ドイツ人の徳について

世界中どこを旅していても出会うのがドイツ人というのが相場です。中国人は集団で観光に来ますが、各国で出会ったドイツ人はほとんど独りです。たまに船岡温泉が外国人でいっぱいになる時がありますが、話しかけてみるとドイツ人だったというケースが結構多いように思います。

さてドイツ人といえば次のようなお方です。

頭文字D(イニシャルD)が好きすぎて日本に来たドイツ人…”という動画でしたが、youtubeに著作権侵害の申し立てがあったため削除されました。
別のものを見つけました
また削除されていました。

イニシャルDが好きなドイツ人が、日本に来て群馬のレンタカー屋で新型86を借りて、実際に舞台となっている峠を走る、という内容です。

どこの国にでも同じようなことをする人がいるものです。おそらく一発で友だちになれるでしょう。こういう人の神経がわからないという人とはおそらく友だちにはなれません。ただ、こちらは所詮京都から群馬です。この人は飛行機に乗ってまでやって来ているというのが強者です。

目的のある旅

旅に目的がある方がいい、無い方がいい、ということはたまに議論されますが、目的などあってもなくても良いものです。

しかしながら、観光となると、行政やJRなどはアホの一つ覚えのように神社仏閣などを押し出そうとします。

京都にはたくさんの神社仏閣があり、また、学校もたくさんあります(なお、それにより京都市の人口の約10人に1人が大学生です)。その学校の中で宗教の絡んでいないところを探そうと思えば大変です。公立以外ではほとんど宗教が絡んでいます。

同様に観光となると、たいてい宗教が絡んできます。もともと観光の意味自体が、神仏の光を観るというような意味なので、致し方ないところはありますが、それ以外のものを探すほうが大変です。観光案内所に行っても神社か寺を薦めてきますからたまったものではありません。

いざ、宗教の絡まない観光へ

そういうわけで、ここ数年は意図的に宗教の絡まない観光地へ行くことにしています。イスラエルやネパールは、宗教が絡まないどころか、その聖地です。ゴルゴタの丘など、イエス終焉の地ですから。

ちなみにブッダことゴータマ・シッダルタを「インド人」という人がたまにいますが、厳密に言えば彼の生まれたルンビニは今のネパールです。

練り歩いていたのはインドですが、生まれたのは現在のネパールです。当時は釈迦国(シャーキャ国)カピラヴァストゥですが、現在でいうネパールのルンビニあたりになります。

宗教の絡まない旅、ということで、色々模索していると、やはり商人文化だったり職人文化、自然の名勝ということになります。探せば結構ありますが、最大の利点は、観光地が閑散としていることと、土産物屋があまりないことです。つまりは、観光客相手の商売があまり成り立っていないということで、おもんないグループにあまりあわなくて良い、という点です。

ドイツ人の徳について 曙光 231

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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