世の中では、営業や面接が怖いという人が結構いるようです。まあ僕も昔はその気があったような気がしますが、今では「遊びがてら営業や面接に行きたい」と思うほどになっています。
今回触れるのは、営業や面接が怖いという人に向けての克服法といったチンケな一般論ではありません。
細かなテクニックについては特に触れませんが、ただおそらく「営業や面接に行きたくなってしまう」という感じになってしまうはずです。
まあ「人に判断される」というのは恐怖を伴うものです。
しかしながら、社会、特に経済社会では、基本的に何かしら人に判断してもらわないと稼ぐことはできません。
たいてい「起業したいができない」という人も、お金や時間、環境の面を理由にしつつ、「世間からの判断や評価」の方を気にしているというのが本音でしょう。
ということで、経済社会でのやり方としては、直接的な対面を必要としないマーケティング手法もありますが、ストレートに人と会い、判断されてしまう世界である営業や面接について書いていこうと思います。
エントリーして判断・評価してもらうこと
特に営業や面接に限ったことではありませんが、例えば資格試験や作品募集への応募であっても自分の実力を誰かに判断し評価してもらうことには変わりありません。
そこで、今の自分の実力が見えるのですから「準備してから」などという遠回りなことはせずに、そうしたものはどんどん利用してみると良いでしょう。
そして、それと同じような感じでありながら、直接的に人と対面をしなくてはならないのが営業や面接です。
試験結果や応募結果と異なり、目の前に人がいるのだから「恥の感覚」はダイレクトにやってきます。ということで人はそれをより怖れるという感じになります。
目の前に人がいるということ自体は同じですが、慣れ親しんだ人と接するのと初めて会う人では緊張感が異なります。そしてたいてい相手はプロなのでより緊張感は増します。慣れた人の前では平然と横柄な態度を取る人でも、明らかな力の差があったり、虚勢を張ろうが本質を見抜く力を持った人と対峙すれば慄然たる面持ちにならざるを得ないという感じです。
営業や面接に行きたくなるようになる
そんな中、世間で囁かれている「営業や面接が怖いという人への克服法」というものは、「誰もそんなに気にしていない」とか、「自意識が過剰だ」とか、「次があるじゃないか」というようなものです。
まあ確かに、飛び込み訪問で1分経たないうちに断られたという感じであれば、断った側も1年後にはそうした出来事すら忘れているでしょうし、まして顔も名前も覚えてはいないでしょう。
しかし今回触れてみたいのはそうした一般論ではありません。
なぜ、営業や面接に恐怖を覚えるのか、それは「相手の意志に自分がコントロールされてしまう」と思うからです。
では逆に「相手を自分の意志に反応させることができる」とすれば、ゲームのようで楽しく思えてこないでしょうか?
全ては「余裕」のためにある
商品知識を完璧にするとか、相手の環境を知るとか、相手が何を考えているのかを想定するといったものをはじめ、挨拶の仕方とか名刺の渡し方とか、身だしなみとかそうしたものは全て、「自分の意識に余裕を持たせるための事前準備」にしかすぎません。
しかし前提として「何をゴールとするか」を決める際に商品知識などが必要となったりもするので、それだけのためではないのですが、ひとまず世間で囁かれているようなハウツーは、結局「相手と対面した時に自分が怯んでしまわないように」という余裕、余白のための方法論にしかすぎないという感じです。
資格取得にしろ、いざという時の「じゃあ証拠は?」のための準備くらいで、その本質を見ると「怯まないため」という感じになります。
ということは、立場はどうあれ、心理的に相手より上位になれば、そんな事はまさに関係なくなるということになります。
本命狙いとゴールの設定
うちの会社にも毎日たくさんの営業メールや営業電話がやってきます。もちろん無視しているのですが、なぜ無視されるかをよくよく考えると答えはすぐに出てくるはずです。
あなたは、相手がどのような人であれ「誠心誠意本気で告白してきてくれること」と、その日のムラムラ解消にと「数撃ちゃ当たる系のナンパ」を比較して、どちらのほうに心が動くでしょうか?
それを考えれば簡単なはずです。
ということで、営業メールや営業電話など、自分たちの都合で「数撃ちゃ当たる」の「数」として行われている営業にしかすぎません。
では逆に「一気に成約率が高まるような営業」を考えてみた場合はどうでしょうか?
それは非常に簡単です。
「相手のことを知り、相手の状況を知り、相手の問題を知りその問題を解決することのできるものを提示すること」です。
しかし、ある程度までは事前に知れても、詳しくは話してみないと見えてこない場合がよくあります。ただ、場合によっては「相手が見えていない問題」を発見し、それを指摘することすらできます。
面接であっても同じことです。相手は「どのような人を欲しているのか?」ということが考えられないと、成功率は格段に下がります。
「とりあえず色々行ってみよう」
というのはいいですが、それはムラムラ解消のナンパと同じことです。天才的な能力があるのならば小銭稼ぎ的にそれでもいいのかも知れませんが、おそらくそれでは「浅い関係」しか築けないのと同じように、営業であれば「単価が大きい」とか面接であれば「枠が少ない」と言った感じで対象が重要で重大なことになればなるほど、そのような方法論は通用しなくなります。
飛び込み訪問で「りんご」は売れるかも知れませんが、1億円の機械やシステムは売れないのです。
そのような感じで、相手を知った上で、もしくは話しながら相手を知っていく上で、ゴールを設定してみましょう。
「とりあえず提示してみてイエスかノーかの判定をもらう」
とか
「流れるまま適当なところに落ち着くのを待つ」
という感じではなく「自分の意志を確定させる」という感じです。
そしてその意志に沿って相手を動かしていくという感じで進めてみましょう。絵を描くというということです。
営業でも面接でも、客観的なデータを元にスコアで判断され、評価が下されると思いがちですが、相手とのパワーバランスの中で自分が上位に立ち、自分の意図する方向へ相手を導けるのであれば、客観的なスコアが持つ意味など吹き飛んでしまいます。
ということで、通常の「点数による評価」といった正規ルートでなくても構いません。
ミルトン・エリクソンの逸話
まあこうした感じで一番印象強いのはミルトン・エリクソン氏でしょうか。
彼の逸話で有名なものをご紹介しておきましょう。
「自分はイエス・キリストである」と信じ切っていて、社会に適合できない人がいました。
その人に対して彼は次のように話を進めていきました。あまり詳しくは記憶していないので適当になりますが、だいたい次のよう感じです。
「あなたはイエス様ですね」
「いかにもそうである」
「イエス様の家系は大工さんでしたね?」
「そうだ」
「イエス様は、悩めるものをお救いになる方ですね?」
「そのとおりだ。悩める者よ。悩みがあるのか?」
「隣で大工仕事をしているのですが、人手が足りないので少しばかりお救いになっていただけませんでしょうか?」
そういって、大工仕事を手伝わせ、社会性を取り戻せるように導いたという感じです。
「義務教育的に正面からぶつかる必要などない」という意味でも良いやり取りです。
環境を含めた空間を作る
さて、そんな感じで、相手側に「自分の意志に反応してもらう」という感じで考えると、営業や面接は特に怖いものではありません。
そして、面接などでは、基本的に相手の質問に応答するという感じになっていますが、「質問はありますか?」という時や、なにかに応答したついでに質問してしまうということで、相手のペースではなく自分のペースを作ることができます。
別に立場は自分の方が下という構造でも問題はありません。心理的なパワーバランスの問題ですからね。
ということで、物理的環境は相手が用意した環境かもしれませんが、相手が作り出す空間から、自分の空間に変えてしまえばいいのです。つまり「話題」という一種の情報の環境を自分が能動的に作ってしまえば良いという感じになります。
そんな時にとっさに作ってもいいですが、事前に自分の設定したゴールに沿って、能動的に空間を作ってしまえばよいのです。
場所としては相手のホームで、こちらはアウェイということになりますが、話題を「自分のホーム」にして、相手はアウェイという状況を作ってしまうということになります。そうなると、パワーバランスはこちら側に傾いてくるはずです。
しかし何事もそうですが、キンキンに冷えたグラスに熱湯を注ぐと割れてしまうことがあるように、空間は適切に移行していかねばなりません。
話を元に戻されてしまい、相手の作り出す空間に戻ってしまうということになったり、無礼者扱いされたりして全てが台無しになったりするからです。
例えば、ルノワールと印象派の話をしている人に、いきなりスマートフォンの新しい機能の話をしても怪訝な顔をされてしまいます。
また、異性を映画に誘いたい時、いきなり相手に「映画に行かない?」と聞く感じでアプローチしてしまっては、成功確率は低くなってしまいます。よほどモテる人か、以前から好意を持たれていたかというくらいでないと難しいでしょう。そんな人ですら引かれてしまうかもしれません。
日常、そんな時にはどうしているかを思い出してみると、「どうすれば誘いやすくなるか?」ということが見えてくるはずです。
意図した方向に導く
そういえば、以前起業がしたいという大学生の人に対して、ひとまずの課題を出したことがあります。社会人ではなく大学生ということで、対機説法的にその人に合わせてという感じでしたが、それは「自らは反応せずに、相手に反応してもらう」という訓練です。
といってもすごく簡単なことです。
友人と集まった時に「自分の行きたい店に連れて行く」というような感じです。
普通は民主主義的に合議で決めたり、近場であるとかそうした物理的な要因が関係してくるようなことですが、そうした決定においてもキーパーソンがいたりするわけです。
そうした時に、友人と集まる前から「行き先」を自分で決定しておき、「みんなでその店に行く」ということをその場で決まったかのようにしてみるという訓練です。
もちろんその場所に行くということを決めて、その集まりに誘うということではありません。ただ単に学校帰りにコンビニ前で集まっているような時とか、昼食の際に自分の意図したところに周りの人を導くというような感じです。
ただ、目立ちたいという野心的に「自分がリーダーになりたい」と言った感じで邪念が入ると自分自身すら見えなくなり、周りからの抵抗も起こるので必ず避けねばなりません。
そして、それに慣れてきたら次は「一度も話したことのない異性の同級生と二人で昼食を取る」というようなことを課題として出してみました。
そんな感じで、段階的に「空間を作り、意図した方向に相手を導く」というような訓練をしてもらいました。もちろん行き当たりばったりの「とりあえず提案してみる」という感じではありません。
「どうすれば自分の気持ちに余裕ができて、どうすれば空間を作り出すことができて、心理的なパワーバランスを自分側に傾けることができて、自分の設定したゴールに相手を導けるか」
という感じです。
そんな感じで慣れてくれば、遊びがてらゲーム感覚で営業や面接などに行ってしまいたくなります。
スペックと言われるような「客観的なスコア」などを飛び越してしまうという面白さです。
もちろん意味なくやっても仕方ないので無駄に行ったりはしませんが、その領域にまでなると「営業や面接が怖い」という感覚はなくなります。
そしてそうしていると、逆に相手の戦略や状況が把握できるようにもなるはずです。そうなったら、詐欺などすぐに見抜けますし、詐欺師などを返り討ちにすることもできるようになります。
さらに面と向かって戦ったりしなくても、何なら改心させることすらできるようになるかもしれません。
「人に判断され評価される」ということは自分の実力の確認として別件で置いておいて、メンタルバトル的な感じで遊びにしてしまえばいいのです。
最終的には、そうした「我が為す」という感覚すらなく自動的にそれが展開するようになります。
ただ、慣れないうちはひとまず「相手の空間に導かれるまま」というようなあり方から脱することを意図してみましょう。
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