不確かさが面白さを作る

思えば「不確かさ」が恐怖をもたらし、一方で面白さももたらしているのだなぁということを思うことがあります。

ゲームにおけるゲーム性を考えてみた時、絶対に勝てるようなものはゲームとして成り立ちませんし、面白くもなんともありません。逆に絶対に勝てないというものもゲームとして成り立ちませんし面白くはないはずです。

まあ対象がどのようなものなのかがわからなければわからないほど恐怖ともなりますが、ある程度はそれが何かを把握した上で、不確かさとか不確実性と言われるものがあるとそこにはゲーム性が生まれるので、解釈しだいでは何事も面白いゲームにしてしまうことができるのではないでしょうか。

最近久しぶりにFINAL FANTASY TACTICS(ファイナルファンタジータクティクス・FFT)をやってみました。人生で3回めです。きっかけは「第1300回投稿記念」で超絶甘党について触れるためにそのワードが出てきたからということになります。

およそ20年ぶりくらいにプレイをしてみましたが、やはり攻略法などを見ずにやってみると結構難しいんですよね。でもその難しさが面白く、頭を捻らなければならないというところに最大の魅力を感じるという感じになっています。

ゲームの愉快なところは、結果がただの結果にしか過ぎず、だからといって金銭がもらえるわけでないというところで純粋なゲームだというところです。

世の中にはたくさんのゲーム性を持ったものがありますが、金銭やそれに伴う生活、そして人間関係や名誉に至るまで、リアルな人生に密着しすぎているので、純粋に楽しむということが難しかったりします。

そんな感じで普通のゲームは、純化されたゲームであるからこそ、いろいろなことに気づきやすいという利点を持っています。

そのような感じで今までにもたくさんのゲームやアニメなどから物事を考えるきっかけを与えてもらいました。

そんなことを思い浮かべていると、面白くない仕事をどうすれば面白くできるかという点についての考えが浮かんできました。

面白くない仕事を面白くする

「面白くない仕事を面白くするにはどうすればよいのか?」

ということを考えてみた場合、慣れ親しんだ事柄に対してでも不確実性を組み込んでしまえばいいのではないでしょうか?

仕事を覚える段階のときには、その覚える内容の多さとか、経験したことがないという意味での新奇性の高さによってその分疲れたりもしますが、フラフラになりながらも面白みを感じたりします。

電話応対があたふたしても新人だということであればお客の方も微笑ましく思ってくれたりするというような感じで、「慣れていないことなので失敗しても大事にはならない」という背景がある中で行う新しいことというものは、緊張もありながらまあまあ面白みがあったりします。

しかし、手慣れになってくると結果もだいたい分かるため安心ですが、ただのルーティンになるので面白みはありません。ただ仕事である以上、多少の面白みくらいはあったほうが捗ったりするという構造を持っています。

そんな時に脳筋体育会系の恫喝上司などであれば「面白いと思い込め」などと、感情の世界に無理に論理を持ち込んできます。

それは外発的動機づけにもかかわらず、「内発的動機づけであると思い込め」といっているのと同じでナンセンスです。

そこで考えてみたいのが、「若干の不確かさを持ち込んでみる」ということです。

タイムアタックにしてしまうことで生まれる「不確かさ」

例えば、あまり意味はないかもしれませんが、単純なことであれば、オフィスの階段を登る時にいつもは目的地まで1分かかっているものを30秒を切るくらいで登ってみようというような事柄になります。単に早く登るのではなく「達成できるかわからない最速記録」と言う概念を用いてみるという感じです。

梱包の仕事とかシール貼りという一見面白くなさそうな仕事なのであれば「作業完了までの最速記録を作ってみる」という達成かどうかが不確定な要素を付け加えるという感じになります。

結果としては必ず達成できる事柄であっても、タイムアタックにしてしまうと「最高記録が更新できるかどうか?」というところには不確かさが生まれます。

「うまくいくかどうかわからない」という事柄に関しては、恐怖も生まれますが同時に面白さも生まれます。

しかしルーティンとなると、基本的には仕事の完了自体がほぼ確実であり、不確かさがないためゲーム性は生まれません。

そういうわけなので、同じことの繰り返し的な事柄なのであれば、タイムアタック的な感じの要素を付け加えて不確実性を作ってしまえば多少は面白くなるのではないかと言う感じです。

それはやる本人にとっても楽しい時間になる、とまでは行きませんが面白くない仕事が多少は面白くなったりするので良いことであるはずです。そして同時に周りの人からもありがたがられるため一石二鳥です。

嫌な上司が創造性を妨害する

そうして創造性を持って仕事を面白くしたほうが自分も自分の周りの人も楽しく過ごせるはずですが、時に嫌な上司が創造性を妨害してしまうことが起こります。

仕事をタイムアタックにしてしまって、楽しんで仕事を素早くこなしていくというのは何のデメリットもないのですが、それによってコスト削減などの恩恵を受けるのが嫌な上司や嫌な会社オーナーだったりするという感じになると、意識的にストップがかかってしまいます。

いわば面白くない仕事をどうすれば面白くできるかということについて考えて、結果的に生産性が高まった場合に、「嫌なやつに手を貸すことになってしまう」ということになれば、感情的に葛藤が生まれてしまいます。

結果としては同じことであって、かける時間が短くなったのであれば恩恵を受けるのは基本的に本人ですが、せっかく短い時間でこなしてみたのに勤め人の場合だと残業代が減ってしまうということで所得が減ってしまったりもします。

それで会社はしっかりと儲かっていたり、上司の評価は上がったりしているのに、本人は給料を減らされるだけになるということになれば、早くできたとしてもやろうと思いませんし、更に速くやってみようという創造性などはどこからも生まれてきません。

「時間節約のためにみんなでアイデアを出そう」

などと言いながら、結局得をしているのは会社だけじゃないかということになれば、「お前らが儲けたいだけじゃないか」ということを思う人がいてもおかしくはないどころかそれが普通の感覚です。

しかし、本来残業分を支払わずにいればその分だけ会社も儲かるはずですし、時間あたりの賃金が割増にならないとなればさらに会社としてはありがたいはずです。

そんな中結局、儲かっているのは会社だけでさらに、嫌な上司の評価も上げてしまうことになるということになるのであれば、「どこかで仕返しをしてやろう」と思っている人たちが創造性を発揮することは期待できません。

会社の儲け云々ということは一旦置いておいたとしても、「自分の部署の能率が上がったのは自分の創造性ではなく、嫌な上司の管理能力の高さだったと周りが評価するなんて嫌だ」という気持ちがゲーム性による面白さとそれによる生産性向上を妨害しているという面は否めません。

本来はそんな嫌な上司のことは気にせずに面白くない仕事をどんどん面白くすれば良いと思いますが、評価されるべき人が正当に評価されないという土壌があると、おそらくそんな都合の良いことは起こらないと思います。

まあ根本的にそんな嫌なヤツが出世しているような会社には期待もできないというのが本当のところです。

おそらく世の大半のお勤め人さんはそんな事を考えているのではないでしょうか。

ただ、中途半端にやってしまうと、恩恵は嫌なヤツに横取りされていきますが、一貫してやり続けているとそれはいつか花を咲かせるはずです。その会社で評価されだすということもありますし、その会社を飛び越えて評価されてしまうということもあるでしょう。

そういうわけなので、ケチ臭くなどならずに何事も面白くしていくのが一番だということになります。

Category:company management & business 会社経営と商い

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