「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処

「キャー!」「きゃあん!」といった超高周波の奇声を絶叫する子供が激増してきました。

家の前、飲食店、スーパーなどの小売店、そして温泉ですら、「無線のチューニング」並みの「キャー!」「きゃあん!」という子供の奇声が聞こえてきます。これは完全に公害です。

最初に言っておきますが、「うえーん」や「えーん」「ぎゃあああ」といったように、怪我をして泣いているとか、赤ん坊が泣いているという場合の声ではありません。

だいたい女の子の方に多いですが、小学校就学前から小学校中学年くらいまでの間の子供が叫ぶ「キャー!」「きゃあん!」という謎の高周波についてです。超音波と言ってもいいでしょう。

「何が悪いのかわかっていない」

ということなので、

哲学者風に

「それが犯罪であると認識し、故意に犯罪を犯した者は反省する動機があるが、何が悪いのかわからずに犯罪を犯した者は反省する動機が存在しないためより重罪である」

ということで爆音の奇声について書いていきます。

法的には「知っていながらそれを飛び越えてくる」ということが悪意あることという感じになっており「わざとやった場合の方が悪い」ということになっていますが、哲学・倫理学の領域では「反省する動機がない場合こそ重罰に処するべきである」という考え方もあります。

まあいずれにしても、「反省する動機」という意味では、故意にやった場合でも、現状は抑止力が足りなかったということにもなるので、「より強い反省する動機」を与えるという方向で考えることができます。

あの手の子供の奇声は理性を超え本能に直接的に働きかけてくるので、どうしようもありません。「暑い、寒い」と同タイプの不快感です。そういうわけで、まさにこの子供の奇声は、怨憎会苦の最たるものであり、徹底して排除していかねばなりません。

子供の奇声

まず子供の奇声について、齟齬がないようにその特性について触れていきましょう。

無邪気の危険」でも触れていましたが、このタイプの奇声は「うああああ」というようなタイプのものではありません。

ミュージックステーションにジャニーズが登場した時に入る歓声に近いような高周波音です。

「キャー!」「キャアン!」というような、嬉し楽し的な奇声であったり何かの驚愕を表すような声です。黄色い声と言われるようなものと同じタイプのやつです。

自分を可愛いと思って発するような「今リア充です」的な感じのアピールで奇声を発することが多いでしょう。

僕はこの音が、発泡スチロールをスリスリしているような音レベルに嫌いであり、聞こえた瞬間、思考を飛び越えてアドレナリンが爆発します。

怪我をして痛いとか、恐くて泣いているとか、そういう時の声ではありません。

再度誤解を招かないように書いておきますが、赤ん坊の鳴き声には何の問題もありません。それで怒ったことは一度もありませんし、「親御さんも気にしなくていいのになぁ」とすら思っています。

しかし、子供の奇声はそれとは別物です。

Dr.スランプアラレちゃんの「キーン」を1オクターブ上げたような高周波で、走りながら「きゃーーーーー!」などと叫んでいたり、保護者に振り向いてもらおうと思っているのか「きゃん!」「きゃーん!」などと絶叫しています。

そのほとんどが、惣流・アスカ・ラングレー並みの「私を見て!」とか「私ってかわいい♡」というレベルの目的しか持っていません。

「きゃー!」「きゃあん!」といった超高周波の奇声を絶叫する子供が激増してきたということですが、僕が小さい頃はどうだったのかを母に聞いてみると、「そんな声は出したことがない」ということでしたし、小学校の同級生においてもそんな奇声をあげている同級生がいたことは一人として記憶していません。

だから本当に「最近増えてきた」という感じです。

すべてが台無し

ここ5年から10年でこの手の奇声が激増しました。

家の前、飲食店などでこの声がするとすべてが台無しです。

以前、飲食店で子連れで子供を含め20人位の団体があとから入ってきて店内で「キャー!」と絶叫しだしました。

そうした子どもたちを保護者は無視。

店員も無視。

そういうわけで、まだ料理も出てきていなかったので、帰ることにしました。

食事のときには、料理に対して意識を集中するということにしているからです。もちろん、保護者、店員には説教をしておきました。

そういうわけで、そうした客層のいる店には一切行かなくなりました。店員すらも「何が悪いのかわかっていない」というケースが多いですし、毎度毎度面倒だからです。

個人的な印象ですが、他府県に行った時は結構奇声との遭遇率がマシであるような気がしています。京都市内、特に京都の洛外が一番ひどいという印象を持っています。おそらく新興住宅地のようなものができているような場所において増えてきている傾向にあるのでしょう。

「元気なことはいいこと」←君たちはね

まあ僕はこの手の奇声に遭遇すると、その次の瞬間に説教をしているわけですが、世の中ではそうした奇声を発する子供の保護者からの言い分として「元気なことはいいことだ」というような声があるそうです。

僕は直接言われたことはありませんが、そうしたことをいう保護者は頭がおかしいだと思っています。

なぜなら「元気でいい」のは、その人達だけだからです。

「元気で結構なことだ」と喜ぶのはその人達だけで、周りの人にしてみるとたまったものではありません。

稀に「あまりそうしたことで子供を制限すると、臆病な大人になる」などという人がいますが、何も外で会話すらするなとか、遊ぶなと言っているわけではありません。

むしろどんどん話せ、どんどん遊べとすら思っています。

別に飲食店で大声で話していても、周りの人の迷惑にならないのならそれは構いません。

「キャー!」とか「きゃあん!」というような謎の奇声をあげるなということです。

それすらも良いというのであれば、「男女が絡み合っている動画の音声を自宅前で爆音で流してもいいのか?」ということになります。

どうせ「キャー!」を許容したところで、「たくや」や「まさひろ」と書かれたようなハート型のうちわを持って絶叫するような大人にしかならないというのは目に見えています。

責任能力がないものがやったことなら全てが許されるのか?

勿体ぶった振る舞いをしない」などで触れていますが、子供がやったことだからとか障害者がやったことだからといって全てが許されるというわけではありません。法律上も、刑事上の責任などは出てこないかもしれませんが、民事上では発生したりしますし、伝家の宝刀のように振りかざせるものではないはずです。

例えば精神に障害を持つ人が錯乱し、楽しそうに通行人にラリアットをして突き進んでいったとしましょう。

それを「元気があっていいことじゃないか」と言っているのと同じです。

子供の奇声は気が狂いそうなほどの攻撃力を持っています。

しかし「元気なことはいいこと」などと言っている人たちは、もしかすると聴覚に障害があったりするのではないかと思います。人によっては聴こえる周波数帯の幅が違うので、高音域は聞こえていないのではないか、ということです。

いいえおそらく意識の中で遮蔽が働いているのです。

「自分に都合の悪いことだから見えない、聞こえないに遮蔽効果が働いている」という感じです。

まあ外ででもあれだけ「キャー!」と絶叫しているので、その手の絶叫には慣れているのでしょう。

しかしその人達が慣れていて気にならないのならばそれでいいのでしょうか?

家庭内暴力に慣れている人が、「殴られたくらいで・・・」と言っているのとあまり変わりません。

世の中では、子供がやったこと、障害者がやったこと、痴呆の高齢者がやったことなら仕方ないということを平気で言う人達もいますが、そうして言い逃れをしながら、しっかりと痴呆の親から遺産を相続したりしているのです。

だから責任能力がないものがやったことなら全てが許されるということはありえません。責任が取れるからです。

奇声に対して叱るとそれを無視する保護者すらいます。

そうした人たちは知能に障害がありますから、何を言っても仕方ないので、子供に恐怖を与えることにしてます。

バカに話は通じないので、バカには恐怖で調教するしか無いということになります。

「条件づけを行うしかない」

ということです。

謝って欲しいわけではなく、今後起こらないようにして欲しい

家が通学路沿いにあるため、「キャー!」「きゃあん!」といった超高周波の奇声を叫ぶ子供たちの絶叫マーチが家の前で繰り広げられることがあります。

近所に新築が建ち始めた時にセットバックされ、車は来ないもののある程度広い道になったため、格好の絶叫スポットとなってしまいました。

朝なら朝で「私には静かに起きる権利もないのか」と思ってきますし、夕方なら「落ち着いて会話する権利もないのか」と思ってきます。

飲食店なら「料理を味わう権利もないのか」と思ってきますし、温泉なら「温泉でやすらぐ権利もないのか」と思ってきます。

しかし、僕はそうした時に「堪え忍ぶ」ということはしません。

いつでもどこでも平気で叱りますからご安心ください。

この一年でおそらく50人位には「報復をする気が無くなるほどの恐怖」を与えてきました。

反省する動機を与えるためです。

ここで勘違いが生じるといけないのであえて書いておきますが、僕は謝って欲しいわけではなく、今後起こらないようにして欲しいということを思っているだけだったりします。

「僕を怒らせたことについて、自尊心回復のために謝って欲しい」

というものではありません。

「もう二度と『キャー!』といったような奇声を聞かせるな!」

ということです。

いくら指導しようが、「奇声をあげる子供を悪いと思っていない『知的な障害を持つ保護者』」には話が通じず、下手をすると無視をしてきたりもしますので、そうした状況においては恐怖を与えるしかありません。

一度限りの出来事であれば去ればいいだけですが、近所で起こることであり、再発性があるのならたまったものではないからです。

キャーと叫ぶ子供の奇声の原因

さて、長々とキャーと叫ぶ子供の奇声についての怒りの面についての話が続きましたが、次にこうした「きゅあー!」という奇声の原因について考えてみましょう。

それはだいたい、始まりは親の愛情の獲得を欲して叫びだしたというのが本当のところであり、その後、いたるところでの自己顕示欲の表れとして「人に意識を向けてもらう」ということの解決策としての機能を持つようになったという感じになるでしょう。

そしてさらに「絶叫することの快感」を覚えてしまったということになります。

愛への渇望

まずは、最近説教した「スーパーでの出来事」について触れてみましょう。

スーパーの店内で「キャー!」と絶叫している子どもたちがいました。もちろん保護者として両親ともが店内にいます。

しかし、彼らは奇声をあげる子供を完全に無視です。

それどころか、父母とも「ブラック企業勤め臭」がしており、気力がほとんど残っていないような状況でフラフラで買い物をしていました。

つまり、気に留める気力すら無いという感じなのでしょう。

絶叫した直後に両親の方に顔が向いていたので、完全に愛への渇望です。

しかし許しはしません。

なぜならこのままでは「反省する動機がない」からです。

今後同じスーパーで遭遇することも考えられますし、二度と奇声は聞きたくないからです。

そういう時に普通は親に対して怒ったりするかもしれませんが、僕は子供に直接言います。なぜなら、保護者に言ったところで、その人達も理解していないのだから、保護者から間接的に教育してもらうということは絶望的だからです。

自分の行動のどの部分がおかしいのかを本人はわかっていないので、その行動を起こした瞬間に調教します。

まあ核家族化して気力体力が足りないというのはわかりますが、だからといって子供の奇声を野放しにしてよいということにはなりません。

また、以前実家の前で「奇声ラッシュ」が起こったことがありました。

その時にももちろんキレたわけですが、その直前に一瞬観察すると、奇声を上げている子どもたちは、奇声をあげた直後「会話をする保護者たち」の方を見ているのですが、当の保護者側は子どもたちを一切見ていません。

そういうわけで奇声ラッシュが起こりました。

キレてからというもの、実家の近くに引っ越してきた人やその友人達は、僕を無視するようになりましたが、それで構いません。

自分たちが正しいというのならば、僕にキレ返してみればいいのです。

もしキレ返してきたならば、その奇声を録音して、鼓膜が破れるレベルで聞かせてあげます。

それくらいの調教が必要なのです。

反省する動機がないのですから。

自己顕示欲

さて、次に自己顕示欲について触れてみましょう。

稀に子供が「きゃあん!」と絶叫しているにもかかわらず、その声で周りの人がその集団に注目すると「ほら、オレたち理想のお父さんお母さんやってるぜ」的に誇らしげにするB層がいます。

絶叫によって周りから注目が集まることをむしろ誉れに思っているという絶望ですが、そうした保護者のもとで育った「奇声をあげる子供」は、むしろ「きゃー!」と叫ぶことはいいことなのだ、というふうに学習していきます。

はっきり言えば、これは暴走族の暴走行為と同じです。

そうして学習が完成した子供は、叫んで人に注目されることが良いことだと思うので、所構わず奇声をあげるようになります。

これが「私を見て!」「私かわいい♡」というような現象が起こるまでの因果関係です。

ただの自己顕示欲のために奇声を聞かされる人たちのことを考えてみましょう。

それで無視をすると、次は「愛への渇望」です。

だから、奇声を発する事自体に対しての調教が必要です。

慰めと快感

最後になりますが、「きゃー!」というような、子供の奇声には快感を欲してという感じで自らへの慰め要素があると思っています。

人は大きな声を出すと、思考が止まり、思考が止まると悩みによる不快感がとりあえずは停止します。

以前、ある本の中で自己啓発セミナーについて書いてあって、その中の課題として「ある文章を暗記して、大声で叫びながらその文章を話す」というものがありました。

結局オチとしては、大声で話すと思考が止まるので、文章を思い出せず、文章を思い出そうとすると声が小さくなるということで、その課題はクリアできないような仕組みになっていたと言うような感じです。

そこから考えられるのは、大声を出すと思考が止まるということを持って、不安感や不快感を解消したいというような糸があるのではないかということです。

某ブラック企業でもその社員研修で「絶叫する」というものがあります。

「大声を出してプライドを捨てろ!」

というようなものですが、そうすることで、精神状態が変わるということになるのでしょう。

そうして「スッキリする」というのはいいですが、奇声をあげる場所は、カラオケでも公園でも海辺でもありません。

他人の家の前、飲食店、スーパーなどなど、叫ぶためにあるような場所ではないところで絶叫しているのです。

再度書いておきますが「生きるために必要な叫び」について言っているのではありません。

自己顕示欲や快楽のための行為である「きゃー!」とか「きゃあん!」といった「奇声の絶叫」は公害だということを言っているにすぎません。

「キャー!」という奇声への対処

さて、それでは最近行った「キャー!」という奇声への対処について触れておきます。

それは非常に単純で、近所の小学校に通報したという感じです。

一応毎度毎度、叱ることにはしていますが、小学生は毎年毎年1学年が入れ替わります。そういうわけで、毎年登場する奇声をあげる子供への対処が面倒なので、小学校に連絡をしてみました。

もちろん小学校の教員の人たちにすべての責任があるわけではありませんが、小学校からの帰り道で起こっていることなので、一応相談してみたという感じです。

「住所を教えておきますから、保護者から文句が出たら別に100人でも1000人でも来てもらっていいですよ」

といってみました。

「一番権限のある人を出してください。教頭か校長ですね。どちらかの人を出してください」

「いま外出しておりまして」

「そういう嘘はいいですから。出しなさい」

「いいえ。本当におりませんので、教務主任たちで対応させていただきます」

すると、特に頼んでもいないのですが、教員が数人で我が家までやってきました。

で、「別に先生たちが謝る必要はありません。奇声をあげるのをやめさせてほしいというだけです。

本来は本人や保護者に言うべきですが、どこの家に言いにいったらいいかわからないのと、大人数を一気に指導して欲しいという旨であなた達に連絡をしたというだけですから」

「今日は下校途中に子どもたちの興味をそそるようなものが落ちていたようで…」

「ですから、今日起こったことについての弁明などは必要ありません。

なんなら、費用を出すかこちらで作りますから、保護者あての配布物を配ってください」

「いえ、教員側でなんとか対応させていただきます。これも教育として必要なことだと思っておりますので」

そんな感じで話をしていると、その日は、下校ルートに先生が立って、奇声をあげるたびに指導をしてくれたりしました。

その日の晩、教頭がわざわざ我が家にやってきました。

「いま一学年が修学旅行中ですので、帰りしだい全校集会を開いて指導させていただきます」

「そうですか。それはどうもありがとうございます。しかし、おそらく本人たちは『何が悪いのかわかっていない』のだと思います。奇声や大声といっても、どの声のことなのかもわかっていないかもしれません。

そしてそれは無意識から起きる行動なので、自覚がないということがほとんどでしょう。

だから、良いとか悪いとか言う点だけでなく『無意識に起こることを意識に上げる』ということを指導してください」

ほとんど期待はしていなかったにもかかわらず、的確な対応をしてくれました。

「意外と義務教育も捨てたもんじゃないなぁ」と思いつつ、「だったら最初から何とかしておけばいいのに」という気持ちも起こりました。

といっても入学したての子どもたちのことについては、先生たちとしても関わりが最近のことなのでどうしようもないのかもしれません。

まあ、一気に改善するということができなくても、少しずつでも公害が収まっていけばいいと思っています。

根本は「反省する動機がない」というところにあるので、その動機が少しでも起こったのなら、少なからず改善はしていくでしょう。

Category:miscellaneous notes 雑記

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