変な意識の力と「諦め」
僕単体ではどうということもないのですが、特定の人たちと共に意識を向けると対象が無くなってしまうということがよく起こります。 変な話なのですが、十年くらい前から僕には変な意識の力があり、最近では相手に「諦め」を与えるような形になっています。おそらくそれは同調によって情報状態の変化をもたらすという感じになるのでしょう。 僕個人として一番最初に現実に起こったのは、勤め人の頃です。 担当エリアに狂犬がいて、いつもその犬が散歩している時に出くわし
気力を奪う人たち
気力を奪う人たちということで、自尊心の回復のために人から気力を奪っていく人たちについてでも触れていきましょう。 世の中には、自尊心の低下を何とかしようと人に罵声を浴びせたり、ウジウジと憐れみ乞いをしたりして気力を奪っていく人たちがいます。そうした人たちをまともに相手すると、それまで元気だったのに元気を奪われ、パワーやエネルギーというものを奪われてしまいます。 根本的には気力を奪う側も、自尊心と気力が低下しているからこそそうしたことをして
落語的思考
普段からよく散歩をしますが、特に今のシーズンは「春になった」ということでよく外を散歩します。 そんな折、不可思議な看板や案内や観光地にありがちな「由緒書」的なモノに出くわしたりします。そしてそれを見て頭の中で遊んでいます。 ということで落語的思考の遊びです。 落語的なのかどうなのかはわかりませんが、言葉の違和感や論理的な矛盾に爆笑しています。そういうわけで、周りの通行人の人からは怪訝な目で見られたりしています。 例えば空き地に次のような
良きものを称賛するという意識の向け方
たいてい思考は言葉で行われていますし、意識の状態も普段使う言葉に大きく影響されるというのは本当のところですが、言葉にさえ左右されなくなる領域まで行ければ、言葉はもうこの心を縛ることはできません。 しかしながら、基本的には言葉によって意識は方向付けられています。ということで、言葉選びは結構重要だったりします。 言葉選びも大事ですし、何より「何に意識を向けるか」ということが結構大事だったりします。 否定的な言葉と肯定的な言葉 言葉を選ぶ時や

哲学の道の黄昏
哲学の道の黄昏ということで、昨日行ったばかりの哲学の道について触れながら、道行く人を見ながら感じたようなことについてでも書いていきましょう(ついでに、たった今の出来事ですが、なぜか、「みちゆくひと」と打っても通行人としか変換が出ません)。 このシーズン、哲学の道は桜吹雪の大乱舞という感じなので、人でいっぱいです。外国人だらけで、地元の人はほとんどいないような感じでしたが、想像よりは人が多くなかったので、程よく散歩することができました。な
祝四周年
なんだかんだで本ブログも四周年です。これで1140記事目になります。今回も祝三周年の時と同様に、単純に祝四周年というタイトルです。祝三周年の時点で、842記事だったのでこの一年で298記事を書いたことになります。過去分の転載等もありましたが、この一年はまあまあ書いた方になるのでしょう。 … さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいてい
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みてみました。宗教勧誘を論破して撃退するという感じではなく、相手のフレーム合わせて、対機説法をしてみるという感じです。 普通は宗教勧誘に対して上手く断るという感じだったり論破して撃退するという感じだったりするでしょうが、僕の場合は目的が少し違っていて、追い返すことではなく、短時間で脱洗脳のタネを撒いておくことです。 先日、X(Twitter)でこっそりつぶやいてみましたが、ほんの少し前

うめぼしの謎
今回は「うめぼしの謎」特集です。同世代の方にしかほとんどわからないと思いますが、「うめぼしの謎」は90年代半ば、スクウェアエニックスになる前のエニックスより出版されていた「月刊少年ギャグ王」で連載されていた伝説的4コマ漫画です。 やはりなんだかんだで少年期の頃に人格の基礎ができるような気がします。コロコロやボンボンから背伸びする同級生は、ジャンプやマガジン、サンデーの方に行きますが、僕たちの小学校では少年ガンガンと少年ギャグ王が圧倒的に
虚栄心の原因と心理の裏側
虚栄心の原因と心理の裏側ということで、虚栄心について書いていきます。 虚栄心(きょえいしん)は、つまるところ自分を大きく見せたいということであり、その裏の心理としては生存本能としての恐怖心があります。見栄を張ることで自分を大きく見せたい、実力以上に評価されたいと思う心理の根本動機は、生命としての恐怖心ということになります。 虚栄心というと、大げさな話や嘘、そして虚飾により見栄を張る心という感じになりますが、その目的が自尊心を高めることや
合理化や最適化が機械にできる限界
AIがすごいとか、少し前であればIT化がすごいとか、そうした事が世の中でよく囁かれますが、「合理化」や「最適化」が機械にできる限界であり、結局大切なことは文語ではなく口語でないと何ともならないというようなことについて触れていきます。 哲学カテゴリでも会社経営と商いカテゴリでも良かったのですが、抽象的な感じなので雑記にしておきます。 まず最初に、新世代に対する旧世代的な後ろ向きの考えではないということに注意してください。 合理化や最適化の
進化と退化
「テクノロジーを筆頭に、社会は目まぐるしく進化を遂げています」 そんなことがよく言われますが、僕はそうした表現に違和感を覚えています。 いつの時代でも、「進化に甘えて、現実が疎かになっている」というようなことを言いたがる人は出てきます。 「便利さに自由を奪われている」 みたいな感じで世代間のギャップに違和感を覚えている人ですね。 しかし僕の違和感はそうしたものとはまた異なったものです。 そういう人たちが言いたいことも理解することはできま
父への勝利
なぜかふと父から受けた最高の影響を思い出すので、あえてお父さんとの思い出についてお話しましょう。 僕の体育会系嫌いの原点です。 「生まれた順序で人に差をつけること」 その根拠なき差別に対する思いは、哲学的思考による論証だけに裏付けられているわけではなく、幼少期の体感が背骨となっています。 お正月の一悶着 確か小学校低学年くらいの時だったと思いますが、あるお正月に我が家で一悶着ありました。 それはおじいちゃんが僕のお年玉を1万円と設定した
活字の世界と感情の世界
何かをしたり人とやり取りをする上で、活字の世界の比重と感情の世界の比重というバランスがあることは案外見落とされています。 いくら感情的になったところで、活字の世界である学校のテストで良い点をとれるわけはありませんし、逆に恋仲になろうと思った時に活字ベースで事を進めることもできません。 たまに思考の世界と感情の世界をごっちゃにしてはいけないというようなことについて触れる時がありますが、もう少し具体的に考えて思考の世界の中でも活字の世界があ
見ることを意図してから絵を描く
見ることを意図してから絵を描くということで、「絵を描く」という表現をしていますが、本当に絵画を絵の具で描くわけではありません。頭のなかで計画を設計することというくらいの意味合いです。 最近ナニワ金融道を読んでからと言うもの、実は自分の周りでも「絵を描く」という言葉を使っている人が結構いることに気づきました。たいていは社長仲間ですけどね。ということで、見ることを意図してから絵を描くと言う感じで、認知的な話について触れていきましょう。 先日
他人の成長
ご無沙汰しています。bossuです。 久しぶりに頭を休めるために書こうかと思いますが、寒さのせいか、俗世間に触れたせいか少し頭の働きが悪くなっているような気がします。 思えば、昔は「他人の成長を喜ぶ」ということが本当のことかどうか半信半疑だったように思います。 おばあちゃんが孫の成長を喜ぶというようなものならば何となくわかりましたが、「部下の成長や後輩のような人の成長が嬉しいというのは本当だろうか?」ということを考えていました。 それは
状況によって変わる意識の身勝手さ
状況によって変わる意識の身勝手さについてでも書いていこうと思います。 意識の中に信念や考え方の傾向を持ってはいますが、そうした意識の向き方やモノの見方、いざというときの考え方や環境への対応というものは状況によって変わっていきます。 そう言えば先日、ナニワ金融道、新・ナニワ金融道、新・ナニワ金融道Rと、ナニワ金融道シリーズを読破しました。 お金を借りに来る人については、お金を貸す人借りる人で、ある程度触れていますが、ナニワ金融道を読むと改

新年 2018
みなさま、あけましておめでとうございます。 2018年になりました。 早速白味噌の雑煮で杵つき餅を5つ食べました。 新年ということでひとまずは抱負のようなものを書いていきます。こうしたものを普段あまり意識することはありませんが、あえて意識してみましょう。 新年の抱負 2018年新年の抱負ですが、まずはもう少し間口を広げるためにということを含みつつ、少しはモテてみようかなぁという感じです。 これは、つい先日年末ということもあって、X JA

さよなら2017
さあもうすぐ2017年が終わります。 一応2017年を少し振り返っておきましょう。 急に仕事のやる気が無くなったり、養子が死んだりということもありましたが、急に大掛かりな仕事が舞い込んできたり、急に沖縄に行っていたりと、急な展開がよくありました。 最も大きな変化は養子のうさぎが亡くなったことですが、それは彼の死と同時に彼と出会う前の僕の意識との再会があったことも含まれています。 思えば我が家にうさぎがやってくる少し前の僕は、毎日が楽しか
見渡せば秋冬生まれの文化系
12月です。僕は12月生まれです。 見渡せば秋冬生まれの文化系ということで、昔からずっと秋冬生まれの友人が多く、文化系の人ばかりが友だちです。 ほとんど11月以降に誕生日を迎える人ばかりが友だちで、そしてなぜか10月生まれに特に仲のいい人はいなくて、飛んで9月生まれに友人が多いというのも不思議です。 まあその理由に関しては小学生の時から薄々感づいていました。 学年の最初の方の月に生まれた人は体育会系が多い 同学年のうち、学年の最初の方の
モテる秘訣とモテない理屈
さて、モテる秘訣とモテない理屈について書いていきます。 世間では様々なモテテクやモテるための条件、モテる秘訣、そしてモテない理由としての理屈が並べられています。 しかしながら、そういうものを鵜呑みにしてしまうと、婚活業界、結婚相談業界のお客になってしまうだけです。 どのような分野でも同じですが、具体的な事例自体を知ること自体はいいですが、そんな具体的な領域にとどまっていると、そのレベルの内側に居続けることになります。 そんな浅い領域から

4歳児に教えてもらった素敵な言葉
先日、お客さんのところに行ったときに、その人の息子である4歳児に教えてもらった素敵な言葉があります。 いつもいつも「大学教授が言おうと幼稚園児が言おうと本質は変わりなく、言葉が指し示す意味のみを検討するべきだ」というようなことを言っていますが、まさに幼稚園児から教わることになりました。 意味は状況の中にある、ということにはなりますが、大体どのような状況においてもかなり良い感覚を呼び起こすフレーズです。 何気ない言葉ですが、いい言葉だなぁ

第1100回投稿記念
これで1100記事目になります。1100回目の投稿ということで「第1100回投稿記念」です。 ZERO STAGEで少し嵩増しされた感はありますが、前回の第1000回投稿記念は、2017年9月20日で、前回からの100記事は、その前と同じくまあまあの速度で投稿したという感じです。 そういえばもう少しするとロングラン特別企画「曙光」が終わります。どうせならということで、題目終了後も多少注釈ページや「訳者あとがき」などからエッセンスを見つけ

車の本「ゼフィラム」
リハビリをするために、小説を読むべく図書館に向かった。 楡周平の本があったので借りてみた。 「ゼフィラム」 表紙に車が載っていたことから、「自動車産業だな」とは思いつつ、 「あまり興味ないな」とも思いつつ借りてみた。 車が嫌いなわけではないが、むしろ運転は楽しいが、都市部に住むと費用対効果が薄すぎる。 なのであまりご縁がない車についていい機会なので考えてみる。 ついでに金融工学と言う博打×詐欺についても考えてみる。 さらに氾濫したモノと

連休(2011/5)
ありふれたようなタイトルだが、変な感覚が漂うのだ、連休と言う語に対して。 一週間ほどの休みと言うのはなかなか久しぶりかもしれない。 2連休か、3ヶ月と言う極端なものしかなかったからだ。 と、言っても明日は仕事。 … 弟の口から「ニーチェ」と「サルトル」という単語が出てきたので、明後日からは堀江氏のように、本を読もうかと思う。 この一年、自己主張することを控えてきたが、改めて「金髪にしたい衝動」のような自己主張願望が沸き起こってきているの

大声と空想
大声 自分はスーツ姿×革靴で歩くと、単なるおっさんに見えなくも無い。 さらに会う人会う人に、やたらと恐縮される。 なんだかおかしくて、そんな自分が好きだったりする。 メガネをかけると、 「詐欺師みたいですね」 と言われるので、最近はかけない。 詐欺と言えば、 「小学生になる息子がいます」と、僕が嘘をつくと10人中10人が騙される。 でも、スニーカーでジーパンを引き摺りながら、土埃にまみれたかばんを背負いながら、昼間からビールを飲みながら

セカンドギア 2011/1~2
新年(2011年)早々、気管支炎になり、ろくに新年会にも参加できずゴホゴホしていたが、そのおかげで大量の本を読むことができた。 「逆18禁」というタイトルから、人を嘗めてかかったような精神の捻じ曲がり方に共感を覚え、図書館で借りたが、やはり捻くれ方に同類感があったので、読み終えてからアマゾンで買ってしまった。 しかし、まだ封すら開けていない。 再配達がめんどくさいので、家族に頼み、窓口に取りに行ってもらったのだが、その包みがクリアで、タ
古本屋
(2006年10月10日02:09) 先日、神戸に行ったときにたまたま寄った古本屋の様な本屋は近くに無いかと思い返してみた。 あった。 すぐ近所に。 立ち寄ってみた。 大抵の古本屋は小説と漫画ばかりで、岩波文庫すらあっても文学系しか置いていない事が常である。 近くの図書館も京都市中の図書館の本が巡り巡るとは言え、私好みの本はなかなかやって来てはくれない。 まあ取り寄せてもいいのだが。 この類の古本屋に行くと、見たことの無いような類に出逢

夜櫻
(2007年04月08日19:24) あいにくの小雨。 近々行こうと約束した花見へと向かう。 自宅まで拾いに行った頃には止んでいた。 例年通りの北区某所は外して自転車で嵐山へ。 異常に交通量の多い三条通を西へ。 途中、もう一人の参加者と合流。 コンビニへ入り、ビールを買って店前でとりあえずの乾杯。 男三人もなかなか楽しい。 多少の無茶は全く気にならない。 そんな不思議な空気になる。 誰かがボケれば絶妙のツッコミがくる。 そんな安心感で溢

天体望遠鏡
(2007年05月11日01:06) 大坂方面に行く機會があつたので更なる刺戟を求めて天體望遠鏡を買つてみた。 流星群を觀に行くには雙眼鏡の方がいい。 でもやつぱり昔から欲しくてたまらなかつたので心の聲に從つて店先に足を運んだ次第である。 集光力云々、有效最高倍率云々。 あまりに訊ねる僕に店員はほとほと困つてゐたに違ひない。 そんな陰りは寸分も見せず、丁寧に說明してくれた。 星座や星の名前などはそんなに知らない。 でも何故か流星群の名前

猛禽の眼と猛禽の思考
猛禽の眼 見えないものが次々と見えるようになると、 なんだか眼から光が出ているんじゃないかと、 そんな錯覚を覚える。 良くも悪くも見える。 見たくない。 そんな泣き言は通用しない。 これが僕の望んだ世界だ。 ずっと待ち望んだ景色だ。 愚者の道には戻れない。 ひたすら先に待ち構えるのは。 果てしない距離。 辿り着くか見当もつかない光。 おそらく僕には狩猟の血がめぐっている。 遠く先の獲物を貪り屠る本能が眠っている。 僕の犬歯は恐ろしく鋭い
