地図に出ているコースを走っている間は

地図に出ているコースを走っている間は安心ですが、若干面白みに欠ける部分もあります。

それが続くと何だか義務的にこなさなければならないことのようになってきて、それが旅だと「なんだか違う」という感じにもなってきます。

もちろんそれでも概ね初めて見る景色に囲まれるので多少の新鮮味はあります。ただ、やはり何度か通った道だと義務感が生じてきたりもします。

道路標識だけを頼りに

十代の時は、ナビはおろか地図さえも参照せず道路標識だけを見て走ったりしていました。行きは異なれ帰りはまさに「目あれば京へ上る」という感じです。

そうした時にはありがちですが、目的地付近になると道路標識からその目的地の名称が消えます。そして変なルートをたどって不意打ち的に予想外のところにたどり着いてしまうという感じになります。

といっても、旅自体が「目的地に行くこと」というある種具体的なものではないため、そうした不意打ち的な感じも大歓迎です。漫遊こそ旅というものでしょう。

しかしまあ一度福井県にて林道に迷い込み結局通行止めで逆戻りということがありました(心にググっと群馬県 2014 番外編)。そうした場面では、「今自分はここで何をしているんだろう」感が凄まじく、でも一方で野生の勘が働いたりして、非日常を味わえます。

そうした感覚は、多少のお金は必要ですが、お金を積めば得れるというものではないような気もします。ただやるかやらないか、進むか進まないかという世界です。

利便性がもたらす義務感

現代のみならずいつの時代もツールというものは「急いでいる人にはありがたい」というものであり、それはそれでいいのですが、その利便性は時に何かを欠落させてしまうという感じになったりします。

それと同じように、何をどの手順でやればいいのか、ということを知ってそれをこなしていくというのは、確実で安心できるというメリットがありますが、不意打ち性がなく、広がりが制限され、義務感が増してくるといった具合です。

それは例えばゲームにおいて、何をどうしていけばいいのかが全て示されている中プレイするという感じに似ています。攻略本を使うという感じにも似ていますが、「何をすればいいのか?」がある程度であればまだ面白みがあるものの、ひたすら特定のコマンドを打ち続けているだけで良いということになれば、ゲームのデバッガー・テスターのような辛さだけがやってくるはずです。

ゲームと知能

一方的なニュースよりも双方向性のある会話

「正規ルートを外して新しい刺激」ということであれば、新しい情報を仕入れるということだけでも叶いそうなもので、ニュース等々の情報でもよさそうですが、そうしたものは時に良いものと出会うという確率も多少は含みつつ、消費への刺激を増すものばかりなのであまり勧められません。

できれば一方的に情報を得て「ふーん」となるよりも、情報のキャッチボールがある方が良いでしょう。

例えるなら、ニュースキュレーションなどを利用するよりも、もし行ったことがないのであれば「立ち食いそば」に行ってみて、隣のおじさんと話してみるほうが良い刺激になったりします。

まあ海外ならばなおさら凄まじい刺激になるでしょう。

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