動物と道徳

拝金主義というのはどこまでも拝金主義に徹していきます。だからこそ一部の動物を「経済動物」という呼び方をしたりします。

経済動物という表現は、つまり「儲かればいい」であり、「儲けもできない上に、金がかかるなら殺す」です。

疚しさに対しての自己説得でしかなく、動物に対して経済動物や産業動物という呼称を用いる人間にロクな人間はいません。

経済動物という言葉

経済動物という言葉は、若干の疚しさを持ちながらも、「自分はいい人だと信じたい」という時に自己説得を行う場合に用いられます。

動物も懸命に生きています。

自然界のルールにおいて、「快楽」のために他の生き物を利用するという発想はありません。趣味や娯楽のために他の生き物を踏み台にするような生き物はいません。そのような発想を持つのは人間のみです。

生き物を道具のように扱い、快楽にふける人間、そうした人たちが特定の動物を経済動物と呼び、己の道楽のために利用します。

競馬を美化するな

顕著なのは競馬ですね。体格的にあまり走れなさそうな馬は、人間で言えば十代かそれに満たない頃に殺されます。参加賞をもらうためにガリガリになるまで競争させられたりもするようです。

元々征服が大好きな狩猟民族の歴史を持つ欧州の発想です。根本はキリスト教をはじめとする一神教の聖典において、動物は人間のために神が与えたものであるという解釈があります。そうしたところから「人」の解釈、「人」の定義をウルトラC解釈して奴隷制度を作ったり、殺戮を繰り返してきました。

それと同じ発想の人間が、動物を「経済動物」と呼ぶことにより己の快楽のためとあらば、命すらも弄ぶようになりました。

そういうわけで、あれは夢でも何でもありません。

どういう気持ちでその職業をしているのか?

そういう業界にいる人はどういう気持ちでその職業をしているのかわかりません。

一緒に暮らした馬が、明日には「この餌代がかかるから」と殺されることを分かりながら、最後に食事を与えるときはどんな気持ちがするのでしょうか。

そんなことはロマンでも何でもありません。

確かにいつか死ぬのが明日になるだけです。死ぬことは悲しいことではありません。

ただ、殺されるのは悔しいはずです。

怒りというよりも悲しみでいっぱいになるでしょう。

外敵にやられたわけでもなく、昨日まで一緒に暮らした人間に殺されていくのですから。

少しの間でも優しくしてくれた人たちに「お前は金がかかるから死んでもらう」と言われて死んで行くのですから。

 動物と道徳 曙光 26


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