも合わせて届いたもの全部開けて見ていったらわかりますよ!」
というようなやりとりをおそらく数百回は経験したでしょう。
なので、
「電話が鳴って、受話器を取る」という行為自体が、動悸の元になってしまいました。
なので、よほど知った相手でないと、電話に出ることができません。また、電話をかけることもほとんどできません。
社会に出るにあたって、世間的に考えるとこれはかなり絶望的です。
新入社員時代のロープレのような時も、顔を真っ赤にしていました。
電話が嫌になってから10年くらいの間は、何度か克服しようと思いました。しかしながら、体調の悪い日は、着信音だけで飛び上がり、動悸がしてしまう時もあります。誰か他人にミルトン・エリクソン並の催眠でもかけてもらわないと克服はできそうにありませんでした。
「電話」というものに体が反応してしまう
で、これはその後僕が、会社を作り社長になるにあたって普通は「これができないと話にならない」とされそうな点です。
一応、行政や主要取引先の社長等々に、必要最低限の連絡は取ります。電話にも出ますし、こちらからかけることもあります(直接会うということは大丈夫です。なので、約束はメールで、その後は直接会議という流れもあります)。
また、それ以外でも本当に必要な時は電話で連絡を取ります。
話したら話したで、相手を圧倒することもできます。
でも、「本当はそれをなるべく避けたい」と、体が勝手に反応します。
話し出すと5秒か10秒で大丈夫になって、徐々に落ち着いてくるのですが、電話が鳴ってからその秒数が経過するまでの間というのが曲者です。
体調の悪い日は、家族からの電話であっても、友人からの電話であっても、電話が鳴った時は、ドラえもんがネズミと出会った時ほどの飛び上がりになり、画面を見て相手が誰かということを確認してもしばらくは動悸が収まりません。
人が恐いというわけではありません。今や飛び込み訪問もできますから。
ただ、電話というものに、体が反応してしまうのです。
欠点を克服しようとせずに突き詰める
普通は、「この欠点をどうやって克服しようか?」ということになりそうなものです。
何度も訓練して、できることならテレアポやお客様窓口のバイトなんかをして、「なんともないようになろう」としてしまうでしょう。
しかし、僕はこの欠点を突き詰めることにしました。
つまりそれは、「いかに電話連絡を極限まで減らすか」ということです。
一般的には「これができないと話にならない」とされていますが、「これができなくても話になる」にはどうすれば良いか、という点を徹底的に考え尽くすことにしました。
本当の「必要最低限」というものはどこかにあります。それは致し方ないものとして置いておいて、どうすれば電話というものを使わずに物事を成り立たすことができるか、ということを考えに考えたのです。
現代ではそうした方法は比較的簡単に得ることができます。インターネットがありますからね。メールのみならずコンピュータやインターネットの世界には、様々な利用の方法があります。
ほとんどすべてをメール等の情報でやり取りすれば何の問題も生じないどころか、文言が残るので「言った、言わない」「伝えた、聞いていない」といったタイプのトラブルも避けることができます。また、ある程度連絡のタイミングも選べます。
ただ、何でもかんでもコンピュータ、インターネット任せにすることはできません。普通に考えると、電話よりはマイナススタートですし、そのままだと利用者同士で差がつきませんから。
しかしながら、「メール文では説得力がない」と言われるのであれば、日本一説得力のある日本語文を目指せば良いということになります。
「そのような方法では信用力の面で劣る」というのであれば、その分信用力が高まることを別ですれば良いのです。
そうして突き詰めて考えていくと、「その声を聞いたものはいない」というミステリアスな存在になりながらも、メールのやりとりだけで、数百万円をポンと入金してくれる遠方の顧客にも出会うことができるようになります。
それは考えてみるとすごいことですね。
実際に会ったことも、顔を見たことも、声を聞いたこともないのに、そこまで信用されるというのはすごいことです。
そこまでできてから、誰か電話応対が得意な人にある程度任せられるようになると、もう恐いものはありません。
欠点を突き詰めるとたくさんのおまけがつく
僕の場合は、「電話への拒否反応」という欠点を突き詰めて考え、知恵を絞っていったおかげで、電話をほとんど用いなくても良い営業方式、応対方法などを構築することができました。
そのため、電話営業、電話応対にかかるコストやロスを削減し(その分メール作成の時間などはかかっていますが、表現は悪いものの、ある程度文言を使い回せるため、トータルでは削減できていると思っています)、メール情報による「言った、言わない」のトラブル回避や連絡タイミングの柔軟性を得ることができました。
また、文面や連絡タイミングなどから「相手の人格が何となく分かるとか」、「どのような切り口で文を作るのが良いか」、といった目利きならぬ文利きのような能力までついてきます。
さらに、こうした方法は、僕と同じようなタイプの人とまではいかなくても、「ある程度電話が面倒だと思っている人たち」にはありがたがられる方法となっています。
なので、おまけとして、そうしたタイプの人達のお役に立てるサービスまで生み出すことができたりします。
経営者の集まりなんかでも、
「電話に出られないそうですが、どうやって仕事をされているんですか?」
と質問されることがあります。
もちろん、何時間でも答えることができます。
そしてその質問をした人がお客さんになっている場合があります。
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そのような感じで、どうしても無理な「欠点のようなもの」は、どうしても克服できないのですから、劣等感を持ったり克服しようとしたりせずにそれを大いに利用するしかありません。
もちろん、電話営業、電話応対が得意な人がいる場合は、それを突き詰めていっていただいた方が、それが苦手な僕としてはありがたく、余裕でお任せしようと思っています。
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