再びぼくの意識に、たっぷり充電された状態で浮び上がってきた

あまり気にかけなくなった対象やほぼ忘れていたような物事であっても、ふとした時に「再びぼくの意識に、たっぷり充電された状態で浮び上がってきた」といった感じで、より洗練された形で復活してくることがあります。

その中でもとりわけ一度沈みまた浮かび上がってくるもの、それは意欲などになるのではないでしょうか。意欲すら洗練されて復活するという感じです。

やる気や意欲というものは安定しているようなものではなく、ある程度継続的に意欲に燃えているような人でも、小刻みに考えれば案外やる気がない瞬間も結構あったりします。

夏休みというものはもちろん、競走馬のヒストリーを取り扱ったドキュメンタリーでも「夏の間に英気を養った」というフレーズが多く、夏は基本的に活力を養っておくための期間なのかなぁと思うことがあります。

そういうわけで、特に意識はしていなかったものの、毎年のように夏にはよく旅に出ます。

業種等々にもよりますが、勤め人をしていると夏の間でも祝日と盆休みくらいしか休みがなく、英気を養うというレベルでの休暇には程遠いような感じがしています。

モノ・サービスを問わず生産を稼動させてなんぼの世界と、かかった時間は問われず、どれほどの質のものを出すかということが問われるような世界とでは、季節的な時間の扱い方も大きく異なってくるのでしょう。

しかしながらやはり生き物として考えてみると、夏は何かにつけて気力体力の消耗が激しく、頭が回らないため無理はしないほうが良いと思います。

そういうわけで、どんな仕事にしても無理にカレンダー通りの働き方をしなくてもいいように工夫をしておけばよいと思っています。

英気を養う期間において、活力が充填されるという部分もありますが、意識の矛先が「目の前のこと」から離れるため、そうした課題等々についてうまく無意識が処理してくれるような気がします。

なので、意欲が戻るだけでなく、実際の解決策すらも創造的に生み出されるということすら起こります。

また、ただ単に新しい方法論付きでやる気が戻ったというだけでなく、意欲のあり方すらも変化してしまう、ということも起こったりします。

今までは単に職業人として「早く一人前になるぞ、がむしゃらにがんばるぞ」という感じだったものが、休んでいる間「そういえばあの仕事の時のあの感じはすごくうれしかったなぁ」ということをしみじみ思い出し、結果的に「あの経験をもう一度」的な感じで、対象の見え方や意欲の形が変わるという感じです。

まあそれももっと長い期間を踏まえての「時期」によると思いますし、意欲が続いているのなら別に休む必要もありません。

しかしながら内部循環モードになっているときには、発想の創造性を高めるためにも、一休みしたほうが理に適っています。

どんなに鼻息が荒い状態でも全く寝ずにいるということは不可能ですし、睡眠を削ると動きが鈍くなるというのは当然の理です。

それを一日ではなく一年という長い期間で考えてみるという程度ですが、夏の間はその日差しの強さとは裏腹に、一日で言う深夜のようなものというようなことになりましょう。

Category:笑う月

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