なるべく意識しないように努めて

デジタルデバイスの使用を控えるよう「なるべく意識しないように」努めてみたところ、意識はまとまり、また、顎の筋肉がほぐれてきました。

普段はガラケーしか使っていませんが、自宅には一応iPadやiPhone、デスクトップPC、ノートPCなどがあり、もちろんインターネットに常時接続可能な状態になっています。一度それらをフルで遮断し、意識がどう変化するのかを実験してみました。

まあこうしたものは俗世間の垢のようなもので、一応便利なものではありますが、やはり慢性的に意識を汚し気力を奪っていくものでもあります。

全て遮断すると意識はどう変化するのか?

仕事等々への若干の利便性から一応これらのデジタル機器を利用はしていましたが、全て遮断すると意識がどう変化するのかということを試してみました。

そのきっかけは、先日の「IT企業の人」に感じた違和感からです。

「仮想の情報空間に没頭していると社会性が欠如したり、近視眼的に独善的な方に意識が向かいやすいのではないか?」ということで、日常において、物理的な臨場感の方をより重視すると、意識はどう変化するのかということを確認したくなったという感じです。

何だか嫌だなぁと思ったということになりますが、そうした時は、他人のことよりも自分自身のことを振り返らねばなりません。

「少なからず何かしら毒されているのではないか?」と思ったので、その日から業務中以外の夜の間や休日はスマートフォンとタブレットの電源を切るという感じで過ごしてみました。

スマートフォンとタブレットの電源を切る

外にいる時はガラケーのみなので、普段とあまり変わりありませんが、自宅内にて一応使用可能なスマートフォンとタブレットの電源を切るという感じで過ごしてみました。

それら機器にて受信設定しているメール等々の確認すらできないような状態です。

すると即日から2日目の時点で、病みつきになるほどの効果が現れました。

2日目には、1時間毎に何かがメリメリ剥がれていく感じがしました。その都度、頭が「カッカッ」となって、歪みが整うような感じがしていきました。

体としては、頭から首、そして目と指が楽になってきました。

悪夢の後、劇的に回復

また、連続して悪夢を見ました。しかし、悪夢の最後は爆笑で終わり、笑いながら起きると、顎から後頭部、首あたりが激的にほぐれていました。

毎年のように出かける「夏ツアー」に関しても、疲労回復の1/3から半分くらいは、「デジタルデバイスの影響力の低下」ではないかと感じました。

「実際に使うかどうか」という点だけでなく、インターネット回線への常時接続状態にあるか否かというところがかなり影響しているように思いました。

「さあ使うぞ」というメリハリの感覚

これは、ふとした時にiPadなどが使えない、というよりも「使えるものの電源を入れて待つのがめんどくさい」という状態にあると「何を選択していくのか?」ということの実験でもありました。

もちろん日常的にそれほど使用したりはしていませんが、それでも「すぐに使える状態」というものは、意識のどこかに侵食しているような気がしました。

ふとしたスキマ時間に「思い浮かんだ対象をちょっと調べよう」とか、暇つぶしをしようというようなことを思わなくなると、集中力が高まっていきます。

インターネット黎明期の「さあ、今からインターネットに接続するぞ」という感覚をもう一度というものになるのでしょうか、使うとすれば「さあ使うぞ」という感覚で使ってみるという状態にしておいたという感じです。いわばメリハリです。

「スキマ時間にも情報を」ということの方が、一見合理的なように見えますが、集中力は奪われていきます。なので、総合的に考えてみると、常時接続によって常にスキマ時間に情報を、というようなことをしていると、結果的に注意力が分散し、集中力が低下してしまうので、情報を得たり、まとめたりするという点においては不合理になってしまうというようなことを思いました。

「ふっ」と降りてくるインスピレーション

そういえば電源を切ってしばらくした頃、最近昔のような「ふっ」と降りてくるインスピレーションが減ったなぁということを思ったりしました。

それは「友達への連絡」とか「ちょっとあの場所に行こう」とかその程度のものになりますが、「ふっ」と思い立つようなことが減ったような気がしました。

「溜まってどかんと意図が発生する」という感じが、なんとなく常時接続で意図が小出しになり、閾値に達しないというような構造になっているのではないかと思いました。

現代ではちょっと退屈ならば、ちょっとしたコンテンツにすぐに触れることができます。しかしそれが「小出し」で疲弊するということも起こっているような気がしました。

なのでいっそ遮断です。

昔の「ちょっと退屈」→「目の前にある漫画はもう読み尽くした」→「うーん…」→「!」というような流れを再現したいという感じです。

そんな感じで「すぐに手が伸びるところには何もない」という状況が続くと、どのような意図が発生し、どのような行動を起こすのかというところが楽しみです。

これは、少し前に友人が言っていた「変に休みが多いから『辞めてやる!』という決断に至る前に『まあいいかぁ』という感じになる。結局、爆発力が溜まる前にガス抜きされてるような感じや。その状態やから微妙に嫌な日々が続く。いっそキレたいけど、キレきるだけの爆発的なエネルギーが溜まりきらへん」という話から思いついたという感じです。

意識が向かう頻度で見える依存度

まあこうしたものへの依存度は、意識が向かう頻度で簡単にわかったりします。

元々そんなに使わないのですが、明日でもよい仕事メールの確認といった目的程度にはなるものの、一日3回位は「電源を入れようかなぁ」と思ったりしました。

ということは、その3回分は「社会生活を送る自分」としては少なからず依存があるということになります。

そんな感じで多少なりと気力や集中力を奪われていたということを発見しました。

さらに使用頻度の高い人はもっとすさまじい依存度になると思いますが、依存度が高い分、それをやめると訪れる効果もすさまじいものになるということになるでしょう。

常時接続という「区切りのなさがもたらす気力の浪費」(人間を咀嚼する大地の口)は、デジタルデバイスへの依存度に応じて凄まじいものになるため、逆に考えればそれだけ断つことによる効果も凄まじくなるという感じです。

個人的には、それらデジタルデバイスが無くなっても問題はなく憂いもありませんが、「問題はなく憂いもない」と思っている分廃棄処分等々の行動にも繋がりにくいという感じになっているのでしょう。

そんな中、少なからず「社会生活を営む部分」で、多少は意識が影響されていたということは否めません。

ということで、しばらくは「なるべく意識しないように努める」という感じで、頭や顔周りの凝り固まった筋肉がメリメリと完全にほぐれていくまで意識的に続けなければならないでしょう。

慣れればきっとそれが自然となっているはずです。

そういうわけなので、今後、ご連絡への返信スピードなどが遅れることもあると思いますがご容赦ください。

笑う月(一覧)

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