タグ別アーカイブ: 文化・芸術

文化・芸術・風習などについて

至高の芸術

世の中にはたくさんの芸術作品があります。それぞれ感覚チャネルという次元が異なるため一律に論じ得ない部分もありますが、音楽や絵画といったものを含めて見渡した上での至高の作品は、やはりドラえもん6巻の「さようなら、ドラえもん」であるということをずっと思っています。 「僕のもとに帰ってきたドラえもん」で触れていましたが、幼少期に出会ってからそれ以降、様々な分野においてこの作品を超えるものを探そうとはしていますが、30年以上の間未だにそれを超えるものどころか、並ぶものすら出会ったことはありません。 「さようなら、ドラえもん

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頬を赤らめる表現で見える空間のパワーバランス

頬を赤らめる表現で見える空間のパワーバランスということで、キャラクター設計や表情の描写のあり方で、物理空間と情報空間というコントラストによる社会的なパワーバランスの変化について触れていきます。 先日「水木しげる記念館」で「ねこ娘が頬を赤らめている点」についての違和感について触れていましたが、まあドラえもんにしても頬を赤らめ、まさかスネ夫ですら頬を赤らめるような表現になっているとは何とも変な感じです。 スネ夫がナルシストであるという部分の描写においてはそれでもいいですが、頬を赤らめる表現が多用され過ぎだろうという違和

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多義性や曖昧さを嫌う無機質さ

多義性や曖昧さを嫌う無機質さについて触れていきます。 「何だか面白くないなぁ」と思ってしまう要因の一つは、コンピュータを経由することで生じる「多義性や曖昧さを嫌う無機質さ」にあると思っています。 「再現性のためにより具体的に」ということもわかりますが、そればかりでは有機物たる人間は面白さを無くしていってしまうということが起こりうるという感じです。 再現性を高めるためや誤解を避けるため、解釈に多様性を持たせないために具体的に表現するということが望ましい場合もありますが、曖昧性を持ち、多義性を持つ表現の方が適している場

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白と黒の先にある透明へ

白と黒の先にある透明へ、ということで苦楽の両極端についてでも触れていきましょう。 まあイメージとしては「有と無を抽象化した空の如く」という感じです。白と黒の間は灰色ですが、白と黒の先にあるものは透明的であるというような感じです。 と、そうなるとイメージがつかみにくいので、まずは少し日常的な感じで進めていきましょう。 太宰治に対する評価 いつも仲良くしている士業の方と、文学についてお話したりしたことがあります。まあ単純には小説等々をはじめ、おすすめ本的なことを含めた雑談です。 まあそのお話の中で太宰治氏のかの有名な「

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水木しげる記念館

水木しげる記念館

水木しげるロードに来たからにはということで水木しげるロード内にある水木しげる記念館に行きました。 有名作はゲゲゲの鬼太郎や悪魔くんですが、個人的にはコケカキイキイや総員玉砕せよ!の方が好きだったりもします。 水木しげる記念館入口前(前庭)には「のんのんばあとオレ」。 水木しげる記念館は、ゲゲゲの玄関、水木しげる漫画ワールド、水木ギャラリー、ねぼけ人生の間、水木しげるの仕事部屋、のんのんばあとオレ、妖怪洞窟、妖怪ひろば、人生絵巻の回廊、アニメ 「ゲゲゲの鬼太郎」展で構成されていますが、一部は撮影不可です。 二階の広さ

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水木しげるロード

水木しげるロード

昨年の夏は忍者ハットリくんロードに行きましたが、今回は妖怪ラッシュの水木しげるロードです。 水木しげるロードは、JR境港駅からスタートして約800m続いています。至る所に妖怪ブロンズ像が設置され、夜でも楽しめるよう様々な工夫が凝らされています。 「いざ行かん!水木しげるロード!」という感じで向かったわけではなかったのですが、米子・境港方面に行くからにはという点と次の理由があったので向かいました。 僕自身は気づきませんでしたが、先日の検査の時、待合室に「異界への旅」が置いてあったらしいので、「まあこれは、行っておくし

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笑う月 安部公房著 新潮文庫

笑う月

月の季節に「義務教育的な文語の世界を笑う」という感じでふと思い立って始めた「特別企画 その8」の「笑う月」。結局フレーズ抽出によりタイトル化するばかりとなりました。 「有限の情報から無限の組み合わせ」という思考の基本に立ち返り、文語的タイトルに限定されることなくフレーズから抽出して展開していくということを楽しみとしてやってみようということで、今回は新潮社さんより刊行されている安部公房氏の「笑う月」から、からフレーズを拝借してタイトル化して投稿してみました。 なお、笑う月は昭和50年刊行で、文庫版は昭和59年7月25

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急速に轟音が近づいて

「急速に轟音が近づいて」といえば、最近では数が減ったものの暴走車両の出す排気音やスキール音ですが、大きな音というものは注目を集めるため、映画のコマーシャルなどにおいても大きな音で驚かせるという手法が蔓延するようになりました。 そして性や死、そして死を連想させる生命的な危機の描写が、人の注目を集めるのに効くということで、より一層の効果を期待してか、破壊音や叫び声などが多用されていたりします。 これらは生理的な反応を利用して焦らせ、注意を引くというものですが、「数字を逆に数えて」で触れていたように、時間的な焦りを利用す

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年寄りじみた笑い

加齢に伴い爆笑することが減っていき、年寄りじみた笑いへとシフトしていくような気がします。 それはかつて同様のことを経験したというような耐性的なものが出来上がっていくことが要因となっていたり、多様性を受け入れる感性が磨かれ、笑うという反応をしなくなるというようなことが要因となっているのでしょう。 年寄りじみた笑いとまではいきませんが、十代や二十代の時ほどの笑いはそれほどなく「人と話している時に爆笑」ということの数は減ってきているような感じがします。 笑うことが減った要因 「感性が鈍った」というわけではなく、冷静な傍観

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くたびれた服装

意図的にくたびれた服装やおじさんっぽい服装で出向くことがあります。 あえてちょっと劣化したような服を着ていくということになりますが、もちろんそれは皮肉的な遊びであり、服装で態度を変える人や服装を自慢する系の人で遊ぶためにやっています。 兵法というわけではないですが、相手に「慢心」を作るということも、相手にその実力を出させないという方法になりますし、隙きを作ってもらうということにも一役買います。 あまりにカッコをつけたい人たちは、僕が忍者ハットリくんポーチから目薬を出すと、こぞって軽いため息を吐いてくれます。 彼らを

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さよなら2019

2019年が終わります。ついでに今年は平成も終わり令和になりました。その元年も終わるということになります。今年は亥年で歳男ということでしたが、猪や豚よりも馬とたくさん触れ合うことの多い一年でした。 2019年は中盤より体が悲鳴を上げ、精密検査を受けたりしましたが結局今はピンピンしています。ということを踏まえて、2019年を振り返っていきます。 ― 僕は12月生まれなので、36歳になりました。 35歳を超えると感性が固定化され、笑い等々の視点もおじさん側となり、自分が勝手に思っている35歳理論に基づくと精神年齢は逆行

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別誂えで取り付けた

カスタムパーツ等々、純正の状態から個人の好みに合わせて改造していくというのは、各種分野よくありますが、僕個人としては、高校生の時に経験した二つの出来事によって、結局「純正もしくは、ほぼ純正」を好むようになりました。 ひとつは、「レコードを置き、針をのせた」で触れていた低音ブームの中のフラットな音です。本体がある程度の能力を持っているのなら、変に弄るのは逆効果であるというような感じです。 もうひとつは、高校生の時に乗っていた原チャリです。高校一年生くらいの時にこぞって同年代の人が原チャリを買いだしたりして、既に働いて

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薄のろではなかった

「うすのろ」というトランプゲームがあるようで、ある日僕はそのゲームへの参加を誘われました。「うすのろのばか」と呼ばれていたりします。このゲームにはたくさんの呼称があるようですが、ひとまず僕が経験した時は、「うすのろのばか」という名称で取り扱われていました。 で、やっているうちに覚えるというような感じで曖昧な説明をされ、はっきりしたルールがわからないまま参加したのですが、ゲーム中の掛け声である「うすのろのばか」という言葉が、妙に「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」的に聞こえてきて、軽いマインドコントロールに入りそうだっ

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そんな穿鑿をしてちゃ、味が悪くなるよ

「そんな穿鑿をしてちゃ、味が悪くなるよ」ということで、何事も気にしすぎることは効用を半減させてしまうことにもなりかねません。 しかし一方で、ある程度気にしないと、ロクでもないものが出てきたり、騙されたりもするので厄介です。 特に海外に行くとそれは顕著で、ある程度気をつけておかないとぼったくりバーの被害に遭うということもありますし、ちょっと道を聞いただけでガイド料として結構な金額を請求されたりもします。 ただ、気をつかうということは、それだけ楽しみが半減するので、楽しみのためになるべく気にしない方が良いということにな

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体験する主体としての一人称感覚

好き嫌いの範疇になりますが、幼少期の頃から「浅いもの」が嫌いであり、浅い付き合いも好きではありません。 「人馬一体」という言葉がありますが、人馬が一体になろうと思えば、相手のことはもちろん自分のこともよくわかっているという状態でなければなりません。その上でいかに信頼し、双方が自己開示するかというところが、人馬一体を叶えるものであると思っています。 それは相手が人でも動物でも機械でも同様です。 人馬一体感 自分が相手を操るという感覚、一方的に自分が相手を利用して楽しませてもらうというという感覚では、「浅いもの」になり

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こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか

「こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか」という風習はたくさんありますが、「いつまでも黙認されている理由」としては、「どちらでもいい」という要素の中、取り留めて被害も少なく、反証材料もないという感じのもの、そして、「採用するにしろしないにしろ、その前提となる全体の構造が不明瞭」というような部分があるような気がします。 「誕生日を祝う」ということすら、祝うということが何なのかよくわからない部分があります。しかしながら、基本的には喜びに即したものであり、費用などの面でも大したことはないのでとくに問題になりま

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総員玉砕せよ! 水木しげる氏

総員玉砕せよ!

「この『総員玉砕せよ!』という物語は、九十パーセントは事実です」 と、あとがき「あの場所をそうにまでして…」で記されているように、水木しげる氏の実体験に基づく「ほぼノンフィクション戦記物」である「総員玉砕せよ!」。 一年ちょっとくらいになりますが、「水木しげる 魂の漫画展」に行った時に知ってその場で買いました。「総員玉砕せよ!」の単行本の初版は1991年10月のようで、その時購入した講談社文庫も1995年6月に出ていたようですが、その日まで存在すら知りませんでした。なお、「総員玉砕せよ!聖ジョージ岬・哀歌」という題

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内容の解説は無用

内容の解説がありがたい場合もあれば、「内容の解説は無用」という場合もあります。 そんな内容の解説は無用であるという場合の最たるものは、ユーモアや笑いの類ではないでしょうか。 そうしたものは、解説された瞬間に芸術性、侘び寂び、奥ゆかしさが消えるというのは少し前にも触れていましたが、地域文化的な差ということなのか、地元京都、とりわけ洛中ではタブーである「そうした洒落っ気の部分を私は気付いていますよアピール」をする人がちらほらいたりするので困りものです。 「まだ映画を見ていない人のために内容、特に核心部分については触れな

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カメラ好きの一つの特徴

「笑う月」の中で安部公房氏はカメラ好きの一つの特徴を次のように述べています。 「マニヤがカメラに求めているのは、単なる実用主義的な現実ではなく、むしろ空想なのである。シャッターを押すことで、世界の部分を手に入れる手形にサインをしたつもりになれる。その瞬間の自己欺瞞がたのしいのだ。当然のことだが、どこか意識の片隅には、それが自己欺瞞にすぎないことの自覚もあるはずである」 「カメラ好きが、カメラほどにはフィルムに関心を示さないのは、あんがい撮影したいものが現実には存在しないせいかもしれないのだ。カメラが本来もっているは

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操作が面倒な高級機

基本的には機能がどんどん追加されていくというのが機械の進化のあり方であり、そのうち限界を超えて「操作が面倒」ということになっていって、次には「簡単操作な方が流行る」ということがよく起こっています。 Wordが基本になれば、パソコンとプリンタという組み合わせが主流になるだろうと思いつつも、結構しばらくの間、「ワープロ」が修理されながら使用されたりもしていたようです。 まああれはその場で印刷できるという機能の方が重宝されていたという面が強いので何とも言えませんが、何だかんだで機能がどんどん付いていけば、いざというときの

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フィルムの使用量は信じがたく低い

安部公房氏の笑う月が刊行された昭和五十年の時代においても、「フィルムの使用量は信じがたく低い」と表現されるほどに、日本においては、カメラの所有数に比べてフィルムの消費量は著しく低いということのようでした。 現代においてフィルムカメラを使用するということは、もはやマニアの域に達していると言わざるを得ません。 デジタルカメラが普及し、携帯電話などで画像が撮れるようになり、かつ、それらの解像度が高まっていくに比例してフィルムの価格は高騰していきました。 フィルムの価格と現像代 そしてそれと比例するように現像代も高まってい

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レコードを置き、針をのせた

僕が自発的にレコードを置き、針をのせたのは、高校生くらいの時だったでしょうか。 基本的にはCDで、微妙にカセットテープ世代でもあり、思春期にMD、デジタルオーディオプレーヤーといったものに変化していった世代ではありますが、「ベースをくれた英会話の先生のお兄さん」が使っていたパワーアンプを自宅に持って帰ってきた際、家にあったレコードプレーヤーと接続して父の持っていたレコードを再生したのが一番最初だったと思います。 洋楽のレコードがたくさんある中、何だかんだで一番最初に再生したのは確かチューリップの「心の旅」でした。

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こんなふうに淡々と、日常茶飯のように

ある人にとっては難しく、また難しいからこそワクワクするようなことであっても、またある人にとっては日常茶飯のように淡々とこなすことができるものであったりします。 そんな日常茶飯事レベルになった時、当然ながらその余裕さに比例して、それに「なりたい」という気持ちやワクワクは消えていきます。 それがなく渇望している人にとっては、嫉妬や羨望の対象となるものであっても、それを持つ人にとっては「普段、意識すらしない」ということもよくあります。 ただそうして日常茶飯のようなものになったとしても、それに一種の羨望を抱いていた頃から見

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それに、モデルと言っても

本人にとっては自己顕示欲を始めとする自尊心獲得ゲームとなり、他者にとっては欲を刺激するものとして捉えられがちなモデル等々の職業ですが、経済社会の中ではどうあがいてもそれに携わる人が繰り上がり式などで役割を担うことになります。 世間が求めていないものは需給が成り立たないということになるため、少なからず求めに応じて役割を担う人が必要になってきます。 モデルに限らずですが、そうした属性を持つものを構成する人たちの是非を問うよりも、その人達の心のあり方がどうあるかのほうが大切です。なので、モデルならモデルとして良き心の持ち

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燃やしてしまった写真

デジタルデータとして残すというのが基本となった現代では、写真を燃やすという行動が未だに個人レベルで起こっているのかはわかりませんが、昔はよく写真を燃やすという描写がよくありました。今それを垣間見れるのは、抗議行動かカラオケのイメージ映像くらいのような気もします(実際にあるのかは知りません)。 そういえば、中学校卒業の頃の話になりますが、「家にあるのは縁起が悪い」という理由などから、卒業アルバムの中の一部の同級生の写真を切り取って燃やすということが流行っていました。 当時、リング等々のホラー映画が流行っていたというこ

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