二つの異なった状態のために一言

本書「曙光」では情熱に駆られた状態のときについて述べていますが、ここでひとつ、意志決定について少しだけ触れようと思います。

胡散臭いコンサルをはじめ、胡散臭くない人であってもよく言うのが、「経営者に必要な能力は決断力だ」ということです。

まあ間違いではないでしょう。

何かを決めるときは、目の前の選択肢の中から選ぶわけですが、選んだ瞬間、他の選択肢を捨てることになります。時にイイトコどりということもできますが、概ねそんな感じでしょう。

選択肢の中から選ぶ

「車の運転が上手い人は、仕事もできる」とよく言われますが、全ての運転操作がはっきりしている人と、停止線からちょろちょろちょろと進みながら発進自体はどんくさいおばさんを比較すればわかりやすいでしょう。

この時「行くか?行かないか?」ということを含め「選択肢の中から選ぶ」ということが連続で起こっており、リアルタイムでそれを決断し実行したりしています。

「必要な情報はどれか」ということを選ぶことを含め、情報を得ること、判断すること、決断すること、実行に移すこと、といった流れが、リアルタイムで起こっています。そして、各々の処理速度が遅いと運転が危なくなるわけです。

料理が下手な人

調理も同じです。火力を使う料理が上手い人は強火で表面を固めて、旨味を閉じめる際に思い切りがあります。

料理が下手な人は、この思い切りがなく、「失敗したらどうしよう」と、ちょろちょろ弱い火力で作るからこそ、灰汁が出て旨味も逃げてしまう、というような感じです。

選ぶという決定だけでなく、決定後の行動の速さやタイミングの見極めというものも重要になってくるということの代表例であり、こうした行動の速さやタイミングの問題や態度の凛然さは、仕事面でも大きく影響を及ぼしてきます。

生きていれば選択の連続

経営に関わらず生きていれば選択の連続です。その際に安全を再優先して、行くのか行かないのかはっきりしない「ちょろちょろ運転」の方がかえって危ない事は言うまでもありません。

「失敗したくない」

という恐怖心ですが、残念ながら失敗しても大した損失が出ないことがほとんどです。

停止線からちょろちょろ前に出るのは、できるだけゆっくり少しずつリスクを減らしていこうというようなことを意図しているのかもしれませんが、かえってリスクを増大させていることに気づいていません。

いかに逡巡しようとも時間は過ぎていきますし、その分リスクが増えたり機会を失ったりしてしまいます。

まあ例えるなら、婚活中の人も同じです。

「リスクを避けつつ、少しずつ可能性を高める」と思いつつ、ちょろちょろ運転をして結局実を結ばない、というような構造になっていたりします。

では、なぜこのようなちょろちょろ運転になるのでしょうか。

一段上での意志決定・リスクの過大評価

それは、そのもう一段上の段階での意志決定がなされていないからです。そしてもうひとつは、リスクを過大評価していることです。

問題は目の前の選択肢の条件ではありません。

その一段上の抽象的な意志決定において、軸がないからです。

そもそも何がしたいのか、ということと、損失が起こっても軌道修正や損失の許容ができるか否か、というだけの問題で、ふらふらしていることのほうがずっとリスクであることに気づいている人はあまりいません。

未知のものに恐怖心を抱くのは普通の反応ですが、損失が出た場合、それほど気にするような損失なのかを考えたほうが良いでしょう。

二つの異なった状態のために一言 曙光 502

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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