bossu のすべての投稿

自分を制限しているものを観て限りなく壊せ

「自分を制限しているものを観て限りなく壊せ」なんてな大それたタイトルです。少なくとも自分を制限しているものを見極め、それをどんどん壊していきましょう。 だいたいうつ状態の時は、ちょろちょろと「うつ改善にプラスになること」を試みる方向で考えてしまいますが、ゆるやかに改善していくというアプローチには限界があります。 特に精神の上では、壁を

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「外国では神を信じてると言おう」は、無神論・アナーキズムとニヒリストへの恐怖

まあ一度くらいはボコボコに書いておこうかと思ったので、「外国では神を信じてると言おう」という発想に対する答えについて書いておきます。 結局、キリスト教圏などを含め外国で、無宗教、無信仰、無神論が非難されるのは、アナーキズムとニヒリストへの恐怖の裏返しであり、自分たちの思想の押し付けにしかすぎないということになります。 英語学習や国際関

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タビラコ コオニタビラコ

小鬼田平子(コオニタビラコ)

小鬼田平子(コオニタビラコ)はキク科ヤブタビラコ属の越年草です。こちらはキク科の方の仏の座(ホトケノザ)です。タンポポ系ですね。 小鬼田平子(コオニタビラコ)の草丈は10cm程度で、ロゼット状に葉を地面から這うように生やします。葉の形状は羽状複葉です。水田、あぜ道等の湿地によく生えているようです。 学名:Lapsana apogono

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一番マシだったからであって支持したわけではない

別にそれを支持したわけでも何でもなく、目的の商品が在庫切れだった時の代替物として一番マシだったというだけなのに、まるで投票行為において支持したかのごとく「企画が当たった」と思われるのはどうか、と思うことがあります。 そしてその支持したかのような構造になってしまうものがデータとして傾向を示すものとして取り扱われるとなると、どんどんどんど

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「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処

「キャー!」「きゃあん!」といった超高周波の奇声を絶叫する子供が激増してきました。 家の前、飲食店、スーパーなどの小売店、そして温泉ですら、「無線のチューニング」並みの「キャー!」「きゃあん!」という子供の奇声が聞こえてきます。これは完全に公害です。 最初に言っておきますが、「うえーん」や「えーん」「ぎゃあああ」といったように、怪我を

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「は?」となる心理学者たち

安物の心理学の本には、絶望的な心理学者による絶望的な実験結果が引用されていたりします。 小学生くらいでも「は?」となるレベルです。 そうした実験結果を報告する心理学者は「本当に頭は大丈夫か?」と思ってしまうレベルであり、それを引用して根拠になるかのように思っていることも絶望的です。 「アメリカの〇〇州立大学のナントカ博士が300名程度

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うさぎ用葉束2017

葉束 うさぎへのプレゼント

「プレゼントとして花束があるのなら、葉束というのはいかがだろうか?」ということで考案した、養子のうさぎへの誕生日プレゼントの「葉束」。 うさぎが食べることのできる野菜や香草をふんだんに。 うさぎ用葉束2014 2014年は、パセリ、セロリ、青梗菜(チンゲンサイ)、芹(せり)、春菊、みつば、サニーレタス、菜の花、バジル、水菜、壬生菜など

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平茸(ひらたけ)と「しめじ」

平茸(ひらたけ)と「しめじ」

横から見た平茸(ひらたけ)。ヒラタケというだけあって他のきのこと比べて平面的です。きのこの分類上、平茸(ひらたけ)は、ヒラタケ科ヒラタケ属であり、ブナシメジはシメジ科シロタモギタケ属、本シメジはキシメジ科シメジ属(ダイコクシメジ・大黒占地)ということで全く異なる種のようです。 「エイ」のような形をしていますね。 鳥が羽ばたいているよう

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アッツ桜 ロードヒポキシス

アッツ桜(ロードヒポキシス)

アッツ桜(あっつざくら・ロードヒポキシス)はキンバイザサ科ロードヒポキシス属の植物です(学名はRhodohypoxis baurii)。 南アフリカ原産(南アフリカ共和国ドラケンスバーグ山脈周辺の高原のようです)の半耐寒性球根植物になります。なお、ロドヒポキシスと表記されることもあります。 花は星形の6弁花で、葉には軟毛があります。春

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蕪

蕪(かぶ)菘・鈴菜(すずな)

蕪(かぶ)は、アブラナ科アブラナ属の越年草です。主に根菜として丸い根の部分が食用となりますが、茎や葉なども食用です。春の七草としては、大根と同じく葉の部分をさすのでしょう。 春の七草の「鈴菜(すずな)」こと蕪(かぶ)です。カブラ、カブナ、カブラナなど、いろいろな呼ばれ方をします。 春の七草としては、鈴菜(すずな)と呼ばれますが、菘と書

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菜の花

菜の花(アブラナ)

菜の花(なのはな)は、アブラナ科アブラナ属の花の総称ですが、主としてアブラナ・セイヨウアブラナのことを指したりします。アブラナ(油菜)は言わずと知れた菜種油の原料であり、そのまま食材として使われたりします。 アブラナ科の仲間としては、大根や蕪(かぶ)が代表的ですが、撫菜(なずな)もアブラナ科です。語るまでもなく、菜の花もアブラナ科です

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宿木(やどりぎ)

宿木(やどりぎ) 寄生木

宿木(ヤドリギ、寄生木)は、 ビャクダン科ヤドリギ属の半寄生の灌木で、他の樹木の枝の上に生育するようです。セイヨウヤドリギ系の亜種らしいのですが、モノの見事に木と一体化していました。なお、宿木(ヤドリギ、寄生木)とは、広義にはヤドリギ類 (Mistletoe) の総称的な通称のようです。葉っぱは1組ずつ対になっており比較的肉厚です。ヨ

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清白 秋大根

大根 清白・蘿蔔(すずしろ)

大根は、アブラナ科ダイコン属の越年草です。清白(すずしろ)、蘿蔔(すずしろ)は、大根(主に秋大根)のことですが、春の七草ということで大根の葉をさすようです。 春の七草なのに秋大根な清白(すずしろ)。蘿蔔(すずしろ)とも書かれます。旧暦では2月ですが、春でも秋でもない真冬です。 春の七草としての清白・蘿蔔は、七草ということで大根の葉をさ

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第1400回投稿記念

これで1400記事目になります。ブログ創設から1400回目の投稿ということで「第1400回投稿記念」です。 前回の第1300回投稿記念は、2018年10月19日で、前回からの100記事は、40日ちょっとくらいかけて投稿したという感じです。なんだかんだで長文のものも結構ありますが、比較的短期間で100記事を迎えた感じになります。これは、

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一度でいいから演劇でブラボーと叫んでみたい

未だに演劇で感動したことがありません。 演劇、舞台、芝居と言われる類においては、ほとんどの場合強烈な寒気がして鳥肌が立ち「見ているこちらが恥ずかしい」という気分にしかなったことがありません。 そんな中、やはり玉サブローが大好きであり、七色いんこが大好きなので「一度でいいから演劇でブラボーと叫んでみたい」という気持ちがしています。 演劇

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うつと酸欠と呼吸法

うつと酸欠と呼吸法について触れていきます。酸欠だからうつになるという短絡的な感じではないのですが、気分がすぐれない時に即効性のあるものとして呼吸法をご紹介しておきます。 うつに限らず体の不調となると、やれ何の成分が足りないだとか、これを補えば体調は良くなるだとかいった感じで、すぐに何かを売るということをしてきます。 「何かを売るために

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孤独や孤独感と「独立して自由であること」

孤独や孤独感と「独立して自由であること」という感じで、孤独や孤独感を中心にまたまとめておきます。そして孤独という概念から「他との関連性から独立して自由であること」についても書いておきます。孤独感に苛まれた時に「軽い脱却」を叶えた「孤独感についての独り問答」についても触れてみます。 まず、孤独であることや孤独感は、「分離」が前提になって

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売るための場ではない場所での無駄な売り込み

年末が近づき、忘年会等々いろいろな会合が盛んに行われるシーズンになってきました。 で、そういう場所というのはあくまでただの集まりだったりするはずなのですが、獲物を狙うかのように「売るための場ではない場所での無駄な売り込みをしてくる人たち」もたまに混じったりしています。 そして、その会合のメンバーが経営者だらけだったりすると、百戦錬磨の

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文脈効果と文文脈効果

文脈効果(context effect)とは、文脈によって単語の認知を容易にし、統語的・語用論的あいまい性を減少する効果のことである。文脈(context)とは、背景や状況、事情、事の前後関係を意味し、ある現象に対する背景といった文脈が、「認知におけるあいまい性」を減少させるという効果が文脈効果である。 文脈効果における「文脈」とは、

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何かが切れる瞬間

寝て起きてしばらくしてまだまだボーッとしている時、変な気がかりが起こることがあります。たいていはすぐに何とも無くなるのですが、稀にすごく嫌な気分になることがあります。 しかしそんな時は、ほとんど必ずそのすぐ後に何かが切れます。切れる瞬間が明確にわかるような感じで何かが切れます。 そしてだいたい何かに没頭することになります。その間嫌な気

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同情と共感

同情と共感についてまとめておきます。同情と共感は似ていますが、己の心にどう影響するかが全く違うので、似て非なるものとしてその違いについても触れていきます。 英語的な話をすると「同情」は「sympathy」であり、「共感」は「empathy」と言う感じになりますが、もちろんそれが心理学者なのか哲学者なのかといったことを筆頭に、その言葉を

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曖昧さのもつ力

抽象的で曖昧な言葉ほどものすごい力を発揮したりします。 言葉が抽象的である場合、その分だけ包括する概念の範囲が広く、解釈可能性もたくさんあるということになります。 ただ、具体性からは逆行することになるので意味を捉えにくくなるということになり、その分だけイライラするということもありますが、やはり曖昧な言葉は凄まじい効力を持っていたりしま

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人を信用することと人間不信

「人を信用することができない」 ということが人を苦しめる最たるものの一つです。 しかしながら、人間不信ということに限定することなく、何事も信用し切ることはできませんし、かといって一切の信用がなければ社会生活はままならないという構造になっています。そんな中「信用しようとすること」自体が疑いを含んでいるため理屈の上でどう考えようがその信用

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蓋然性とあいまいさ

思えば「蓋然性」と「あいまいさ」が長年僕を苦しめていました。それは哲学的問いであり、とりわけ哲学的領域と社会との整合、社会生活における自分のあり方としての課題です。 ふと病中で活字中毒だった頃を思い返すと、この「蓋然性」というものをどう取り扱うか、どの程度の曖昧さならば良しとするのかの線引が難しく、その問いに真剣に向き合ってしまったか

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経済や金融のリテラシーが高まっていくプロセス

今では特にお金を稼ぐことにあまり興味がありませんが、やはり経済社会の中にいて貧乏な状態にあるのは辛い出来事を呼び起こしたりもすると思うので、「経済や金融のリテラシーが高まっていくプロセス」といった感じで、僕の中で経済や金融全般のリテラシーがどのように高まっていったのかを思い出がてら書き記しておこうと思います。 まあお金の面にしても結構

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縁起が良い動物とか悪い動物という発想

世の中では縁起が良い動物とか悪い動物という発想をする人たちがいます。もちろん本来の意味での縁起、「因縁生起」とはまた少し異なった感じで俗っぽくこうした縁起の良い動物や縁起の悪い動物について考えてみましょう。 縁起が良い動物は何か? 縁起の悪い動物は何か? A そんな分類は意味をなさない 単純な答えとしては以上となりますが、もう少し詳し

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僕のもとに帰ってきたドラえもん

いまなお「ドラえもんを観ると目が少年になる」という現象が起こります。 最近はTV版のドラえもん(もちろん旧声優陣の頃のドラえもんです)を観たり、「ドラえもん のび太の恐竜」などなど、劇場版のドラえもんを観たりしています 先日は手塚治虫記念館に行きましたが、やはり僕の中では藤子・F・不二雄氏が最も好きな漫画家であり、いつまでもその感覚は

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思考の罠

思考の罠ということで、思考がすべての展開にブレーキをかけたり、絶え間ない重圧をかけたりしてしまうことや、「考えないほうがうまくいき安らぎに帰する」というようなことについてでも触れていきます。 少しばかり「苦」ばっかり扱ったので今回は明るいテーマです。 なんだかんだで哲学的なテーマは重く感じたりします。その重さは人を幸せにはしてくれない

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目先しか見えないと改善の価値がわからない

目先しか見えないと改善の価値がわからないということで、目先の物事しか見えない人たちにとっては工夫や改良を継続して繰り返していく「改善」の価値がわからないというようなことについて触れていきます。 人は感情的になっているときほど本能よりの思考しかできなくなっているため、思考としての「過去」や「未来」というものを想定できなくなったりします。

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数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由

数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由という感じで、世の中で出版されるビジネス関連の本が精神論とか心のあり方に落ち着いてしまうワケについて触れていきます。 具体的なハウツーが欲しいのに、なんだかんだで書いてあることは精神論だったり考え方だったり、心のあり方だったりという感じに落ち着いているというようなやつです。 まあそれを嫌だと

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