寛大さの「寛」は菊池寛(きくちかん)氏の寛ですが、菊池寛氏は「ひろし」と呼ばれても、特に気にしなかったそうです。しかし、菊池を菊地と書かれた時は「君、字が違うぞ」と、少し気にされていたそうです。
今回はいつもとは少し違った感じに、菊池寛氏の寛大さについてでも触れていきましょう。
ということで、直木三十五氏の「貧乏一期、二期、三期」について触れていきます。
直木三十五 貧乏一期、二期、三期より
菊池寛に、救済されたのは、この時分だ。僕は、着たつきり、女房も同然、それでも、この貧乏の時、高利貸からこそ金は借りたが、一人の友人からだつて、金は借りなかつた。菊池にだつて、
「困つてゐるからかしてくれ」
とは、断じて云はなかつた。云はないでも、
「君、金いるだらう」
と、云つて、袂たもとの中から、くちや/\の十円紙幣を、二枚か三枚かづゝくれた。上の女の子は、もう大きいから、時節の物を着んと承知しないが、下の男の子は、冬の最中、夏服をきて、下へ、綿など、脊負つてゐた。
「冬服を買つてやりたいが」と、それを、ずゐ分、苦にしてゐた時に、菊池が、
「これやるよ」
と、云つて二十円くれた。今でも、この二十円をくれた時の有様を、はつきりと、憶えてゐる。貰ふとすぐに、さよならをして、街へ出ると、涙が出た。いくら拭いても出てきた。貧乏をして泣いたのは、この時だけだ。
じーんと伝わるものがあります。直木三十五氏の気質と、菊池寛氏の寛大さが滲み出ています。感動するように作られた、方程式から編み出された「売るための作品」には出せない感慨深さがあります。
「これやるよ」
この一行だけで、菊池寛氏の人柄がふっと出てきます。字数も少なくすぐに読めるこの作品は今までに数百回読んでは、じーんとしたものです。
友だちとは、友情とは、ということをふと思った時には読み返し、「カッコよさとはこのようなことではないか?」と、友に対してこのような人になりたいと密かに思っていたモデルの一人でもあります。
芥川賞、直木賞作品
直木賞、直木賞作家と騒ぐ前に、直木三十五氏の作品を先に読んでみてはいかがでしょうか。
昔、松本人志氏の著書にありましたが、出版社の担当者に「直木賞を狙いましょう」と言われたそうです。そんな担当者は先に直木氏ご本人の作品を読みなさい。そして菊池寛氏の作品も読みなさい。なんならついでに芥川氏も。
といいつつも読み物として、芥川賞、直木賞作品にハズレはないですね。面白い作品ばかりです。
昭和のこの時代の文豪と呼ばれる方々の作品は今の量産されたドラマや映画を何本集めてもたどり着けないほどの深さがあります。
そんなものが青空文庫を筆頭に、図書館などでは無料で、書店でも格安で手に入れることができるのに、最新ドラマの最新回の動画を検索している場合ではありません。非常にもったいない話です。
何という寛大さ! 曙光 214
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