日和見な昼行灯

確固とした意志を持つことがなく、その時の状況に合わせて多数の勝ち馬に同調するという層がだいたい7割、それは腸内細菌の世界ですら起こっていることなので、変わることのない自然のバランスなのかもしれません。

ただ腸内細菌においてもそれは細菌類たちの社会の中でのバランスであり、一つずつの細菌自体は一応独立した存在でもあります。

これを人間社会に置き換えてみて考えた場合、社会の構造がどうあれ結局は自分個人がどうあるかというところだけが問題となります。

洗脳の結果としての消費行動」などで、以前にも少し触れていましたが、ちょうど僕が高校生の頃、ビューティフルライフに影響を受けて美容師を志望する人たちが急に増えたりしました。なぜかバイクに興味がなかったような人たちまでスーパートラップを付けたTW200に乗りだしたりもしていました。

まあTW200くらいなら一過性なのでそれほど問題にならないのかもしれませんが、進路の決定においてドラマの影響で行き先を決めてしまうというのはかなり危ないのではないかとその当時も思っていました。

一種の強烈な影響を受けたということにはなりますが、その影響が何十年も続くとは考えられなかったからです。

例えばそのドラマに影響受けて、美容師になった人が今でも定期的にビューティフルライフを観ているのか、ということを考えれば何となく想像がつきます。

あのドラマ自体が美容業界の人手不足解消のための意図があったということのようですが、そのような仕掛け人たちの策略にハマったということです。

まあ学費を消費したくらいならそれほどの損失ではないかもしれませんが、少なからず生き方の方向性をセッティングされてしまったということはかなり危ないと思っています。趣味の範囲で終わらないレベルの事柄だからです。

感受性の強さにもよると思いますが、だいたい十代の頃などは何かに感染します。

その美容師志望の動機についても、現実の誰かに感染したのならばそれはそれでまだ良いような気もします。例えばすごくかっこいい美容師の人がいて、その人に強烈に憧れを抱いたというような感じです。

それならばまだ良いような気もしますが、「業界的な都合」のために一個人の人生を左右するような仕掛けをしてしまうという感じはさすがにやりすぎな気がします。

そんな世の中でしたが、「そういうのはさすがにやりすぎではないか?」と思っていた人たちもいたはずです。

ここで腸内細菌の話に戻りますが、「そういうのはさすがにやりすぎではないか?」という層がいながら「業界の都合のために若者を餌食にしよう」という層もいたということになります。そうした各々の層は全体を通して見れば、それぞれ数が少ないながらも、いつの世の中でもある程度一定数は存在するのでしょう。

そんな中、その時代は「業界の都合のために若者を餌食にしよう」という層が若干優勢であり、大多数の中性的な人たちがそれになびいたという感じだったのではないかと思っています。

そしてストップ機能が働かず、実際に一部の「強烈に感化されやすい層」がまんまと仕掛け人の策略にハマってしまったという感じです。

業界の問題としては労働人口の問題があったようです。しかし本質的な問題としては、労働環境の悪さや所得の向上が構造上難しいという面で人が定着しないという理由があります。そうした問題をさておき、労働人口を増やすために志望者を増やしたという都合です。つまり、「どうせ辞めていく」と思いながら「使い捨てで安く使える新人」を大量生産しようと思ったという程度でしょう。

なぜそんなことを思うかというのにもきちんとした理由があります。それは新規の労働人口を増やしても何の根本解決にもならないからです。

どうしても仕事の内容として、人が1時間かけなければならないことなら1時間労働者を拘束してしまいます。

スキルに応じて多少の時間短縮はできるでしょうが、スキルが上がったからといってIT業界のように一気に100倍、1000倍の速度で仕上げられるようになるわけでもなく、金融業界のように取扱案件によって収益が100倍になるというようなことはないので、時間あたりの生産性を上げることが難しく、結果的に賃金などは上がりにくい業種になります。

(例えば、IT業界ならソフトウェアの基本形を一つ開発しておけば、各顧客ごとに専用ソフトを作ったとしても若干のカスタマイズだけで済むのでゼロから開発するよりは時間が短くて済みます。

金融業界なら300万円の融資を扱っていた人が3億の案件を扱えば、収益は1%でも絶対的な収益が異なってきます。かかる案件に費やす時間が10倍になっても収益は100倍なので、結果的に生産性は100/10で10倍になります。よって給料が10倍になっても不思議ではありません)

収益性が低く労力のわりにあまり割に合わないというビジネスモデル的な問題や人々のサービス単価の基準(サービス利用者が「まあこれくらいの価格だろう」と思っている基準価格)などが本当は問題なのです。

そして業界人口を高めただけでは単に供給過多となります。結果的に価格競争メカニズムが働きやすく、さらに時間あたりで稼げる単価は下がっていきます。

ただでさえ低所得、ブラック労働環境が蔓延している中、そこで働く人が増え、根本需要がそれほど変わりないのであれば、結果的に少ないパイを大人数で奪い合うことになります。

つまりただ単に安く使える人材を欲しがりつつ、国家資格が必要な職業なので学校に行かせようというような意図くらいしか考えられないということです。

結果的に僕が20歳位の頃はよく新しい美容室ができて、すぐに廃業となり、居抜き物件としてまた新しい美容室ができて、また潰れという感じのことがよく起こっていました。

お金を貯めていたのか、仲間内で出し合ったのか、親御さんが出したのかはわかりませんが、結局不動産屋さんと内装・リフォーム屋さんとフリーペーパー屋さんなどを儲けさせて沈没したという感じです。そしてその職業スキルは他の業種ではほとんど使えません。

単純な経済理論で単純に考えた場合、根本的に本当に供給が過少なのであれば、希少なサービス・人材として所得は高まるはずです。それが元々劣悪な労働条件かつ低賃金でしか雇えないという構造だったのならば、問題は志望者の数ではなく、ビジネスモデルにあるはずです。

仮に若年層の労働人口が減ってしまったとしても、その分サービスの希少性は高まるので、自然と単価は上がり、労働条件も改善していけるようになるはずです。

つまり、その方が自然に需給バランスが最適化されていくということです。

流行りの髪型などなど、一過性のブームなどはあるかもしれませんが、長期的に考えて美容室への需要というものはそれほど大きな変化がないと考えることができます。

そんな中、お店がたくさん増え、働く人が増えてしまえば、その中のすべての人がきちんと稼いでいくということは逆に難しくなります。

さらに需給バランスに加えて競合相手の問題もあります。

例えば外食産業などであれば、「外食産業」という枠組みだけでパイの取り合いをしているわけではなく、持ち帰りの「中食」、家で作る「内食」も競合相手になります。

「人が食べる食事の量」などについても、人口の変動や高齢化などによって多少の影響はあるものの一応ある程度需要が一定です。

そんな中、ある外食産業が盛り上がった時に稼ぎが少なくなるのは、他の外食産業ではなく、スーパーなどの「内食」の業界だったりします。そのような感じで「食事」としての全体の需要は一定でも、若干他の業界とのパイの取り合いが可能であり、自分たちの業界を盛り上げていくことが少なからず可能です。

しかし、理容・美容業界というものは、ある意味で競合がいません。食事に関する業界のような構造はないのです。

それは一種の強みでもありながら、逆に多様性のない「一種類の需要」の取り合いにも陥るということです。多少帽子やかつらなどとの競合はあるかもしれませんが、おそらくそれは無視しても良いような微々たるものです。

ということを考えると、やはり業界の都合を理由にドラマで人の人生を決めてしまうような行動あまり良いことだとは思えません。

というようなことに気づいたのは20歳から21歳くらいの頃です。活字中毒期に経済学の本を読んだり株式投資のために金融・投資の勉強をしていた時でした。もちろんそれまでは、そんなことを考えてもみませんでした。

歴史に「if」はありませんが、病気になって本を読み耽るという感じにならなければ、もしかすると僕もそのような仕掛けに反応したりしていたのかもしれません。

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