二つの方向

もしわれわれが鏡それ自体の観察を企てるなら、われわれは結局鏡に映った物以外の何ものをも見出さない。もしわれわれが物を把握しようとするなら、われわれはついに鏡以外の何ものにも到達しない。― これが、認識の最も一般的な歴史である。 曙光 243

一般的な「物の把握」ならばそのような形になりそうですが、視覚情報は光の情報です。慣れれば立体感を消すことも、光としてのみ把握することもできるようになります(空間認識をちょっとだけ突破)。

感覚というものは不思議なもので、前後と上下の空間認識にも大きな違いがあったりしますし、集中によってその空間認識を操作することも出来たりします。

それをヨガ教室などを経営したりしている自称教祖のような人は、神秘体験や自分だけの能力、霊界との通信などと言います。しかしそんなことは何千年も前から「違うよ」と言われているようなことです。

前後と上下の空間認識の違い

よく心理学の初歩的なテキストには書いてあるようなことですが、同じ距離でも前へ100メートルと上に100メートルでは感じ方が違うということがあります。例えば京都タワーはビルを含めた全体で地上131メートルですが、京都駅から見上げるとすごく大きなものに映ります。

さらにいうと京都タワービルの真下から見上げるともっと大きく見えます。果たしてそれが何メートルなのか当ててください、と言われても、京都タワーの高さを予め知らなければかなり数字は前後してしまうでしょう。

そんなすごく高い距離も、短距離走にしてしまえば、校庭をクルッと周る程度です。その感覚の違い、というものも心理学の範疇に入りますが、「え?ボディタッチがモテるとかじゃないの?」と思った人はコンビニの心理学の本の読み過ぎですから、見事に拝金学者の手に乗っています。

タイトルが「二つの方向」なので、前と上という表現になりましたが、では二つの方向なので、前後はどうなのか、という事にもなりそうですね。そんなことは車のミラーでも見ていればなんとなくわかります。前後と上下の差ほどではありません。

下方向への感覚から無意識に足が反応

以前上海に行った時に上海環球金融中心というすごく高いビルの展望に行ったのですが、100階の展望フロアは地上474メートルです。無意識に足が反応してしまうという程の体験でした。

クリアのフロアなので下が丸見えです。重力の感じ方と、視界の先とのバランスが崩れるのでしょうか、かなり変な感覚になります。

普通の展望スポットは前方向で緩やかに下の方まで見えるという感覚ですが、おそらく他でも高い展望フロアで足元をクリアの床にしているところはあると思います。そこから真下を観るという経験は、空間の認識方法についての自己観察にはちょうどいい場所なのかもしれません。

二つの方向 曙光 243

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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