日々を彩るアウラと駄アウラ

なんだかんだで年数回旅立ったりしていますが、日常これといって刺激を「求める」ということはありません。元々怒りが強く排除の方に気が向くくらいであり、かつ、放っておいても刺激はやってくるので「不足している感じがない」という感じです。

で、勝手に刺激は展開されていってしまうので「日々を彩るアウラと駄アウラ」といった感じでそんな日々の様子について触れてみます。

「駄アウラ」とは僕が勝手に呼んでいるものですが、元はアウラから来ています。駄菓子から得ることが多いので駄アウラと呼んでいます。

アウラの喪失

「アウラ」は、ヴァルター・ベンヤミン氏が示したやつですね。単純には作品に宿る「神性」のような観念的なものを示し、直接的に具体化されていくに従いそうしたアウラは失われていくというようなことをベンヤミン氏が言っていました。

元は複製技術による変化を検討した際に出てきたようなものですが、それを示すにあたり、具体的に、そしてよりリアルに示されていくほど「奥の奥にあるオリジナルを代替する」という感じが消えていくということを隠喩的に示しました。絵画と写真というものがわかりやすいかもしれません。

また、抽象性の喪失という意味で言えば、端的には、小説等の文章であれば「顔」は読み手のイメージに委ねられているものの、映画になるとどんな顔かが決定的に示されるので、アウラが喪失するという感じです。

それをさらに簡単に示すと

「わかりやすくなればなるほどアウラは喪失する」

「一回性を持ち、抽象性を持つならば、その奥にある本質との距離が遠くなり、神性が強くなる」

ということになります。

ということなので、近年の長いタイトルは抽象性がなく、よりアウラが喪失されているという感じになりますし、誰にでもわかりやすくという感じは、まさに非言語領域における抽象性を具体的な限定によって削ぎ落としてしまうという感じで、アウラの喪失になります。

また本来のアウラの概念でいえば、一点物に宿る神性と複製物による神性の喪失という感じですが、アウラという概念すらも完全に定義されているようなものではないので、雰囲気で掴むしかありません。

「いま、ここ」だけに存在することを根拠とする「オリジナル」の神性がアウラで、それが複製や具体化によって失われるのがアウラの喪失といった感じでしょうか。

ただ、そうした概念を具体化してしまって確定的にしてしまうことすらアウラの喪失になるというような面白い感じです。

まあこれは、「アウラ」なんて言葉を使わなくても、雰囲気としては、ある程度感覚的に理解しているような領域です。

しかし、人と話す時に「どう言ったら良いかわからないけどなんか違和感がある…」ということになった時、言語による具体化によってコミュニケーションに利用することができます。

ということなので、「やたらと長いタイトル」とか「具体化されすぎたゆえにわかりやすいのはいいが、わかりやすすぎてつまらない」と思った時には「アウラの喪失だ」と言えばカッコがつくかもしれません。

で、ヴァルター・ベンヤミン氏のアウラは基本的には複製に関するものですが、長いタイトルが流行っているとか時代の流れだということになって、それに合わせているとなれば、抽象性の喪失だけでなく、「一回性」も喪失していくわけです。複製によって失われる部分ですね。

なお、ベンヤミン氏は単に示しただけで、そうしたものを非難されていたわけではないのであしからず。

そんな感じでアウラについて前フリしておきましたが、本題はそんなアウラの概念のお勉強ではありません。

ということで、本題である僕の日常について進めていきます。

駄菓子と駄洒落と駄アウラ

超絶甘党ゆえに基本的に甘いものばかりを食べていますが、普段はあまり買うことがないもののやはり稀に駄菓子を爆買いすることがあります。そこにはやはり、安価である点に付随して起こる知恵を感じるからです。おしゃれを気取って高いだけで美味くもない高級菓子もどきなど足元にもおよびません。

そんな駄菓子には結構な確率で、駄洒落的なキャッチフレーズのようなものが記載されていたりします。

そしてそれを見た時、僕の頭の中では逆算的に無数の観念が起こり、アウラへの逆流が起こったりします。逆流と表現して良いのかどうかわからないので、自分の中では駄アウラとラベリングしています。

お抹茶のチャチャチャから考察するアウラ

例えば次のようなものを見たとしましょう。

ブラックサンダー 抹茶あずき

ブラックサンダー 抹茶あずき

ここに示されているのは「お抹茶のチャチャチャ♪」というフレーズです。

「面白いか?」と言われれば、口を閉ざすしかありません。

しかし、僕の意識はその「お抹茶のチャチャチャ♪」が面白いかどうかというところでは終わってくれず、そのフレーズを見た瞬間に大量のイメージが想起されてしまうのです。

まあ例えば大の大人が集まって「『お抹茶のチャチャチャ♪』で行きましょう」と決定しているシーンや、包装にあたって工場にいる人達が「今度は『お抹茶のチャチャチャ♪』か」と思っているかもしれないということや、誰がどんな気持ちで「『お抹茶のチャチャチャ♪』なんてどうですか?」と最初にいい出したのかとかそんな感じです。

そうなると、以前に仕事の打ち合わせで経験した次のようなことすら思い出してしまいます。

ある時、社長さんと社長の息子さんと一緒にお話をしていました。

息子さんと話すのが中心となっているような感じでしたが、社長さんが何の脈略もなく、また本題に関係ないような感じで「最近、匠っちゅう言葉が流行っとるね。匠っちゅうのはいいなぁ。日本の匠、うん、それええんちゃう」などといい出しました。

そしてその横にいた息子さんがつぶやくように「うっさい。どうでもええやろ」と制止し始めました。

「おお、匠かぁ。匠っちゅうのはええなぁ」

「うっさい。黙れ」

「匠言うのはどうですか?ええと思いませんか?」

「うっさい。もう黙っとけ」

と、すごく嫌な顔をされていました。

「匠言うのええやん。ねえいいですよね?」

とまだ聞いてきたので、息子さんが僕に向かって

「無視していただいて結構ですから」

と言ってきました。

そんな思い出があるので、もしかすると「お抹茶のチャチャチャ♪」というフレーズも、そんな感じで譫言が始まり、周りが制止することもできずという感じで決まったのかもしれないということすら思ってきます。

でも、根本的にブラックサンダーにはその部分によくフレーズが入っているので、最初にそうしたフレーズを入れるということを決定した時はどんな感じだったのか、ということすら気になります。

そうなると、多少駄洒落的にふざけてもいいだろうという企業の余裕も見えてきますし、顧客の中心となる若年層のマインドを理解されているというようなことすら思います。

企業として世に出すにあたって、「お抹茶のチャチャチャ♪」はひどいだろうと思う人もいるかもしれない中、どういう会議内容だったのかとかそういうのを考え出すと、どんどん面白くなってきます。

最終的に印字されているのは「お抹茶のチャチャチャ♪」というフレーズですが、それ自体が面白い面白くないという次元を超えて、その奥にあったプロセスの想定で勝手に笑っているという感じです。

偶然性も含めて、動機の発生と決定がなければ、現実として「お抹茶のチャチャチャ♪」という言葉は印字されていないはずです。

幾多の人の様々な思いが最終的に形になっているということに面白みを感じます。

それを提案したのは、年配の男性かもしれないし、年配の女性かもしれない、若い男性かもしれないし女性かもしれない、合議の上で決定したものかもしれないし、独断で決定したのかもしれないといったように、そこに「フレーズだけでは奥が見えない」という要素があります。

勇気を出すような雰囲気だったかもしれないし、何にも臆すること無く雑な感じだったかもしれない、というところも具体的には示されていません。

で、ここでは文章化するにあたって段階的に論理を並べていますが、実際は、そうしたものが瞬間的に同時に想起されてしまいます。

なので、いきなり爆笑したりしてしまうのですが、傍から見ると「『お抹茶のチャチャチャ♪』という駄洒落めいたものがそんなに面白いか?」と思ってしまうと思います。

「それが現象として起こったこと」の奥にある意志決定を含めた様々なプロセスの想定や言語の解釈可能性を、思い出を含めて瞬間的に想起しまうので、そうした事が起こっているという感じです。

そう考えると、「お抹茶のチャチャチャ♪」自体の完成度は一つの要素として脇に置いておいたとしても、その奥には芸術的神性があるわけです。

そのフレーズの表面的な完成度に依存した「直接の刺激」といった単一的で近視眼的な解釈で笑っているのではありません。

今、こうして具体化している事自体がひとつのアウラの喪失でもあり、逆流させてアウラへと到達させるための渡船という形でも捉えることができます。

ただ、世間的にはくだらないこととして考えられるはずです。ハイカルチャー的な芸術分野ではなく、サブカルチャー的に扱われてしまうでしょう。

ということで「アウラ」という言葉を使うと、「それは私が解釈しているアウラとは違う」と、反応されるかもしれないので、個人的には駄アウラといった程度でラベリングしています。

日常のいたるところでそのような現象が起こるので、刺激を求めるまでもなく、「寝ていても夢に爆笑して起きてしまう」という感じになっています。

Category:miscellaneous notes 雑記

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