勿体ぶった振る舞いをしない

われわれが自分の利益になるためにすることは、他人からもわれわれ自身からも道徳的讃辞を受ける筋合いのものではない。われわれが自分を喜ばせるためにすることも、同じくその筋合いのものではない。 曙光 508 前半

まあ面白いもので、自分の利益になるためにすることとか、自分を喜ばせるためにすること、というのは、それ単体ではないことがほとんどだということです。

といっても、「お世話になったコーチのため」くらいからは少し怪しくなってきます。アイドルなんかは寒いですよね。

で、残業したら偉いとか、「タイムカードは切りました」そんなのを本気で偉いと思っている人もいるくらいですから、困りものです。

先の投稿で、物事にはプラス面とマイナス面があることについて触れましたが、そんなことをしているから、企業や社会全体で残業するのが慢性化したり、効率よくすることを考えなくなったり、ブラック企業が生き残ってしまって、社会が悪化するのです。

仮に自営業とか自分の会社とかなら、そんな長時間労働は、人に話すことではありませんし、それが利益につながっているのなら、別に人に賞賛してもらうようなことでもありません。

「自分で自分を褒めてあげたい」系の人は、一体どんな思考回路を持っているのでしょうか。

「はい!僕やったらデキる子なんで!」とかいう人の思考回路は今でも理解できません。

最近、「叱らない教育」とか、「ほめる教育」とかがありますが、あまり真に受けないほうがいいと思います。

「キャー」と奇声を上げる子供を放置している人

何でもかんでも感情で叱ると萎縮する人間になってしまいますが、ところかまわず「キャー」と奇声を上げる子供を放置している人は障害者ではないかと思っています。

こちらがツッコむと「私は今『叱らない教育』をしているのに、邪魔をするな」くらいの居直りぶりです。

それどころか子どもを煽り意図的に「キャー」という奇声を上げさせている人もいます。家の中でうるさくされるくらいなら、外で体力を発散させようというような意図なのかもしれません。

子どもを追いかけ、子どもは「キャー」「きゃあん!」と超高音の奇声を発する、と言った感じです。

で、仮に「うるさい」とツッコもうものなら「叱らない教育の邪魔なんですけど」くらいに思うような感覚です。精神か知能に障害があります。

そういう頭の悪い人が、そういう特殊な教育法を表面でわかったつもりになるのは危険です。

まあ、蛙の子は蛙になるのが普通ですから、同じような大人になっていくでしょう。

子供も障害者なら、親も障害者

その人の中では、道徳的讃辞を受けるほどのよい教育をしているつもりでしょうが、「自分の利益になるためにすることとか、自分を喜ばせるためにすること」の範疇です。

別に周りは、何も嬉しくありません。それどころか十分に迷惑です。

「立派な大人になるために、今『叱らない教育』で子供に教育することは、社会全体の利益にもつながるのだから」

くらいに思っているはずですが、そんなことはありません。

今迷惑だからです。そして、そんな人が立派な人になるとは思えません。

子供も障害者なら、親も障害者です。障害者なら仕方ないという人がいますが、僕はそんなことは思いません。

なぜなら、僕は19歳かそれくらいの時に、障害者に殴られたことがあります。

まあ、本人は意識の上でどう思っているのか知りませんが、保護者も監督者も、居直りです。

「障害者がやったことですから」

殴られたもん負けみたいな感じでした。

いや、そんなことはないはずです。誰かしらが責任を負うべきです。

本人に意思能力がなく、刑事罰がないからと言って、許されるものではないと思います。

いまなら損害賠償請求をするでしょう。

さらに言うと、小学校二年生の時に公園で、知的障害者に「おちちなめさせてくれる?」と言われて、胸元を隠しながら猛ダッシュで逃げたことがあります。

それと同じレベルです。

配慮はしても、全てを免責にする必要はないと思います。

子供だから仕方ない、障害者だから仕方ない。

そういう面はあるでしょう。しかしすべての面において、それが免罪符になるとは思いません。

そういうところは、逆に差別だと思っています。

なぜならそうした属性を持ちながら、まともに生きている人達もいる中で、十把一絡げに「障害者だから仕方がない」とか「子供だから仕方がない」とすることは、まともに生きている人たちを侮蔑することになるからです(ある種の侮蔑)。

少なくとも、「仕方ない」という言葉は、本当に仕方がないときにだけ使うべきです。

仕方がいくらでもあったのに、それをしなかったのを「仕方ない」ということにしてしまうのは、おかしいはずです。

「叱らない教育」や「ほめる教育」

残念ですが、「叱らない教育」とか「ほめる教育」とかそういうのに飛びついている人たちで頭のいい人に出会ったことがありません(家の前で遊ぶ子供がうるさすぎたので注意すると子供の親が怒鳴り込みに来た)。

「炭水化物の量が~」とかそういったことに飛びつくタイプです。

まあ簡単に言えばB層です。

歪んだ「叱らない教育」は、子供の「情動コントロール力の低下」を招きます。情動を抑制する機会がないので、情動を抑制する神経回路が発達しません。

無邪気の危険

「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処

勿体ぶった振る舞いをしない 曙光 508

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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