今年夏の爆睡ツアーについてはまた後日投稿しようと思いますが、先日爆睡ツアーに行ったときのことです。
夜中に母から電話がかかっていたようなので、翌朝にかけ直してみると、
「豪雨がすごいよ。そっちは大丈夫?」
というような連絡でした。
「まあ結構降ってるけど、別に大丈夫」
と言うと
「テレビで見たら熊本がすごいことになってるよ」
と言うので、
「テレビは見ないからわからないなぁ」
と返してみました。
すると
「少しくらいは気にしなさい」
と言われてしまったのですが、テレビはおろかパソコンやスマートフォンなどすべての光を遮断するのが爆睡ツアーです(ということでガラケーすらほとんど確認していませんでした)。
一応2018年夏の岡山ツアーの時のこともあるので、帰りの際には交通ルートの関係上、土砂災害などについてはパパっと調べるつもりではいましたが、よほど危ない場合は泊まっている先の旅館等々や訪問先の施設の方々が教えてくれるので、テレビに張り付いても仕方がないだろう、というようなことを思ってしまいました。
電話を切った後、
「まるで子供扱いやなぁ」
と思ってしまったのですが、一応ボーイスカウト歴も長いですし、パレスチナ自治区でも行ってしまうような気質なので、こうしたことも常に大観するようにしています。
なぜなら「必要以上に気にしても仕方がない」という感じですし、「その必要は、不安感からやってくるものよりもかなり限定的な必要である」と思っているからです。
もちろんそれは自然災害等等を軽視しているというわけではありません。むしろ一般感覚よりもシビアに捉えています。
ただ、備えるにしろ対策するにしろ、本当に必要な部分というのは報道で煽られるような不安感による予測よりもかなり限定的であり、無駄に気力や体力等を奪われる方がリスクであるということを経験則的に知っているという感じです。
もちろん、晴れていても増水による氾濫等々は後発でやってくることがよくありますし、そうしたタイムラグを予測して行動をするということの重要性も知っています。
しかしながら素人目に報道に煽られるまま、不安感という無駄な感情だけを増幅させることはかえって混乱を招くという感じで思っているので、テレビやインターネットによる情報を常に追うということはしません。
そんな情報はとりあえず必要な時に必要な分だけ集中して収集して様々なパターンを想定してできる範囲で備えるという方が理に適っています。
「同じような情報を得るために常に張り付いているくらいなら実質的な行動を起こしたほうが理に適っているじゃないか」ということです。そして「行動のための気力体力を残しておくほうが良いじゃないか」ということを思っています。
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動静を見んためならば。
と急くこともあるまい。
不要な細切れの情報にさらされると、意味はないどころか疲れが溜まったり、頭がわいたりしてしまいます。毎日のようにデータを見ることは、ある相関関係や因果関係を発見したりして、その後の推論に役立つことがあります。しかしながら関係のないような情報、とりわけ不要な細切れの情報を毎度毎度確認することに意味はありません。
「不安感」という感情に苛まれ、取り憑かれたかのように不要な細切れの情報を追い続けていると不快な感情を増幅することにもなります。
もうかれこれテレビを見ない生活が十数年続いています。家にはもちろんテレビ自体がありませんし、今後も買うことはありません。ということで、自宅でテレビを見るというようなことは一生ないでしょう。
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