フィルムの使用量は信じがたく低い

安部公房氏の笑う月が刊行された昭和五十年の時代においても、「フィルムの使用量は信じがたく低い」と表現されるほどに、日本においては、カメラの所有数に比べてフィルムの消費量は著しく低いということのようでした。

現代においてフィルムカメラを使用するということは、もはやマニアの域に達していると言わざるを得ません。

デジタルカメラが普及し、携帯電話などで画像が撮れるようになり、かつ、それらの解像度が高まっていくに比例してフィルムの価格は高騰していきました。

フィルムの価格と現像代

そしてそれと比例するように現像代も高まっていきました。

僕たちが中学生の時は、使い捨てカメラが主流であり、27枚くらいの使い捨てカメラに関して言えば、現像料とプリント代合わせて400円ちょっとくらいだった記憶があります。もちろん品質としては低いものなのでしょうが、それだけ現像に関しても競争が激しかったということを物語っているような気がします。

今後需要がなくなればもっと価格は下がっていくのだろうかと思ったりもしましたが、現実的には逆で希少性が高まり、大量消費されない分、それぞれのコストが高騰していった結果、フィルムにしろ現像にしろ価格はどんどん上がっていきました。

そのような感じで、一度限界まで価格が下がりつつも、急に価格が高騰するようなものはここ10年で結構登場したような気がします。

ちょっとした充電器や接続コードも、100円だったものが1000円くらいになったり、かつては、ほぼゴミ扱いされ数十円という値がついていたファミコンのソフトが急に何百円から何千円に跳ね上がったりと、何だか変な感じのする値動きは、至るところで見受けられます。

「家にある大事なカメラを壊してはいけない」ということから、使い捨てカメラばかり使っていた中学生くらいの頃、フィルムを購入するということはなかなかありませんでした。

そんな中、キーホルダー的にかばんにつけておくことのできるおもちゃのようなカメラが流行ったことがありました。

普段使うようなフィルムではなく、何だかメガネ型のようなフィルムを使用するという感じだったので、どちらかというとそのフィルムのほうがたくさん買ったような記憶があります。

もちろんフラッシュ機能などはないので、日中に外で撮るということが基本でしたが、まああの手のひらサイズ感がやたらと人気でした。

しかしその一年後くらいに携帯電話が普及し、すぐにカメラ機能が付き出したので、すぐに風化していったというような感じでした。

カメラ好きの一つの特徴

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