つい先日のことですが、カール・ラガーフェルド氏が亡くなられたそうです。
かなり前からカール・ラガーフェルド氏を知っているような口ぶりですが、その存在と名前が一致したのは去年の夏頃でした。
真鍋島で船の運行がイレギュラーになり、出戻り後に次の便を待っている間、テレビ画面にコシノジュンコ氏が登場していたのでそれを見ていました。
その話を父にすると、カール・ラガーフェルド氏の名前が出てきたという感じです(既に廃業し引退していますが、父はそうした業界にいました)。
ということで昨年知ったのですが、父は以前カール・ラガーフェルド氏と一緒に仕事をしたことがあるということが発覚しました。僕が小学生の時です。
「直筆のお礼状あるで。お前が小さい時、一緒に見てたやん」
と言われたので思い出してみると、小学生の頃、確かに何か外国語の手紙のようなものを一緒に見たような記憶があります。
「カール・ラガーフェルド、知らん?」
と聞かれたので、
「知らん」というと、
「ほら一回シャネルの仕事やったやろ?
シャネルのデザイナーや」
といった感じで何となく一致した、という感じです。
何でもコンペティションか何かはわかりませんが、父の手がけたものをカール・ラガーフェルド氏が採用し、シャネルから発売されたということでした。
そう言えば昔そんな事を言っていたなぁ、ということを思い出しました。
それで思い出したのですが、以前父に「師匠はいるのか?」ということを聞くと、「幼稚園の園長先生」だということをしきりに言っていました。
といっても、この園長先生は、僕の幼稚園時代の園長先生であり、父にとっては担任の先生です。ということで僕と父は親子二代で同じ幼稚園に通っていたという感じです。
父が幼稚園児の時の担任の先生が、僕の幼稚園時代の園長先生ということになりますが、そんな「園長先生」を一番の師匠だと常に言っていました。
幼稚園児時代、あまり物を買ってもらえなかったようですが、お絵かきに夢中だったそうで、それを見越した若かりし頃の「園長先生」が、「お絵かき上手やなぁ」と言いながら、たくさんのクレヨンと色鉛筆、そして画用紙をくれたそうです。
早く家に帰ってもつまらないと思っていた父は、ずっと幼稚園に残り、当時まだ新米の担任だった「園長先生」と一緒に、閉園ギリギリまでお絵かきを楽しんでいたそうです。
「それが原点やなぁ…」
と、いつも言っていました。
で、よくよく考えると、その園長先生のくれたクレヨンが、数十年後に父とカール・ラガーフェルド氏を結びつけてしまったわけです。
それはすごく面白いことだなぁと思いました。
こうしたことはあまり表舞台には出ることがありませんが、幼き日の父に対して園長先生が為したことは、紛れもなくささやかな偉業と言えるような気がします。
もう既に園長先生は亡くなられているようですが、父としてはいつまでも師匠です。
そのような感じで、世の中にはたくさんの偉人がいるんだなぁということを思ったりします。