一番マシだったからであって支持したわけではない

別にそれを支持したわけでも何でもなく、目的の商品が在庫切れだった時の代替物として一番マシだったというだけなのに、まるで投票行為において支持したかのごとく「企画が当たった」と思われるのはどうか、と思うことがあります。 そしてその支持したかのような構造になってしまうものがデータとして傾向を示すものとして取り扱われるとなると、どんどんどんど

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「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処

「キャー!」「きゃあん!」といった超高周波の奇声を絶叫する子供が激増してきました。 家の前、飲食店、スーパーなどの小売店、そして温泉ですら、「無線のチューニング」並みの「キャー!」「きゃあん!」という子供の奇声が聞こえてきます。これは完全に公害です。 最初に言っておきますが、「うえーん」や「えーん」「ぎゃあああ」といったように、怪我を

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「は?」となる心理学者たち

安物の心理学の本には、絶望的な心理学者による絶望的な実験結果が引用されていたりします。 小学生くらいでも「は?」となるレベルです。 そうした実験結果を報告する心理学者は「本当に頭は大丈夫か?」と思ってしまうレベルであり、それを引用して根拠になるかのように思っていることも絶望的です。 「アメリカの〇〇州立大学のナントカ博士が300名程度

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第1400回投稿記念

これで1400記事目になります。ブログ創設から1400回目の投稿ということで「第1400回投稿記念」です。 前回の第1300回投稿記念は、2018年10月19日で、前回からの100記事は、40日ちょっとくらいかけて投稿したという感じです。なんだかんだで長文のものも結構ありますが、比較的短期間で100記事を迎えた感じになります。これは、

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一度でいいから演劇でブラボーと叫んでみたい

未だに演劇で感動したことがありません。 演劇、舞台、芝居と言われる類においては、ほとんどの場合強烈な寒気がして鳥肌が立ち「見ているこちらが恥ずかしい」という気分にしかなったことがありません。 そんな中、やはり玉サブローが大好きであり、七色いんこが大好きなので「一度でいいから演劇でブラボーと叫んでみたい」という気持ちがしています。 演劇

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うつと酸欠と呼吸法

うつと酸欠と呼吸法について触れていきます。酸欠だからうつになるという短絡的な感じではないのですが、気分がすぐれない時に即効性のあるものとして呼吸法をご紹介しておきます。 うつに限らず体の不調となると、やれ何の成分が足りないだとか、これを補えば体調は良くなるだとかいった感じで、すぐに何かを売るということをしてきます。 「何かを売るために

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孤独や孤独感と「独立して自由であること」

孤独や孤独感と「独立して自由であること」という感じで、孤独や孤独感を中心にまたまとめておきます。そして孤独という概念から「他との関連性から独立して自由であること」についても書いておきます。孤独感に苛まれた時に「軽い脱却」を叶えた「孤独感についての独り問答」についても触れてみます。 まず、孤独であることや孤独感は、「分離」が前提になって

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売るための場ではない場所での無駄な売り込み

年末が近づき、忘年会等々いろいろな会合が盛んに行われるシーズンになってきました。 で、そういう場所というのはあくまでただの集まりだったりするはずなのですが、獲物を狙うかのように「売るための場ではない場所での無駄な売り込みをしてくる人たち」もたまに混じったりしています。 そして、その会合のメンバーが経営者だらけだったりすると、百戦錬磨の

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何かが切れる瞬間

寝て起きてしばらくしてまだまだボーッとしている時、変な気がかりが起こることがあります。たいていはすぐに何とも無くなるのですが、稀にすごく嫌な気分になることがあります。 しかしそんな時は、ほとんど必ずそのすぐ後に何かが切れます。切れる瞬間が明確にわかるような感じで何かが切れます。 そしてだいたい何かに没頭することになります。その間嫌な気

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同情と共感

同情と共感についてまとめておきます。同情と共感は似ていますが、己の心にどう影響するかが全く違うので、似て非なるものとしてその違いについても触れていきます。 英語的な話をすると「同情」は「sympathy」であり、「共感」は「empathy」と言う感じになりますが、もちろんそれが心理学者なのか哲学者なのかといったことを筆頭に、その言葉を

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曖昧さのもつ力

抽象的で曖昧な言葉ほどものすごい力を発揮したりします。 言葉が抽象的である場合、その分だけ包括する概念の範囲が広く、解釈可能性もたくさんあるということになります。 ただ、具体性からは逆行することになるので意味を捉えにくくなるということになり、その分だけイライラするということもありますが、やはり曖昧な言葉は凄まじい効力を持っていたりしま

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人を信用することと人間不信

「人を信用することができない」 ということが人を苦しめる最たるものの一つです。 しかしながら、人間不信ということに限定することなく、何事も信用し切ることはできませんし、かといって一切の信用がなければ社会生活はままならないという構造になっています。そんな中「信用しようとすること」自体が疑いを含んでいるため理屈の上でどう考えようがその信用

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蓋然性とあいまいさ

思えば「蓋然性」と「あいまいさ」が長年僕を苦しめていました。それは哲学的問いであり、とりわけ哲学的領域と社会との整合、社会生活における自分のあり方としての課題です。 ふと病中で活字中毒だった頃を思い返すと、この「蓋然性」というものをどう取り扱うか、どの程度の曖昧さならば良しとするのかの線引が難しく、その問いに真剣に向き合ってしまったか

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経済や金融のリテラシーが高まっていくプロセス

今では特にお金を稼ぐことにあまり興味がありませんが、やはり経済社会の中にいて貧乏な状態にあるのは辛い出来事を呼び起こしたりもすると思うので、「経済や金融のリテラシーが高まっていくプロセス」といった感じで、僕の中で経済や金融全般のリテラシーがどのように高まっていったのかを思い出がてら書き記しておこうと思います。 まあお金の面にしても結構

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縁起が良い動物とか悪い動物という発想

世の中では縁起が良い動物とか悪い動物という発想をする人たちがいます。もちろん本来の意味での縁起、「因縁生起」とはまた少し異なった感じで俗っぽくこうした縁起の良い動物や縁起の悪い動物について考えてみましょう。 縁起が良い動物は何か? 縁起の悪い動物は何か? A そんな分類は意味をなさない 単純な答えとしては以上となりますが、もう少し詳し

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僕のもとに帰ってきたドラえもん

いまなお「ドラえもんを観ると目が少年になる」という現象が起こります。 最近はTV版のドラえもん(もちろん旧声優陣の頃のドラえもんです)を観たり、「ドラえもん のび太の恐竜」などなど、劇場版のドラえもんを観たりしています 先日は手塚治虫記念館に行きましたが、やはり僕の中では藤子・F・不二雄氏が最も好きな漫画家であり、いつまでもその感覚は

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思考の罠

思考の罠ということで、思考がすべての展開にブレーキをかけたり、絶え間ない重圧をかけたりしてしまうことや、「考えないほうがうまくいき安らぎに帰する」というようなことについてでも触れていきます。 少しばかり「苦」ばっかり扱ったので今回は明るいテーマです。 なんだかんだで哲学的なテーマは重く感じたりします。その重さは人を幸せにはしてくれない

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目先しか見えないと改善の価値がわからない

目先しか見えないと改善の価値がわからないということで、目先の物事しか見えない人たちにとっては工夫や改良を継続して繰り返していく「改善」の価値がわからないというようなことについて触れていきます。 人は感情的になっているときほど本能よりの思考しかできなくなっているため、思考としての「過去」や「未来」というものを想定できなくなったりします。

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数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由

数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由という感じで、世の中で出版されるビジネス関連の本が精神論とか心のあり方に落ち着いてしまうワケについて触れていきます。 具体的なハウツーが欲しいのに、なんだかんだで書いてあることは精神論だったり考え方だったり、心のあり方だったりという感じに落ち着いているというようなやつです。 まあそれを嫌だと

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感情のくだらなさに気付いたのなら

ほんの稀にですが、感情に苛まれそうになる場合があります。それは苦しい感情であり、苦しい状態です。 もちろんすぐに脱するのですが、そんな時はいつも「くだらないなぁ」と思います。 そんなことを一番最初に思ったのが高校生の時です。 どんな理由だったかは忘れましたが、ある時何かに悩むように何かを考え、嫌な感情に苛まれていました。 そこで十代に

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Photo Gallery 兵庫

Photo Gallery “兵庫”

Photo Gallery “兵庫”
兵庫で撮った写真集

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加速するギャップと埋まり難き情報差

思い返すとこの十年くらいで大きく生活が様変わりしたような感じがします。そんな中一番顕著なのが、周りの人とのギャップかもしれません。友人たちを一通り観察すると、その変化が大きく枝分かれしていったように感じます。 社会的な評価基準のようなものが直接的に影響を及ぼしているというわけではありませんが、結局日常どんな生活をしているかで人格の変わ

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手塚治虫記念館 火の鳥

手塚治虫記念館

今回のツアーの本題である「手塚治虫記念館」です。手塚作品が全て置いてあり読み放題だという魅力に惹かれてという感じです。 ここ半年ほど手塚作品を爆買いし、マイナー作品も読み漁りまくっていたため、とにかく手塚治虫記念館に行ってみようということで宝塚、神戸方面に向かったのですが、結局行ったのは最終日という感じになりました。 宝塚市立手塚治虫

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神戸どうぶつ王国 バードパフォーマンスショー

神戸どうぶつ王国でさらにふれあいの時間

六甲山牧場に行った翌日、神戸どうぶつ王国でさらにふれあいの時間を満喫しました。有馬温泉の方からポートアイランドまで足を伸ばす形で、連日動物とのふれあいです。結局動物ばかりという感じになりました。 神戸どうぶつ王国は元々神戸花鳥園だったということで鳥がたくさんいます。鳥たちとふれあいたいということで、「うさぎをはじめとした草食動物の次は

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六甲山牧場の羊

六甲山牧場でふれあいの時間

神戸方面ツアーについては特に何の予定も立てていなかったのですが、六甲山に来たからにはと六甲山牧場に行きました。 六甲山牧場には羊や山羊、うさぎ、牛、馬、ミニブタ、牛、アヒル・コールダックなど様々な草食系の動物がいます。そしてそうした動物と触れ合うことができます。 なお、たくさんの羊だけでなく牧羊犬もいます。ちょうど先日「ベイブ」を観た

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六甲山から望む神戸の夜景

西宮の夫婦岩から六甲山・摩耶山・再度山へ

今回は、手塚治虫記念館に行くということだけを確定事項として宝塚~神戸方面に旅立つことにしました。まずは、西宮の夫婦岩前を通過してから六甲山・摩耶山・再度山の方に行きました。 かなり変な感じなのですが、西宮の夫婦岩については縁もゆかりもないはずであるものの、一年以上前に夢の中で出てきたので何故か向かうことにしたという感じです。まあ話半分

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四苦八苦 あらゆる苦しみ

四苦八苦シリーズが全て完了したので、四苦八苦をまとめておきます。四苦八苦(しくはっく)とは、四苦である「生老病死」に加え、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦(五盛陰苦/五取蘊苦)といった8つの苦しみを意味しています。 四苦八苦は、もちろん仏教用語であり、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみといった「生老病死」と合わせ

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五蘊盛苦(五盛陰苦/五取蘊苦)五種の執著の素因は苦しみをもたらす

五蘊盛苦(五盛陰苦/五取蘊苦)について触れていきます。四苦八苦シリーズ最後の苦しみは、この五蘊盛苦(ごうんじょうく)です。これは、五盛陰苦(ごじょうおんく)、五取蘊苦(ごしゅうんく)と表現されることもあります。五蘊盛苦とは、「五種の執著の素因は苦しみをもたらす」「五種の素因への執著が苦しみを生じさせる」という意味であり、四苦八苦全ての

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「求不得苦」求めても得られない苦しみ

「求不得苦」求めても得られない苦しみについて触れていきます。求不得苦(ぐふとっく/ぐふとくく)とは、読んで字の如く求めても得られない苦しみであり、欲が満たされないことに煩い悩むことです。四苦八苦の七番目の苦しみです。 もちろん求めるからこそ時に思い通りにならず、求めるものを得ることができないという苦しみが起こるという感じになりますが、

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「愛別離苦」愛するものと別れる苦しみ

「愛別離苦」愛するものと別れる苦しみについて触れていきます。愛別離苦(あいべつりく)は、愛するものと別離する苦しみとして、いくら好きで愛し尽くしたとしても、いずれ必ず来る別れからは逃れることができないという苦しみです。 愛する人との死別という形が最もわかりやすいですが、愛別離苦は人との別れだけでなく、人であれ動物であれ生き物との別れと

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by bossu

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