タグ別アーカイブ: 倫理・道徳

倫理-道徳に関すること

灯油販売車

爆音の灯油販売車を撃退する

冬ということで、皆さんの地域ではどうなのかわかりませんが、まあたいていの地域では灯油の携行販売車が、大きな音楽と宣伝文句を流しながら街を爆音の嵐で包んでいるかと思います。 この爆音の灯油販売車は撃退することができます。少なくとも京都府内ならばできます。 なぜなら条例違反だからです。 ではまずあのうるさい灯油販売車の爆音の宣伝音が違反で

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近江商人と情報操作

これは勝手な推測や感覚なのですが、雑記程度に「近江商人」について触れていきます。端的には「近江商人」の売り手よし買い手よし世間よしという「三方よし」は情報操作なのではないか、と思ってしまうという点です。 商人といえば、近江商人、伊勢商人、なにわ商人などなど有名な商人文化があり、その中でも近江商人は結構有名で、その中心的ポリシーは「三方

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勿体ぶった振る舞いをしない

われわれが自分の利益になるためにすることは、他人からもわれわれ自身からも道徳的讃辞を受ける筋合いのものではない。われわれが自分を喜ばせるためにすることも、同じくその筋合いのものではない。 曙光 508 前半 まあ面白いもので、自分の利益になるためにすることとか、自分を喜ばせるためにすること、というのは、それ単体ではないことがほとんどだ

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犯罪者の悲哀

犯罪者であることが発覚したとき、彼が苦しむのは犯罪ではなく恥辱であり、馬鹿げたことをしたことに対する嫌悪であり、通例の生活必需品に不自由することである。この点を区別するためには、めったにないような敏感さを必要とする。 曙光 366 前半 梅雨時くらいからでしょうか、宝ヶ池に行くと「ガチョウの雪雄がどこにいるか」を示したホワイトボードが

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功利主義者ではない

「悪いものがたくさん示され記憶に留められるような力は、ただよいだけのものに与えられる無力よりも価値が多い。」― ギリシア人はこう感じた。すなわち、力の感情は彼らによって何かある利益や名声よりも高く評価されていた。 曙光 360 アイツだましの実験終了記念、というわけではないですが、連投です。ブログを書くことによって頭を休ませるというこ

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和解させる

一体哲学の課題は、子供が学んだものと大人が認識したものとを和解させることであるだろうか?青年たちは子供と大人との中間にあり、中間の欲望をもっているから、哲学はまさしく青年たちの課題であるだろうか?哲学者たちが現在どんな年齢で哲学の構想を抱く習慣であるかを考えると、― それは、信仰には遅すぎ、知識にはまだ早すぎる年齢年齢なのであるが― 

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第三の解放

ご無沙汰しております。bossuです。やはり睡眠が浅く体調が良くありません。が、本日、非常に解放されたような気分になりました。第800回投稿記念目前ですが、個人的なことについて触れていきます。 御存知の通り(常連さんだけかもしれませんが)、僕は、闇雲に勉強だけしてきたタイプではありません。 どちらかといえば野草のような生き方をしてきま

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宝ヶ池で釣りをしていた犯人情報

みなさまこんばんは。 宝ヶ池で釣りをしていた犯人について追加情報があります。 いんもさんより証拠動画を送信いただき確認しましたところ、顔だけでなく、様々な情報が推測ですがわかってきました。 京都マラソンのボランティアスタッフ 犯人の一人は、京都マラソンのボランティアスタッフです。 そして京都マラソンのボランティアスタッフ募集要項を確認

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宝ヶ池・宝ヶ池公園を愛するみなさまへのお願い

宝ヶ池・宝ヶ池公園を愛するみなさまへのお願い

「宝ヶ池」のページは、宝ヶ池に関するウェブ検索で各様々な検索キーワードで検索結果上位に食い込むことにより、「宝ヶ池で釣り」を抑止しようという試みです。 「宝ヶ池」というキーワードを含んだ検索をされる方は、宝ヶ池に行かれる確率高いため、宝ヶ池公園のページをご覧になった方々がひとりでも多く、宝ヶ池公園で釣りをしている人に目を光らせていただ

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宝ヶ池公園の釣り人へ

本日、心ある方よりご連絡をいただきましたとおり、宝ヶ池で釣りをしている人がいたそうです。犯人は、中高生のようです。 御存知の通り、僕は宝ヶ池公園が大好きです。そこで暮らす生き物も大好きです。 宝ヶ池にまつわるページはウェブ上にたくさんありますが、ウィキや京都市など公式性の高いサイトを除いて、ひとまず宝ヶ池関連クエリで上位に食い込んで、

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理由と、それが理由にならぬこと

君は彼を嫌悪しており、この嫌悪に対する理由を沢山もち出す。― しかし私は君の嫌悪を信用するだけであり、君の理由は信用しない!本能的に生じるものを、君や私に対して三段論法のように提出することは、君自身への胡麻擂りというものである。 曙光 358 感情はストレートに「真」ですが、その裏付けとなる思考には穴がある可能性が常に内在しています。

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商業社会の道徳的流行

現在の道徳的流行の原則― 「道徳的な行為とは、他人に対する同情心の行為である」― の背後に、恐怖心という社会的な衝動が支配するのを、私は見てとる。 曙光 174 序 某産業団体の「裏役員(決して怪しい存在ではありません)」をしているため、先日、自己啓発に洗脳された人から、当該師匠をセミナー講師として、起用して欲しいという説得をされまし

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悪者

「孤独な者だけが悪い」と、ディドロが叫んだ。そこで直ちにルソーは致命傷を受けた感じがした。それ故に彼はディドロが正しいことを承認した。(中略)いたるところにお芝居だけを見てとる者の眼にとっては、やはり最も見事に悪いのである。 曙光 499 抜粋 世の中にはそこそこの悪者がいます。 しかしながら非難を受けて、少し肩身の狭い思いをしている

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道徳的な刺蠅(さしばえ)

認識への愛が欠け、人を苦しめる喜びだけしかしらないあの道徳学者たちは、小都会人の才気と退屈さを備えている。彼らの残酷なまたあわれむべき慰みは、隣人を警戒することであり、隣人が刺されるようにそっと針をさしておくことである。彼らには、生き物や死んだものを捕獲したり虐待したりしなければ楽しくなかった、幼い子供の頃の悪戯が残っている。 曙光 

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逆境のときの友人

「お金と異性が絡んだときの人間を信用するな」 これは高校生の時に同級生が、僕に説いた言葉です。 その一年後、夏目漱石氏の「こころ」によって、その言葉がズシンと響いたものです。 その同級生としては、何か直近に思い当たるフシがあったのでしょう。 同時に「だからオレを信用しろとは言わない」 と言いました(別にお金を借りてこようとしてきたとか

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良心的な人々の悪用

つい先日喫茶店に行った時のことです。何やら思想団体のような団体が、デモ行進について会議をしていました。といっても若い人たちです。京都といえば昔からその気が多いのですが、やはり例に漏れず群れたいだけのB層でした。 耳を欹ててみると、「デモ行進中の差し入れに感動した」ということを女性が語っていました。しかしながら、自分たちの代弁者である思

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弁明しない

甲 しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? ―乙。この点でも、百の事柄でも僕は弁明できる。しかし僕は弁明の中にひそむ満足を軽蔑する。というのは、これらの事柄は僕にとってあまり大したことではないからだ。 曙光 472 前半 ニーチェ しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? bossu それでは軽く類型ごとに示してみよう。 パターン① 相

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別の隣人愛

激し易く、騒がしく、むら気で、神経質な人は、大きな情熱の反対である。 曙光 471 序 「隣人愛」といえば、新約聖書を読んだことのない人でも知っているような「あなたの隣にいる人を愛しなさい」というものですね。 隣人を愛する前に愛を思い出しなさい しかし相手の要求には応えても応えなくても構いません。 愛することと、何かの要求に応えること

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美の国は一層大きい

「美しい国」という表現がたまにされることがあります。中国語などでアメリカを「美国」と書きますが、日本のことを「美しい国」と表現するということがたまに起こります。 しかしどこの国も美しいものです。美しさは受け取り手の感性の問題ですから、実態として「美しい」という属性自体は持っていません。見る人の感性によって「美しいとされる」だけの問題で

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贈る者の恥ずかしさ

「贈り物」というものは、本来贈る人の善意のような気持ちが形になるようなものです。 気持ちを形にして示してみる、というのが贈り物であり、その手前には、相手に対する気持ちというものが必要なはずです。 その思いが形になり、物を媒介して思いが伝わる、それが贈り物のもつ本質的な意味であると言えるでしょう。 「贈る者の恥ずかしさ」ということで恥ず

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道徳的と自称する

直接間接問わず、道徳的と自称している人は結構います。 道徳的だと自称していたり、はたまた心のなかで自分は道徳的に生きていると本気で思い込んでいる人がたくさんいます。 しかし、ギムキョだからこそ盲目になっていることがよくあります。以前に少し触れましたね。 聞いた話ですが、例えば障害者の人がどこか福祉系の作業所に勤めた場合の賃金は1500

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一番籤(くじ)

一番籤(くじ)

これは非常に珍しいことであり、しかも人を有頂天にするものである。つまり立派に形成された知性を備え、そのような知性に属する正確も、好みも、体験でさえも持っている人間のことである。 曙光 458 最近やたらにコンビニで「700円買ってくじにチャレンジ」が多いですね。一番籤(くじ)ということでクジ引きについてです。 コンビニのクジ引きにおい

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義務の変化

幾度と無く触れている中学生の時のお話です。義務の変化ということで、やはり義務教育における「義務」について触れていきます。 白靴下の件は幾度と無く出てきているので、既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、さらに自分が卒業して15年以上経った現在、母校の生徒を見てみると、蛍光オレンジなどのスニーカーを履いて歩いているという実情があります

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「人間性。」

われわれは動物を道徳的な存在とは考えない。しかし一体諸君は、動物はわれわれを道徳的な存在と考えると思われるか?― 話の出来る動物が言った。「人間性とは、すくなくともわれわれ動物が苦しむことのない偏見である。」  曙光 333 動物が道徳的でないとするならば、その従う指針のようなものがない、という意味ででしょう。以前に触れた我が家のイン

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無邪気の危険

無邪気な人間はあらゆる点において犠牲になる。彼らはその無知のために、過度と過度を区別したり、時期を外さずに自分自身に対して用心したりすることができないからである。そこで無邪気な、すなわち無知な若い夫人は、愛情を頻繁に享楽することに慣れ、その夫が病気になったり早く衰えてしまったりする後年には、享楽にひどく不自由するのである。 曙光 32

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恐怖と愛

恐怖は愛よりも一層多く、人間に関する一般的な洞察を促進して来た。なぜならば、恐怖は他人がだれであるか、何をすることができるか、何を望むのかを推測しようとするからである。この点を思い違えると、危険で不利益になるであろう。反対に愛は、他人の中にできる限り多くの美しいものを見る、あるいは他人をできるだけ高く向上させるという密かな衝動を抱いて

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道徳の空位時代

いつか道徳的な感情や判断と交代するであろうものを、だれが現在早くも記述することができようか!― それらは土台のすべての点で設計に誤りがあり、その建築物は改修不可能なことをわれわれは確実に洞察しているとはいえ、ともかく理性の拘束力が減少しない限り、それらの拘束力は日増しに減少するに違いない! 曙光 453 前半 理性で判断すると、たいて

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ルサンチマン

ルサンチマン(ressentiment)とは、「弱者による強者に対する怨恨」とするのが一般的です。怨恨の他に憤り、憎悪・非難、単純に僻みという風に説明されたりします。キェルケゴール発端ですが、ニーチェも「道徳の系譜」以降さんざん使う言葉です。ニーチェの場合は、さんざん使うというより、彼としては考えの一種の主軸になっています。 ただしル

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決闘

ぜひとも必要な時に決闘することが出来るのは利益であると思う。なぜなら私のまわりにはいつでも勇敢な仲間がいるからだ、とだれかが言った。決闘というものは、最後に残された全く栄誉ある自殺への道である。悲しいことには廻り道である。しかも全く確実なものですらない。 曙光 296 実際の肉弾戦でなくても同じことです。決闘は栄誉ある自殺の道、とニー

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奉仕の如才なさ

奉仕という偉大な技術の中で、御(ぎょ)しがたい野心家に奉仕することは、もっとも如才ない任務のひとつである。なるほど彼は全体で一番ひどい利己主義者ではあるが、断じてそうは思われたくない(これこそ彼の野心の一部である)。 曙光 295 前半 野心家は、その野心のためならどんな時でもどんなことでも利用しようとします。そんな野心家を支持して同

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