世界保健機関(WHO)憲章は、1946年7月22日にニューヨークで61か国の代表により署名され、1948年4月7日より効力が発生しました。
日本では、1951年6月26日に条約第1号として公布されました。その定訳は、たとえば 「健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。
到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである」
権利万歳の世間では、何かを制限することによって、その目的を達成しようとします。
権利を主張するためには根拠が必要というか、説得材料が必要になります。
「私の意見のほうが正しいので、従ってください。権利ですから」
ともすれば、そんなことになってしまいます。いや、そればっかりだと言っても過言ではないでしょう。
そして、自分の意見を通すため、いろいろな研究がなされます。
純粋な「智」のためではなく、なにかの儲けを出すために。
互いに自分にとって有利な方に導きたい者同士がぶつかり合うので、いつまでもキリがない。だから法というシステムが運用されているのでしょう。
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「増やす方のアプローチ」ばかりで、無くしていくことについてはあまり語られません。
「もっともっと健康に」
それはそれで結構ですが、ハードばかり気にしていても、中身のソフトが陳腐なままなら何の意味もありません。
とらわれているのであればただの精神病
何かにとらわれて、渇望感に苛まれるのは、ただの精神病です。
以前、当時の上司に相談されたのですが、息子さんが就職活動されてる際に、「デブ」を理由に圧迫面接を受けたそうです。
「何かしらの問題がある」
そう考えてしまうのは、そう考えてしまう何かがあるのでしょう。
競馬騎手のように、体重に制限のある職業ならわかる話ですが、どこかのコンサルが書いた本にでも影響されたのでしょう。
聞いた話ですが、アメリカでは、「デブ」を出世させないという風潮があるそうです。
「自己管理ができない」
「ストレスのはけ口を食事に求めている」
そんな理由だそうですが、差別が大好きな人たちがもっともらしい理由を言っているだけで、本当は関係ありません。
そんなことを気にするのは精神の病です。
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また、自分の身体に過剰に反応する人がいます。
「変な発疹が出てきた」
「こりすぎて首が回らない」
そういう状態なら、「健康になろう」と考えるのはいいと思いますが、別になんともないのに、「もっと、もっと!」と躍起になっている人がいます。
「炭水化物の量が多い」
そんなことを気にしているさまは、精神病としか思えません。
ある医師が、夕食の時に、満腹感とは別に食べ残すという奇妙な様を聞いたことがあります。
「これはここまで、塩分が多い」
という理由だそうです。
文句を言うなら自分で作ったらいいのに。とも思いますが、それよりもなんだか可哀想に思えました。
知識の偏り
よく社団法人認定○○士みたいな民間資格をとって、学んでいることは、平面的な知識であることが多いと思います。
「体重何キロに対しての炭水化物の量は。。。」
という計算は結構ですが、実際の吸収力もみんな違うわけですし、別にそんなことを気にしなくてもいいんじゃないでしょうか。
そういうふうにとらわれている様は、非常に見苦しい。
結局「アイツ」の奴隷になっているだけですから。
運動
運動は絶対的にいいものとして取り扱われていますが、本来は省エネルギーが一番いいのではないでしょうか。
一旦、すっきりした体になったのなら、もう必要最小限のエネルギー摂取とエネルギー消費に抑えるのがより本能的だと思います。
運動をするとたくさん酸素を使います。
老化は血管の酸化から始まるのではなかったでしょうか。
そう考えると、運動なんかしたら酸化が促進されるような気がするのですが、いかがでしょうか。別に調べる気もありませんし、実際がどうなのかも知りませんが、僕は「健康のため」の運動をしたいとは思いません。
エネルギーの浪費
仕事が終わってからウォーキングやジム通いするくらいなら、仕事中に小走りすればいいと思います。宅配業者さんみたいに。
それか夜にウォーキングするくらいなら、ついでに知り合いの店のチラシでも撒いてあげればどうでしょうか。
動物として見たときに、「健康になりたい」と思って運動をしているのは人間くらいです。ほかの動物は、必要でなければ特に動きません。
動物の方が知性的ではないでしょうか。
動くときは、あくまでエネルギー源を得るためにエネルギーを使っています。
ところが、健康志向という精神病を患った人は、お金を払ってまでエネルギーを消費しようとします。
すごく滑稽で、落語みたいですね。
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もし運動するなら、何のためにならしますか?
寒い時に貧乏ゆすりをする程度です。
恒常性維持機能に従う程度で、思考を用いることは特にありません。