新年 2022

みなさまあけましておめでとうございます。

2022年になりました。

元日の本日は、日が変わってすぐにぜんざいで餅を2つ、起きてからは白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。

年明け前後は、先日から空き時間にちらほら読んでいた「The Yearling(邦題は、子鹿物語、仔鹿物語、鹿と少年など)」を読みつつ、年明けにクライマックスとなり、感慨深い気持ちで眠りにつきました。

年明けからは、先月の誕生日にもらった志村けん氏のDVDを観ながら過ごしています。

寅年ということで…

さて、今年は寅年ということなので、早速アオイちゃんに登場してもらいましょう。

アムールトラ アオイちゃん 京都市動物園

アムールトラ アオイちゃん 京都市動物園

またトラ猫にも登場してもらいましょう。

島猫代表

島猫代表

特に意識をしているわけではないのですが、なぜか寅年の方々とは縁があります。丑年だろうと思っていたら早生まれで寅年ということもよくあります。

必要な狂気としての霽(ハレ)

正月なので霽(ハレ)について触れていきましょう。

ハレとケと言われるようなものがあります。

このハレは霽と書かれることもあります。これは雨が終わるというような意味合いがあります。これには鬱屈した精神を解放するというような雰囲気があります。

つまり、ギムキョな空間により閉じ込められた自然な精神を解放するという感じになります。

特に気を使うこともなく過ごしていた未成年の頃を経て、出会う人出会う人に敬語から入らなければならないというような感じが基本的なギムキョ空間です。

そうした方が保身や社会秩序は保たれますが、精神の方は窮屈さを感じていきます。

「少し話せばすぐに友達」であったはずが、それが叶わず、多少なりと緊張が続いたりしてしまいます。

ということで、時々解放する必要があります。

それは「別になくても良いもの」というふうに捉えられがちですが、本来は必要なものとなっています。

しかし、その鬱屈具合によって、解放の際にはシラフの人から見れば狂気に映るような感じになってしまうことがあります。

しかしながら、それは必要な狂気です。

狂気であっても誰にも迷惑をかけないのであれば何の問題もありません。

変質者とされる人たちは、その行動自体は一種の霽ですが、解放しても良い日や場所、そして行動を選ばずにするからこそ逮捕されてしまうという感じになっています。

個人的には、昨年の「新年 2021」で触れていた「石舞台古墳で『イアラ―』絶叫」を年に一度くらいは許可し、場所を開放してくれるような制度があれば良いと思っています。

本来そうした解放を意図したものが祭りであるはずですが、写真を撮って見せびらかせるだけというような、何の霽にもなっていないような風潮が蔓延してきました。そんなことでは解放されません。

年に一度くらいは「油谷さん」をどこかで思う存分できるような感じが必要です。

精神が閉じ込められ、閉じ込められて閉じ込められた先に本当の発狂が起こるくらいなら、多少なりと解放する方が心身の健康と社会秩序が保たれると思います。

近代化するまでは、社会で当たり前のようにそうされてきましたが、近代化以降、霽としての解放よりも「充実した様を見せびらかせて優越感を得る」というような競争社会的な感じになってきたりしています。競争社会が生んだ「合理化」や「他人行儀」により、精神が鬱屈しているのに、それでは意味がありません。

というようなことを考えながら、下着を可能な限り上に引っ張り、キューティーハニーのイントロを口ずさんだりしました。

本当は、志村けん氏の白鳥を身にまとい、町内を全速力で駆け抜けたい、というのが本音です。

そうした小学生マインドへの一種の退行が、本来の霽であると思っています。

それでは本年もどうぞご愛読くださいませ。

新年 2021

Category:miscellaneous notes 雑記

「新年 2022」への2件のフィードバック

  1. 新年明けましておめでとうございます、昨年はbossuさんの返信、投稿に大変助けられた1年でした。本年もよろしくお願いします。
    霽は現在は穢れという認識があるように思いました。解放するのは弱さという謎の認識に人々は鬱屈しているのかもしれませんね。もう少し弱さというか抜け感を見せたっていいのだろうと思います。
    それは、失敗を恐れるあるいは失敗を許さない人達が増えたからかもしれません。
    久しぶりにコロコロコミックを買って読みたいなと思いました。
    今年1年もご自愛ください。

    1. 新年明けましておめでとうございます。
      昨年はたくさんのコメントどうもありがとうございました。

      穢れは日常への飽きによるものも含まれますが、両価感情的なものを含めた我慢が中心となっており、それにはおっしゃるような弱さが関係していると思います。
      少しばかり肩の力を抜ければよいのですが、時に「ふざけるな」と怒る人がいたりもするので困りものです。
      ただ、弱さを隠すためにふざけるのと、本当に素でいるのとは似て非なるものです。

      しかしながら相手がちょっと怒ったりするとしても、行き切って相手に呆れられるくらいになる方が良いと思っています。傍から見てふざけているように見える方が勝つというのは面白いですからね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ