「なぜブラック企業が存続しているのか」といった点や、「なぜ世の中の企業が人的に安定しないのか」といった点に関わるのが性善説と性悪説から見る組織の安定の構造です。
社会の構成員全員が、気楽に自然な相互扶助のもと日々の仕事をすることができれば良いのですが、周りを見渡すとそうしたことが叶っているというケースのほうがレアだったりします。
死にかけ寸前の状態で働いていたりする人もいたりして「社会は歪んでいるなぁ」と思う場合もありますが、かといって良い職場環境であってもそのぬるま湯に浸かって頼りなく、さらに自分のことにしか関心がなくサボりまくっているというようなケースもあります。
「ゆるく楽しく活力が漲り相互扶助」を目指しているなら性善説に基づいていますし、「甘ったるいことを言ってないで厳しくこき使えば良い」と考えるならば性悪説に基づいています。
単純には、「ブラックならブラックで支配が成り立ち、ホワイト要素があるとナメられて支配が及ばない。しかし完全に理想的な環境であるのならばその環境を手放したくないと思うし、その環境へ思いから自然と力が出る」という構造になっています。
ということは、
「中途半端だとうまくいかない」ということになります。
人の安定としては離職という現象が起こったり、収益の面では収益が上がらないということになります。
「性善説と性悪説」的な極端による成り立ちの安定
「性善説」というと、人間の本質は善である発想です。人は善の塊であり、犯罪が起こったのは何か特別な事情があったからだ、というような発想です。
「性悪説」というと、人間の本質は悪である発想です。人は悪の塊であり、犯罪が起こらないのは力によって抑制されているからだ、というような発想です。
まあ「人々を放っておいた時に人はどう出るのか」という点が大きく関わっていますが、本来はどちらでもなく、また、どちらでもあるような感じで統合して捉えるほうが良いとは思いますが、仮定としては使いやすいものなので、こうした概念を使っていきます。
性善説から起こる緩慢による慢心と良縁
性善説に基づき理想の組織を考えるならば、放っておいてもお互いがお互いを尊重し、支え合い、無理なく自然に収益が上がるという感じになりますし、人の職場の定着に関しては、「いつまでもこの場所にいたい」となるので、組織の構成は安定します。
性善説的な感じで組織が作られると、基本的には因縁で言えば良縁という感じになるので、うまくいきそうなものです。しかし緩慢による慢心というものも起こりえます。結果、サボる人、ナメてかかる人が出てくるので、理想通りにはいかなかったりします。
しかし、信頼に信頼を重ねるように、与えて与え尽くすというくらいの感じであれば、逆に行ききって良縁ばかりが形成されそうな感じもします。
性悪説から起こる支配による引き締まり感と破綻
性悪説に基づくのならば、人は放っておくとサボり、ごまかし、時に盗むということなので、ビシバシ指導し、監視し、支配するという感じになります。その方が統率は取れますし、裏切り行為も抑制されます。
しかしながら行き着くところはブラック企業という感じになりますし、革命のようなことも起こりうる感じになります。
基本的には支配による引き締まり感がありますが、行き過ぎると破綻してしまいます。
ただ、生かさず殺さず的な感じでうまい具合に支配がなされた場合は、一種の規律を持った安定がもたらされるような気がします。
若干性悪説側になりがちな組織
働く人としては性善説の方が良さそうですが、お金を払う側の経営者側としては相手を信じきれません。ということで性悪説側に傾きそうなものです。
理想で言えば性善説側ですが、そうなればそうなったで、慢心が生まれます。完全に相互に信頼があり、性善説が成り立てばよいのですが、囚人のジレンマのような状態にもなりますし、結局は若干の性悪説くらいの感じを採用することになります。
「絶対に性善説側であって欲しい」とは思いますが、理想がそうでも現実にはサボる人、ナメてかかる人が出てくるのでなかなか理想通りにはいきません。
均衡が緩やかに傾くと瓦解する
両極端であっても一種の安定が生まれそうな感じがしますが、一般的にはその間を取ったような形の若干性悪説側に寄ったような形で組織が成り立っています。
それはそれでひとつの安定状態ではありますが、そのバランスの取れた状態から「若干厳しくしよう」とか「若干緩くしよう」という感じで均衡が緩やかに傾く形になったりすると、一気に瓦解していってしまうことがあります。
不満を持ちながら自己都合を優先する
「若干厳しくしよう」というふうに傾けていくと、一応不満が溜まっていきます。そして、不満を持ちながら自己都合を優先するようになります。一種の頑張りを放棄し、自分の休みの方を優先するようになるような感じです。
ナメきって自己実現を優先する
また、性善説側への移行期に起こる崩壊とでもいうべきか、「若干緩くしよう」ということで緩くしていくと、会社をはじめとした組織をナメきって自己実現を優先するようになります。
バランスの取れた状態から「若干厳しくしよう」とか「若干緩くしよう」という感じに傾けていくと、結果としては同じように自己都合、自己実現の方に意識が傾いていきます。
焦りや不安を客観視して静観する
何かが変化する時は、同語反復的に何かが変化していきます。「結果がいつどのように出るか?」ということを確認したくなる気持ちもわかりますが、こうした時に出てくる焦りや不安は客観視して静観するに越したことはありません。
そして瞬間的にはストレスがかかるものの「なるべく気持ちがスッキリする方」を選んでいくしかありません。
勘違い野郎をにこやかにクビにするという試練
とりわけ重要となるのは、「勘違い野郎をにこやかにクビにする」というようなことではないでしょうか。
「人が良い」とされている人は、こうした試練的なストレスに耐えきれずに現状維持を選んでしまいがちです。
しかしながら、カスを切ることは時に慈悲ともなりえます。
カスを切ることは時に慈悲となる
カスを切るということは、自分にとっても組織の構成員の方々にとってもプラスに働きます。
そしてカス自身にとっても、相手の人格を尊重して、
「向いていないし、合わせる気もないならもっと向いているところに行きなさい」
というようなメッセージにもなります。
情報状態の投影
さて、こうした組織の安定のための色々な混乱は、人のことではありながら本質的には他人の問題ではないというようなフシがあります。
最も権限のある人の精神状態、思考や人格を含めた総合的な情報状態の投影であるというふうに考えることもできます。
意外と、長期的、大局的に見るとそうした状態と、現在の組織の状態は一致するフシがあります。
ということは、最も権限のある人、たいていは代表権のある社長さんなどですが、その人の情報状態で全てが決まっていくということです。
細かな点はズレがあったり、タイムラグがあったりしますが、高い地点から俯瞰し、大局的に見るとそんな感じになっています。
どうせなら性善説的な感じで穏やかにいくというのが理想的です。しかし、中途半端な状態にあるときから変化させていく時には、短期的に乱れが生じるという感じになっています。
その乱れに屈するかどうか、という点は、まさに精神のレベルに応じる部分になります。細切れのテクニックばかりをなぞってもうまくいきません。
ということで、細かな部分は後回しにして、先に強い意図を明確化するということが重要になります。