さよなら2019

2019年が終わります。ついでに今年は平成も終わり令和になりました。その元年も終わるということになります。今年は亥年で歳男ということでしたが、猪や豚よりも馬とたくさん触れ合うことの多い一年でした。

2019年は中盤より体が悲鳴を上げ、精密検査を受けたりしましたが結局今はピンピンしています。ということを踏まえて、2019年を振り返っていきます。

僕は12月生まれなので、36歳になりました。

35歳を超えると感性が固定化され、笑い等々の視点もおじさん側となり、自分が勝手に思っている35歳理論に基づくと精神年齢は逆行していくという感じなので、今年の振り返りとしてますは僕の幼児性についてでも触れていきましょう。

幼児性の表れ

まず眼科からもらったドライアイ用の目薬を入れるためのポーチから。

忍者ハットリくんポーチ

忍者ハットリくんポーチ

この忍者ハットリくんポーチは、家電屋の通路に置いてある系のガチャガチャで手に入る品ですが、感覚的にはプールシーズンの夏休みによくCMが流れる「こども目薬」の感覚が残っているという感じでしょう。

次は、同世代の方なら強烈に欲しくなってしまうような逸品です。

みどりのマキバオー 目覚まし時計

みどりのマキバオー 目覚まし時計

きちんと男性のシンボル部分も省略することなくというところが最高です。

さらにこのマキバオー目覚ましの最高なところは、目覚まし音声にあります。

ミドリマキバオーことうんこたれ蔵の声のみならず、チュウ兵衛親分の声まで入っています。

「おしゃべりモード」にして、音声を出すことができますが、たまに朝方に5回ほど声を聞くことがあります。

このみどりのマキバオー目覚まし時計は、誕生日にもらったものですが、今まで出会った置き時計の中で最高どころか、手作りの物を除きもらった物の中で最高点をはじき出しています。

時計の機能など時間を示す程度です。その機能によほどの不具合がないのなら、後はオマケです。

世の中にはより高価なものがたくさんありますが、「価格ではなく本当に好きなものを選ぶ」ということがいかに重要かということがよくわかります。

ということで、こうしたところに僕の幼児性が表れたりしているわけです。

ある種の制限のなさが、思考にも限界を無くしているとも考えられるので、そうした幼児性も大切にしています。

こうした幼稚な部分に関して「地方業者で変に都会的なスマートさやスタイリッシュを求めている人」から嫌われたりしますが、実用という意味での機能以外の部分はあくまでオマケで、本人の感性の部分だということすらわからない非洗練さに爆笑することもあります。

それは京都人的「釣り」でもあり、一種の皮肉でもあるという感じになります。

なので、幼児性と京都の皮肉的洗練を同時に叶えるために、SDワンダくんのトートバッグで外出することもあります。

SDワンダくん トートバッグ

SDワンダくん トートバッグ

こう言っては何ですが、いかにもバザーに並んでいそうで、限界領域を超えるギムキョ感に逆に文化的な味わいを感じてしまいます。

公式サイト内のSDワンダくんの解説における「堂々とした立ち姿により、安全運転者であることの誇りを表現しています」という一文にグッと来ました。

と、今年手に入れた物の紹介のようになってしまいましたが、今年の思い出といえば今年の思い出なので、軽くご紹介してみました。

定と念で乗り切った「絶望感」

絶望といっても僕の場合は身体的な苦しさになりますが、定と念で乗り切ったという感じの一年でした。

絶望感を感じてしまう程度に体が傷み、傷みきったゆえになかなか復活しないという状態が続きました。

まあそれくらいに体が傷む程度に、事業関連についてはいわゆる「嬉しい悲鳴」という感じでしたが、身体の痛み発端の怒りというものも多少あって「継続して身体に負担のかかるものは、徹底的に排除する」というようなこともやったりしました。

少し休んだ程度では回復しない程度にまで体が傷んだというレベルになり、精神としては大丈夫でも、身体からの信号が強烈で、その状態に応じて感覚としては絶望感を味わったという感じになります。

少し変な感じはしますが、基本的に意識は大丈夫でも、体が傷み、身体からの苦痛によって意識に感覚としての絶望感がやってくるという感じです。

それは、苦痛からの認知の歪みであるということを知っているので、実質は絶望ではないのですが、絶望感という嫌な感情や感覚を味わう羽目になったといったところでしょう。

ということなので、「もう少しちゃんと生きよう」ということを思い、社会における仕事に意識を持って行かれすぎず、動物的な部分を含め、様々な生活的動作をきちんとすることを心がけてみました。

考えてみると、病み上がりの反動で活動的だった24歳位時と同じような感覚で体を使うとしても、干支が一周しているので回復力などにも少し無理があります。ということで、何かにつけてやりすぎたということもありますが、運動が不足しすぎているという点や部分的な傷みが強烈過ぎたということが、その原因となっていたように思います。

痛みに関しては、指と腕、そして目の痛みが強烈でした。「目の痛みによって体がパソコンから逃げる」で少し触れていましたが、極端なドライアイ状態になっており、お手上げという感じでした。

運動の不足を解消するためにと、ある程度歩いたりしましたが、終いには10分歩いただけで、ふらついてぶっ倒れそうになり、背中の激痛で立つくらいがやっとという状態にまでなったので、さすがに病院に駆け込むことになり、精密検査を受けたりしたという感じになりました。

そこまで行くと、さすがに周りに止められるレベルになるので、強制的に休むことにしましたが、結局は10分歩いて「ふらつき」が起こるというものにしても、その手前に運動が不足しすぎていて全身が固くなり、運動を行う時に血圧が不安定になっていたという感じ程度の要因にしか過ぎなかったと思います。

多少集中力が戻り、体の状態に意識を向けたところ、目の痛みにしろ、ふらつきにしろ、大半の要因は首のコリと酸欠で、指と腕はそれに加えて「使いすぎで回復不能」という感じになっていたという程度ということが見えたりしました。なので、不自然な動作や日常の生活で歪んだ分を矯正することに集中しました。

もちろん「一日二日で何とかなるというようなものではない」という前提で徹底しました。

それでもある程度治ったと思い再度前のめりになると、想定してた以上に早く逆戻りしたので、再度隙間を見つけて集中しつつ、若干の乱高下を経て、年末には何とかほぼ復活という感じにまで戻りました。

「実質は絶望ではないものの、絶望感という嫌な感情や感覚を味わう羽目になった」という点ですが、そうした感情や感覚が起きがけやふとした隙間にやってくるたび「ほう、そうくるのか」と他人事のような感じで過ごしていたので、論理的には少し変ですが精神としての苦しみはありませんでした。

「ほう、それならばいっそ浸ってやろうじゃないか」ということで、グーッと感情なり痛みに集中し、「さあ、行きなさい」と解放し続けました。

まあそんなことをしていると、「何のことかはわからない」という感じで、具体的なものはあまりよくわかりませんが、瞬間瞬間の何かが入り混じったような絵が想起されつつ、涙が出たり、あくびの時の後頭部のグーッという感じなどがやってきて、全てではないですが確実に痛みがマシになっていったりします。

という一種の治療を自分対自分でやっているという、傍から見れば意味不明の感じのことをして、体調を戻していきました。

もちろん、目薬の力を借りたり、胃腸薬の力を借りたりもしましたし、手間のかかることは費用をかけて処理をしたりしました。

また、お馬さんたちの背中を借りたり、温泉のパワーを借りたりもしました。

もちろん、身近な人々を筆頭に周りの方々には大変お世話になりました。

そのような日常的な感じもありつつ、一人外に出て静かに座り、手塚治虫氏のブッダにおいてシッダルタがそうしていたように、鳥や虫たちと心をつなぎ、「兄弟たちよ教えておくれ」と自然のリズムを教えてもらったりしていました。

どちらかというと「乱れたこの体に教えてやってくれ」という感じに近いですが、ある時雀が首を傾げ、空に飛び立った瞬間、風と溶け合うようになり、気づけば自然と涙が出ていました。

と、そのような一年でしたが、何かにつけて良い一年でした。

それではまた来年!


さよなら2018

Category:miscellaneous notes 雑記

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