道徳的柔弱

成功のたびごとに恥じらいを感じ、失敗のたびごとに良心の呵責を感じるような、感じやすい道徳的な性格の人々がいるものだ。 曙光 400

無意識レベルの抵抗感というものは凄まじいものです。

道徳的柔弱ともいうべきか、頭のなかでは欲しいと思っていても、無意識に抵抗感がある場合が結構あります。

何かを手に入れるとしても、ルートを制限し、それ以外のルートを許可していないというケースが多く、例えば、社会道徳に反するような形では手に入れたくない、という感じで思っていることがよくあります。

一生懸命働いて、会社で出世して、というケースしか自分に許していない人はそのような現実が展開されていきます。YouTuberとして広告収入を得るということは除外されているのです(特にそれを推奨しているわけではありません)。

まあそれはそれでいいですが、理想の相手が既婚者だからということで諦めるというケースも同じようなものです。

「宝くじに当たりたい」と思っていても、自分の今までの努力や忍耐を否定するようで嫌だとどこかで思っているはずです。

Q.入社してすぐに社長、務まりますか?
A.できる。

前に何処かで書いたかもしれませんが、新入社員として入社したとき、「入社してすぐに社長、務まりますか?」と、何かのプリントのコラムに書いてありました。

つまり彼らが言いたいことは、「すぐに課長、すぐに社長、ということはできないので、素直に上司に従いなさい」ということだったのでしょう。

でも、僕は「できる」と思いました。

その会社のその社長業務というものの内容は知りませんが、それは例えば今「部長」をやっている人でもあまりわからないはずです。

どうせわからないことは、周りの人に聞いていくしかないので、それなら新入社員がやろうが、入社10年目の人がやろうが、条件はほとんど同じで、どうせ会社役員など、何かの決定事項を決めていくくらいが仕事なので、「絶対にできる」と思いました。

その時の僕は正しかったですし、今でも正しいと思っています。

正しさを歪めてしまうのは、そうした体育会系の支配構造なのだということを悟っただけです。

どうしてそんなことが言えるのか?

ただ、そうした時に相手は、「どうしてそんなことが言えるのか?」と聞いてくるはずです。

でもそれは卑怯です。

どんな答えを持ってきても、最初は誰でも初心者です。

「他の会社で社長をやったことがある」くらいしか、根拠としては使えません。絶対的につまることを前提に聞いてきているのです。

どこにも根拠はない

といっても、他の会社で社長をやったことがあろうが、その会社に長年いようが、社長が務まる、会社の業績が確実に上がるということを保証できるものではありません。

ということは、どこにも根拠はないのです。

でも何となくの納得、何となくの「いざという時の言い訳」をつくるためにそうした内容のことを盾に人を制限していくのです。

「どうして新入社員なんかを起用したんだ」

と誰かに責められた時に言い訳ができない、ということはその責めてくるであろう相手の納得くらいのために、そんな制限をしているのです。

そうして、どんどん無意識レベルで制限がかかってきます。

といっても、株主でもなし自分の会社ではありませんから、相手のフィールドです。だから別にそのあたりは相手が決めればいいのですが、それが絶対的に正しいと思うのはおかしい、という感じです。

そしてそうした観念を持っている人たちに合わせる必要もないのです。

そんな抵抗感がなくなっていくと、無限にルートが広がっていることに気付けるはずです。

道徳的柔弱 曙光 400

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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