損失

悲嘆を抑制し、ちょうど高く暗い糸杉の下のように沈黙して歩む崇高さを、魂に分かち与える損失が多々ある。 曙光 570

損失ということで、人生の無駄についてでも書いていきましょう。

世の中にはたくさんの無駄があります。結果的にそんな無駄な経験があとになって良い経験として解釈されることもありますが、特に大人になってからの無駄な経験は身を滅ぼすようなものがたくさんあります。

そしてそれが無駄だということを頭ではわかっていてもやめられないということもよく起こります。

動機は無意識的であり情動が最優先される

その原因は無意識の中にあるプログラムのような法則性です。関数と表現しても良いでしょう。そしてそれには概ね勝てません。

普段意識的にしているようなことでも、その動機は無意識的です。

全く初めてのものを吟味して、思考上で妥当だからという理由で行っているケースはほとんどありません。

気がつけばやっている、そんなことが大半のはずです。

そして、ナチスの時代から現代のマスメディアに至るまで、こうした人の行動を決定付ける要因は、正しさではなく情動目線での無意識だということに社会も気付いてきました。ナチスにおいてはその具体的方法論としてプロパガンダという概念が生まれました。

情動が最優先されるということについて、例えが悪いですが、最もわかりやすいのは薬物依存かもしれません。

そしてそれと同じように、水商売やギャンブルなどは、表層上の意識で考えるような非合理性などすっ飛ばして、「ただそれを行うため」以外のことがあまり見えなくなるほどに情動によって人を駆り立ててしまいます。

そうした無駄は、かなりの損失です。

本人がいいのだからそれでいいのではないか、と思う人もいるかもしれませんが、確かにその人の問題なので、僕が困っているわけではありません。

しかしながら、そんなところで得るような経験はたかだか知れています。

そしてそれが最後の最後で詐欺的だったということを知った時、それは全て嫌な思い出に書き換えられます。

ひたすらに本質的

ここで注目したいのは、そんな詐欺的な商法であっても、本質以外の無駄を省き、ただひたすらに本質的であるという点です。

世の中では本質中の本質以外のところを磨くためにと「方法論」がたくさん説かれています。

痩せればモテる、英語ができればモテるということから、高級車に乗ればモテる、雰囲気の良いお店を知っていればモテる、某を勉強すれば稼げる、資格を取れば評価されるというようなことまで、多種多様なハウツーで溢れています。

しかし、本当の因果関係はそんなところにはありません。そうしたハウツーはサブ要素くらいで、あってもなくてもあまり変わりなく、少しはプラスに働くという程度です。

無意識の情動と自由意志

では本質とは何なのか?

それは、所詮人の行動を決定づけるのは無意識でのパターンであり、無意識の情動に働きかけるだけで十分だという点です。

あとはそうした無意識の情動が優位になるような状態にすること、そして、それを気づかせないというような点くらいです。

逆に言えば、そうした無意識に気づけた場合、その呪縛から逃れることが可能になります。自由意志で選択しているかのようにみえる行為の裏にある動機は、無意識の情動が作用しており、その選択パターンは表向き他人から強制はされていないというだけで、他人からの呪縛にしかすぎないのです。

そのようなたくさんの呪縛から脱した時、人生の無駄も損失も激減していくことでしょう。

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損失 曙光 570

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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