タグ別アーカイブ: 文化・芸術

文化・芸術・風習などについて

一度でいいから演劇でブラボーと叫んでみたい

未だに演劇で感動したことがありません。 演劇、舞台、芝居と言われる類においては、ほとんどの場合強烈な寒気がして鳥肌が立ち「見ているこちらが恥ずかしい」という気分にしかなったことがありません。 そんな中、やはり玉サブローが大好きであり、七色いんこが大好きなので「一度でいいから演劇でブラボーと叫んでみたい」という気持ちがしています。 音楽や絵画、そして小説や映画やアニメではブラボーという気分になったことがあるのにどうして演劇だけは無理なのかということが気になり、芸術大学で教鞭をとっている友人などに 「一度でいいので演劇

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僕のもとに帰ってきたドラえもん

いまなお「ドラえもんを観ると目が少年になる」という現象が起こります。 最近はTV版のドラえもんを観たり、「ドラえもん のび太の恐竜」などなど、劇場版のドラえもんを観たりしています 先日は手塚治虫記念館に行きましたが、やはり僕の中では藤子・F・不二雄氏が最も好きな漫画家であり、いつまでもその感覚は残っていて、それは30年以上塗り替えられていません。 少年期の僕にとって「幸せな生活とは何か?」と言うとドラえもんがある生活であり、ドラえもんと共に成長し、ドラえもんがあったからこそ生きてこれたというような感がしています。

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手塚治虫記念館 火の鳥

手塚治虫記念館

今回のツアーの本題である「手塚治虫記念館」です。手塚作品が全て置いてあり読み放題だという魅力に惹かれてという感じです。 ここ半年ほど手塚作品を爆買いし、マイナー作品も読み漁りまくっていたため、とにかく手塚治虫記念館に行ってみようということで宝塚、神戸方面に向かったのですが、結局行ったのは最終日という感じになりました。 宝塚市立手塚治虫記念館 〒665-0844 兵庫県宝塚市武庫川町7-65 宝塚市立手塚治虫記念館(公式サイト) いざ手塚治虫記念館! 入り口にいきなり火の鳥。 そして足元には手塚キャラクターの手形・足

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第1300回投稿記念

これで1300記事目になります。ブログ創設から1300回目の投稿ということで「第1300回投稿記念」です。 前回の第1200回投稿記念は、2018年6月30日で、前回からの100記事は、4ヶ月半くらいかけて投稿したという感じです。最近は通常投稿をしていたので、軽いものもちらほらありつつ長文のものが目立つ感じになりました。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。 それではおなじみのアクセス解析から見るアクセス状

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専門分野への沈黙の強要

小学生の時からずっと抱えている違和感にはなりますが、特に芸術分野などでは、「素人は語るな」とか「素人は手を出すな」的な雰囲気があります。 いくら文化といえど所詮遊びの延長であるはずの美術や音楽の分野において大学などができていったせいで、「しっかりと学んだものしか世に出してはいけない」というような雰囲気があります。 別に誰でも絵を描くことを楽しみ、楽器で遊ぶということをしてもいいはずですし、自由に語ってもよいはずですが、どうもそれが許されないような空気感が出ています。 そんな中近年ではそれが技術的な分野にも浸透し、同

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Ludwig van Beethovenがくれる勇気

僕が最も好きな音楽家の一人として、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)がいます。 不器用ながら器用、そして器用ながら不器用で、絹のような旋律よりもデニム生地のような、それでいてしっかりとなめらかな「縦にバンバンバン」とやる感じが、玉サブローのようで好きです。 最近、ベートーヴェンの楽曲と合わせて、手塚治虫氏の「ルードウィヒ・B」に出てきた「一つのモチーフをどこまで展開できるか」というような感じのことに背中を押されたような気分がしています。 思えばベートーヴェンには何度も背中を押されたような経験

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動機の奥底が見えればそれを憐れに思う

意識的に行ったことでも無意識的に行ったことでも、その奥底には動機や意図があり、その動機の奥底が見えればそれを憐れに思うようなことがよくあります。 まあ一番わかりやすのは白々しく目を見開いたりしながら「すごいすごいすごーい」を連発していた人でしょうか。女性を囲むため、一種のマインドコントロールテクニックかのような感じで「すごい」を連呼していました。 もちろんその奥には助平心があり「こうすれば惚れてくれるのだ」的なものがあります。安物の心理学で得た浅知恵なのか、経験則的なものなのかはわかりませんが、彼なりの成功法則なの

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今なお印象的な悲劇

先日、シェイクスピアの「マクベス」を読んでいたら、ふとLIVE A LIVE(ライブ・ア・ライブ)の中世編を思い出しました。 マクベスはハムレット、オセロー、リア王と並ぶシェイクスピア四大悲劇のうちの一つですが、それに触発されてか、しばらくの間「人生で最も最初に明確に印象付いた悲劇」である「LIVE A LIVE 中世編」のイメージが頭から離れませんでした。 LIVE A LIVEは、1994年頃のゲームなので僕はまだ小学生でした。 「えー…ストーリーの終わり方でこんな終わり方もあるのかぁ」と幼心にショックでした。

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気がつくと目の前にあるという日常とサロメ

ある時家の中である本を読んでいると、その中に安部公房氏の「砂の女」について触れられている部分がありました。 そこですかさず「安部公房の砂の女持ってる?」と聞くと、「目の前にあるよ」と言われてしまいました。 本を読んでいる自分の目の前の本棚にあったのです。 … そして先日、手塚治虫氏の「七色いんこ」を読んでいると、サロメという章がありました。 何の気なしに読んでいたものの、言われて気づいたのですが、居間にぽつんと置いてあった「岩波美術館 テーマ館 第11室 幻想 ファンタジー」の表紙もサロメ(ギュスターヴ・モロー 出

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中途半端な私服勤務

IT系ベンチャーなどなどにおいて、私服勤務で「オシャレに働いている」と思っている人たちの広告写真をみるといつも違和感を感じます。 なぜなら自分たちは「スーツなんて着ない」ということをアピールしているにもかかわらず、縁の太い眼鏡をかけながら、淡色のパンツ、淡色のシャツといったように、全員同じような服を着ているからです。 A. 誰が誰かわからない というのが本音です。 そして、美容・ファッション業界のものはそうでもないのですが、そうしたIT系ベンチャーのような会社の広告用写真や会社案内においては、結局「ビジネス上あまり

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「世界を動かしている」という実感

それが芸術的行為であれ、社会における権力の中の行動であれ、動機をたどると結局は「世界を動かしている」という実感欲しさに人は行動をしていると考えることができます。 その奥にはもちろん「世界をコントロールできるのだ」という、自分の意志の反映の確認という意図があり、そうしたものを求める根本は「世界が自分の意志とは別に動いている」ということに対する恐怖心です。 もちろんここで言う「世界」とは、客観的な世界とイコールではなく、この自我を通した世界、つまり自分の視点で自分が経験する世界です。 意志と表象と音楽 アルトゥール・シ

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夢二郷土美術館(岡山)&竹久夢二伊香保記念館(群馬)

夢二郷土美術館(岡山)&竹久夢二伊香保記念館(群馬)

この夏のツアーを振り返ってみると、あまり意図せず竹久夢二氏にまつわるスポットを巡っていたので、まずは「夢二郷土美術館(岡山)&竹久夢二伊香保記念館(群馬)」です。 「大正ロマン」の代名詞であり、美人画で有名な竹久夢二(たけひさゆめじ)氏ですが、これだけ連続して彼にまつわるスポットに行っておきながら僕自身は行くまでほとんど無関心レベルでした。彼の作品と彼の名が一致したのが今年です。 榛名湖にある歌碑が竹久夢二氏のものだったと知ったのも今年でした。 夢二郷土美術館 今年の7月、岡山の笠岡諸島ツアーの帰りに寄った

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真夏の墓参りと花々

真夏の墓参りと花々

「墓場ビジネスと霊感商法」などで触れていますが、墓自体はただのビジネスであり、墓参りという文化そのものが、文化という名のマインドコントロールであると思っています。 そんな中、母に頼まれて母方の先祖の墓に花を添えに行くということをこの夏経験しました。 その時に最も感じたのは憂いです。花に対しての憐憫です。 生きている花たちが、もう既にいない死者のために、もっと言えば宗教という狂気のために、なぜ劣悪な環境に晒されに行かねばならないのか、という憂いです。 人がその感情のために、―狂人的思考の結果思いついた行動によって、今

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未曾有の満艦飾

全身を着飾ること一つとってもその人となりが表れるので面白いと思っています。 未だに人があまりに着飾っている姿を見ると、笑ってしまう癖があります。特にゴー☆ジャス氏が世に登場されてからは、彼がすぐに脳内再生されてしまうため、より一層笑うようになってしまいました。 洗練されていない、わかりやすい着飾り姿を見ると笑ってしまいますし、それが「どこそこのブランドだ」などと言われた日には爆笑です。 ― さて、何だかんだで家系的にも服に関連する業種との関わりが深く友人にもそのタイプの人がたくさんいます。 そんな中友人と、ある人の

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破天荒と半可通

斬新なアイデア、画期的なアイデアというものを生み出すにも、概ねその手前にたくさんの情報が必要になります。 考えが凝り固まった玄人が見落としているようなところを初心者が発見するといった感じで、稀にビギナーズラック的にアイデアが生まれることもありますが、ほとんどのケースでそのようなことは起こりません。 アイデアは、それを発想することより形にすることのほうが難しいという面を持ちつつ、世界を変えてしまうほどのよほど斬新なものでない限り、たいていのアイデアは他の人も思い浮かべているようなアイデアだったりします。 ― そういえ

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晴れの国おかやま 2018 和気町

晴れの国おかやま 2018 和気町 「ふるさと和気 民話編」

晴れの国おかやまツアーで一番最初に行ったのは和気町です。今回は「岩井志麻子ワールドツアー」ということだったので、岩井志麻子氏の故郷岡山県和気郡和気町にちらっと寄りました。 ということで、ひとまずと言ってはなんですが、和気町歴史民俗資料館に行きました。 和気町歴史民俗資料館 和気町歴史民俗資料館では、和気町の歴史や和気清麻呂公に関する資料、民具などが展示されています。 そしてそこで発見した「ふるさと和気 民話編」がたまらない逸品だったので、その存在だけでもお知らせしておきます。 和気清麻呂公 さて、和気町は和気清麻呂

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麒麟児が綺羅星のごとく

家にテレビは置かず、かつ、ニュースすら目に触れないという生活をしていますが、なんだかんだで友人や同級生などでいわゆる「有名人」のような人はちょろちょろいて、地元にも現役有名人や元有名人のような人がちょろちょろいます。 そんな人達と銭湯で会ったりすることもありますし、知らぬ間に長い付き合いになっていた人が実は元有名なバンドのメンバーだったり、家の近所に東京ドーム公演をするレベルの人の実家があったりという感じなので、そのような人たちに会ったとしても何の驚きもありません。 そう言えば小学生の時、実家の建て替えをしていた時

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うめぼしの謎

うめぼしの謎

今回は「うめぼしの謎」特集です。同世代の方にしかほとんどわからないと思いますが、「うめぼしの謎」は90年代半ば、スクウェアエニックスになる前のエニックスより出版されていた「月刊少年ギャグ王」で連載されていた伝説的4コマ漫画です。 やはりなんだかんだで少年期の頃に人格の基礎ができるような気がします。コロコロやボンボンから背伸びする同級生は、ジャンプやマガジン、サンデーの方に行きますが、僕たちの小学校では少年ガンガンと少年ギャグ王が圧倒的に優勢でした。 「何で笑うか?」という感性の基礎が出来上がるような年頃に、どのよう

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間や空白に対する恐怖と勇気

間や空白に対する恐怖と勇気というような感じで、「間」や「空白」に対して意識的・無意識的に持っている恐怖とそれに対する勇気のようなものについて書いてみます。 ちなみに「間」は「ま」でも「あいだ」でもどちらでもよく、そうしたものを包括していると考えてもらうほうがわかりやすいかもしれません。 音楽でもある程度技量が上がってくると「休符を聴かせる」という領域になりますし、文学でも行間を作ることが表現としての幅を広げていきます。笑いにおいても「間」は重要な要素になってきます。 日常でも本来はバケーションというものが重要になっ

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しかしその徳もまた隠すな!

透明な水であって、ポープの言葉を借りて言えば、「その流れの底にあるきたないものを見えるようにさせる」人間たちを、私は愛する。しかし彼らにとってさえやはり虚栄心がある。もちろんめったにない洗練された種類のものではあるが、彼らのうちの二三人は、われわれがまさに不潔なものだけを見て、このことを可能にする水の透明度を無視する事を望む。余人ならぬゴータマ・ブッダは、「諸君の罪を人々の前に見えるようにさせて、諸君の徳を隠せ!」という定式で、これら少数の人たちの虚栄心を考え出した。しかしこれはすばらしい演劇を世界に与えないことを

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模倣できない

音楽を文学に変えたり絵画に変えたり、ということが稀に芸術の分野では起こります。 音楽をベースに音楽を作るとなると、よほどのサンプル数と洗練がない限り、似たり寄ったりな感じになってしまいますが、異なる次元で表現してみると、普通はあまりわかりません。 で、モロに音楽を文章で表現するのは難しいというような人がいますが、おそらく音楽と文学と両方に精通している人が少ないだけで、フタを開けてみればそんなこともないような気がします。 にわか趣味では大雑把にしか捉えられない 五感と意識のうち、だいたいどれかに特化するのが普通で、さ

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中禅寺湖 夕暮れ

やすらぎの栃木路 2017 中禅寺湖

群馬県から栃木県に突入し、まずお出迎えしてくれるのが中禅寺湖です。 以前もいろは坂を走りに来たときに見てビビッときました。 やすらぎの栃木路 2015 いろは坂 今回は、夕暮れ時の中禅寺湖です。風もキレイですごく心地よい時間を過ごすことができました。 夕暮れ時の中禅寺湖 日が暮れる少し前の中禅寺湖。 (写り込んでいる人はもちろん僕ではありません) だんだん日が暮れてきて、趣が変化していきます。 すごくきれいな色ときれいな風。 さらに色が変わり、月が出てきてぐっとくるコントラストになりました。 やっぱり日光は中禅寺湖

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芸術を別様に感じとる

人々が孤独でありながら交際し、吸収しながら吸収され、深く実り豊かな思想を持ちながらも辛うじてその思想を抱くだけで生きる時代となって以来、人々は芸術からもはや決して何も望まないか、あるいは以前とは全く違ったものを望むかである。 曙光 531 前半 そう言えば先日、今 敏さんが出演されている番組の動画を見ました。20代前半の頃に「妄想代理人」を観てからというもの、一気にハマり、全作品を観ました。既に故人ですが、大好きなアニメ映画監督です。 今敏さんも、そして僕の周りの全ての芸術系の人達が口を揃えて語るのが、「審査員を意

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象徴であることを望まない

大物であれ、という不断の強制によって、彼らは結局事実上儀式張った零に等しい者になる。そしてこれが、象徴であることに自分の義務を見出すあらゆる人たちの常である。 曙光 526 後半 今は亡き大物芸人が「いつまでこのキャラ続けなあかんのやろ」と嘆いていたというのは知る人は知る話です。 世の中ではキャラ付いていたほうが、覚えられやすく得をすると思われていますが、そうした場合世間の短期的な暇つぶしの踏み台とされ、消費されてすぐに終わっていきます。 すぐに小学生やB層にマネをされるようなわかりやすいキャラ付けがなされると、そ

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孤独な人たちの嫉妬

これはおそらく孤独を愛する文化系特有なのですが、嫉妬でも羨望でもない特殊な感情があります。 嫉妬は、「自分もそのように評価されるべきなのに、まだ評価されていない」という時に起こり、羨望は同一のフィールドにありながらも「すごいなぁ。でもこれは自分では届かないや」というような感情です。 ただ、「こんなものを作れてすごいなぁ」「ここまでこんな表現をしてしまうなんて」と何となく悔しくなるような、でも、別物だから悔しいとはまた違う、そんな変な感情があります。 文化系の特徴はランキングが通用しないことです。 売れればすごいとい

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